あの日
倒れた遥を見て、額から汗が吹き出し、蝉の声が遠くなっていく。
「――遥っ!」
すぐ遥に駆け寄り、救急車を呼んだ。
遥のお母さんにも連絡すると、彼女は急いでやってきて救急車に乗り込む。
私はそれを、赤いランプに照らされながら呆然と眺めていた――
翌日の朝、母と一緒に遥の病室へ訪れると、私と母は遥のお母さんに深く深く頭を下げたのを覚えている。
「……ちょっとだけ、桃子ちゃんと二人にしてもらってもいいですか?」
遥のお母さんは特に怒る様子も、悲しむ様子もなく笑顔でそう口にする。
母は言われるがまま席を外した。
「ごめんね、何が起こったのかわからなかったでしょ?」
「ご、ごめんなさい……私……」
今にも泣き出しそうな声で遥のお母さんに謝罪すると、彼女は眠っている遥かに少し視線を落とす。
「遥は太陽の光を浴びると弱ってしまうの。説明しにくいんだけど……奇病みたいなものかな。」
初めて聞いた真実に、私は目を見開いた。
「ああ、やっぱり知らなかったんだ。そうだよね、これのせいで誰とも遊んでくれないってよく泣いていたもの。
……でも、あなただけは遊んでくれた。本当にありがとう。」
愛おしそうに遥の髪を撫でながら、遥のお母さんは淡々と語る。
そして、少し目を細めた後
「ごめんね桃ちゃん。もう、遥に近付かないで欲しいの。」
と呟く。
――「いやだ」、なんて……言える立場じゃなかった。
1日経っても目を開ける素振りすら見せない遥を見ながら、私は届きもしない謝罪を何度も反芻することしかできなくて。
その後母に事情を話したら、「仕方ないわね、こればっかりは」と言って目を伏せていた。
……程なくして、遥は大阪に転校することが決まる。
私は謝罪の言葉も別れの言葉も言えないまま、遥と離れ離れになったのだった。
★ ★ ★ ★
遥の顔を見ながら、私はあの日の記憶を呆然と回想する。
もう一度、咎められることもなく再会できるなんて……思っていなかった。
「おーい、桃ちゃん?」
遥に呼びかけられ、ハッと我に返る。
(いけない、完全に自分の世界に飛んじゃってた。)
「ご、ごめん!ちょっと考え事してて……」
「そっかそっか!これから皆でババ抜きでもしようって話になったんだよ!」
遥はそう言って、「うさこうもり」のトランプを見せびらかす。
(本当に好きなんだな、「うさこうもり」……昔から可愛い物好きだったし不思議でもないけど。)
私は遥の様子を呆然と見ながら、変わってしまった彼の過去の面影を見てどこか安堵していた。
……
――放課後、遥と一緒に下校する。
途中で通りかかった公園で、私は思わず足を止めた。
(ここ、遥とよく遊んだとこだ。)
「あれ?寄りたいの?」
遥に言われ、私は静かに首を縦に振る。
「ここ、よく一緒に来たよね。覚えてる?」
尋ねると、遥は少し上を向いた後で
「来た気がする!懐かしいね!」と笑顔で答えた。
「あの辺でよく遥が『疲れた』って泣いてさ……私いつもおんぶさせられてたっけ。」
少し笑い交じりに言うと、遥は頬を赤らめながら
「えー?全然覚えてない!それ俺の話!?」
と声を上げる。
しかし、それも仕方ないことだ。
ここまで遥が変わったということは、それだけ努力したということだ。
今の遥からしたら、過去我儘だったという事実はくすぐったく感じるのかもしれない。
(寂しいけど、仕方ないよね。)
「……ねえ、遥。あのね」
私は、遥が意図的に「あの日」について言及していないことに気付いていた。
あくまでも、何事もなかったかのように、遥は私と「過去の友人」として再会することを望んでいるのだろう。
それでもあの日、言えなかった言葉や飲み込んだ感情がいくつもある。
それを抱えたまま、何事もなくまた遥と友達に……なんて虫が良すぎて気持ちが悪かった。
「あの日……あの時、私が、遥の限界に気付けなかったこと。本当に――」
言いかけたところで、遥が顔を歪め、大きな声で「やめてよ」と遮る。
その、冷たい声に喉の奥がギュッと締まって、私はそれ以上喋れなくなってしまった。
「桃ちゃんと俺は、昔よく遊んだ仲で、大切な思い出が沢山あって……それでいいでしょ、そんな話聞きたくない。」
今まで優しかった遥が、初めて見せた強い拒絶に動揺する。
遥の顔は歪んでいて、いつもの可愛い笑顔ではなくなっていた。
「ご、ごめんなさい……もう言わない。」
言うと、また遥はケロッと笑顔を見せて「そろそろ行こうよ」と言い放つ。
(謝罪もできないまま、友人として再出発なんて……ほんとにやっていいのかな?)
遥に「言葉」ではなく「覚悟」を否定されたような気がして私は視線を落とした。
――すると、不意に遥が「桃ちゃん、前、前!」と声を上げる。
しかし気付いた頃にはもう遅く、私は目の前にあった大きな段差に躓いてバランスを崩した。
「あ……」
すると、転びそうなギリギリの所で遥が私の身体を支える。
ふわっと香る甘い香りと遥の少し大きな手が触れて、転びそうだからか距離が近いからかはわからないが、心臓がドラムのような音を立てていた。
(女の子みたいだった遥の手とは思えない……)
「――大丈夫?」
呆然としている私に、遥が声をかける。
「あっ……!ご、ごめんね!重かったでしょ!」
ハッとしながら離れると、遥は「へーきへーき!……全然重くなかったよ!」と言って笑い飛ばした。
「遥、手が……」
遥が手を顔にかざした時、手の甲に擦り傷が出来ていることに気付く。
「あー……これ?こんなのすぐ治るよ!」
遥はそう言って気にした素振りを見せなかったが、私は帰った後も気になってしまい……
(よし、明日お詫びをしよう!)
と決心したのだった。
★ ★ ★ ★
――後日、放課後私はすぐに遥を捕まえると、部室にも顔を出さずにカフェへと連れていった。
「ここのケーキおいしーい!」
遥はカフェに着くなり甘いものに飛びつき、幸せそうにそれを頬張っている。
頬を押さえた手には貼り慣れてない絆創膏が貼ってあり、いまにも剥がれそうだった。
(利き手に貼ったにしても……無骨だなぁ。)
「本当にご馳走になってよかったの?」
遥が申し訳なさそうに尋ねる。
「うん、昨日怪我させちゃったお詫び。」
そう答えると、遥は目を見開きながら「気にしなくて良かったのに!」と声を上げた。
「……でも、そんな責任感が強いところも素敵だなー。
やっぱり桃ちゃんは俺の理想の人だ。」
少し虚空を見つめながら、遥が呟く。
(私が……遥の理想?明るくて、かっこよくて……優しくて。
人気者の遥が、私なんかをそんな風に……?)
「そ、それはちょっと高く見積もりすぎ。」
「そんなことないってば!じゃあ俺が桃ちゃんの好きなところを語ってあげる!」
「え、えー!?恥ずかしいよー!」
……と、言いながらも私は満更でもなく、期待の眼差しで遥を見る。
「まず、顔が可愛くてー、面白くてー、優しくてー……」
(遥って私のことそんな風に思ってたんだ!)
「……あと多分友達も多いだろうし、頭もいいだろうし、きっと退魔師としても優秀に違いない!」
遥が言い切ったところで、私は違和感を覚え動きを止めた。
「あ……あの、遥……?その多分、とか、きっと、とかって何なの?
……ていうかさ、今……誰の話してる?」
言うと、遥は処理落ちしたみたいにスっと真顔になる。
「え?誰って……桃ちゃんのことだけど。
……どうしてそんなこと聞くの?」
顔は無表情なものの、その声にはノイズが乗っていて、遥が明確に「拒否反応」を示していることを感じ取り、怖くなってしまう。
「あ……いやその、なんか身に余る評価な……気がしただけ。」
言うと、遥は安心したように笑いながら「謙遜してたのかー!」と言って再びケーキを食べ始めた。
――その時。
ペリッ
と、絆創膏が剥がれて、テーブルに落ちる。
そして私は目にしてしまう、昨日……確かに遥の手にあった傷が……
まるで消しゴムで消したみたいに消え去っているのを。




