呪いの発動条件はあなた方の思い込みです
カーン、カーン、カーン、カーン
鉄と鉄のぶつかる音がする。
暗闇に包まれた森の中、手に持ったランプが揺れる。踏み止まろうとした足元で枝が折れる音がした。
パキッ
バッとこちらを振り返る人影。
「ひっ」
乱れた黒い髪を垂らした女の瞳は瞳孔が開ききって血走っており、こちらを射殺さんばかりの形相をしている。
浅黒い唇がゆっくりと動いた。
「見たわね」
何をと問う前に、佇む木に向かって振りかぶった体制で止まっている女の手元に視線が移る。
金槌だ。
打ち付ける先にあるのは、木の幹に縫い付けられた、複数の釘に心臓や頭を刺された藁人形だった。
「あ」
私はこれを知ってる。
前回も同じ目にあった気がする。
これを見た者は殺さないと、呪いが発動しない。
頭を守ろうと手をかざした先で、トンカチを振りかぶる黒髪の女が脳裏に浮かぶ。指の隙間から見えた金髪女の口元はニタリと笑っていた。
走馬灯のように思い出した記憶にハッとさせられた。あの時と同じ結末にはなりたくない。
逃げなきゃ。
ランプが手から滑り降ちる。
パリンッとガラスの割れる音がした。
咄嗟に踵を返して走り出す。
「見ぃたぁわぁねぇぇえ」
背後から恨めしげな声とともに草の上を走る気配がする。
木の間をすり抜ける。
体中、枝葉で切るたびに熱を帯びてくる。
また殺されるなんていやだ。
今回もこんな死に方したくない。
ていうか。
「なんでこの世界で丑の刻参りやってんのよ!」
「待ちなさぁぁぁい!」
草を踏みしめる音で居場所がわかるのか、暗闇でも正確な位置を追ってくる。
「誰が待つもんですかっ!!」
恐怖を振り払うように叫ぶ。
「えっ?」
どこが出口だろう。
より森の深くに入り込んでいる気がしてならない。
どうしよう、どうしよう、どこに行けば。
「ま、待って!栗毛のあなた!」
いやいや、待てと言われて待つおバカがどこにいるのか。とにかく森から出れば・・・。と焦って視線をあちこちに飛ばす中、片隅に黒い塊がチラリとかすめる。
思考が霧散し、一瞬で真っ白になった。
え、あれって。
グルルル
「っ」
獣の唸り声が聞こえた瞬間、恐怖に足を止めてしまった。
視線が外せない。
茂みの向こうから、赤く光る目玉がいくつも浮かび上がる。顔を出したのは犬型の魔物だった。しかも5匹。
むき出した歯茎の間からヨダレが垂れ下がり、大型サイズの黒い狼は逃がすまいと獲物を見つめている。
冷や汗が止まらない。
そうだ、ここは魔物の森だ。入り込めば出ることは叶わないとされる、禁足地だ。かつては精霊やユニコーンも立ち寄る神聖な森だったと文献で読んだが、今はそんな情報どうでもいい!
しかも今は夜。魔物が活発化する時間帯。
足を踏み入れた時は、魔物に食い殺されるのも一興かと思っていたが、直面した死の恐怖を冷静に受け入れることなど困難だった。
浅はかな自分を恨む。震えが止まらない。
魔力はあるはずなのに、今まで使えていたはずの光魔法も反応してくれない。結界も攻撃も行えない丸腰の状態で立ち向かえる技術もない。
緊張から呼吸が浅くなっていく。
魔物の赤い目から視線を逸らさず、しかし逃げたい一心で後退すると、魔物も同じ歩数だけ踏み込んでくる。
一歩後退。踏み込まれる。
その繰り返し。段々と追い込まれているような感覚に冷や汗が止まらない。
トンッ
不意に踵に硬い感触が当たった。
まさか。振り返ると、闇の中、木が逃げ道を塞ぐように影を落としていた。
あ、まずい。
視線を戻すと魔物が牙をむき出しにして飛びかかる瞬間だった。
「あ」
終わった。
そう悟った。
ああ、今回の人生も散々だったな。せめて都会名物のタルトを食べてからにしたかったのに。新作のスノーホワイトタルト。一見普通の霜降りベリータルトなのに、甘みの後からやってくる殺人的な酸味が話題のタルト。
「ふふっ」
最後に思うことが食べ物のこととは我ながら呆れる。
「あーあ。次は魔物にでも生まれかわってこの国を喰つぶせないかなぁ」
「アラ、だいぶ卑屈な願いネ」
・・・え。
掠れてはいるが優しげな声だった。
「もしかして、死後の世界でも喋れるのかな・・・」
にしても景色が変わっていない。
変わっていることといえば、目の前にいた狼は血を流して倒れ伏していること。私を捉えていた赤い目は見開かれたまま瞳孔が開いていた。
そして、私を守るように背を向けている金槌を持った、かつて人間だった者の姿。
その手には血がしたたる鉄製の大型金槌。
「あれ・・・何がどうなって・・・。え、待って。私生きてる?」
え、生きてる。
生きてる!
頬をつねってもひっぱたいても夢から覚めない。
むしろ痛い。
「ふっ。ふふっ」
私の奇行を見ていたのだろう、女性がいつの間にかこちらを向いて口に手を押えて肩を震わせていた。
「アナタ、面白いワね」
私は驚愕に目を見開く。
このヒトは、さっき私を追いかけていた丑の刻参りの女だったからだ。
月明かりに照らされた黒髪は水分が飛びきっていて服はボロボロ。皮膚も灰色に変色し、胴の中心はみぞおちから下腹部まで円を描くように服ごとごっそり抉り取られていた。
「あの。体、大丈夫ですか・・・」
咄嗟に出た言葉がそれだ。
いや、もっという事あるでしょ、私。
それを聞いた女性は、我慢できないとばかりにお腹を抱えて笑い声を上げた。
「あははハははハッ」
声帯に問題があるのか、奇妙なノイズが時折入る。ぽかんとする私に女性は言った。
「おかシなお嬢さん、大丈夫ヨ。ワタシはもう死んでいるから痛みはないワ。でモ、心配してくれてアリがとう」
彼女と出会ったこの森での出来事は今でもよく覚えている。
この時の、月夜を背にした彼女の表情は忘れられない。屈託のない笑顔、輝く黄色い瞳は生気なく濁っていたが、生きた人間よりも人らしく優しい色を纏って見えた。
###
彼女の名前はレイシー。
父親を仕事先の不幸な事故で亡くしてから唯一の家族である妹と生きるため、幼い彼女は父と同じ冒険者になった。
数年が経ち、Bランクになった彼女は若いパーティでアタッカーを担う。突出してはいなかったものの地道に仕事をこなしていたが、ある日を境に金になる危険な仕事にも単身で乗り込むようになっていた。
身体中に傷をつけて帰ってくるレイシーをみて、仲間は心配し危険だと諭したが、彼女は聞かなかった。
「金が必要なのよ」
レイシーは焦っていた。妹の病を治す手段をなんとしても見つけたかったのだ。元々身体の弱かった妹は1週間熱が下がらず、医者を呼んだり薬を出してもらうにもお金が必要だった。
そして原因不明の熱で妹が死んでしまうのでは、という恐怖から藁にもすがる思いだったのだろう。
駆け出し時代に世話になったAランクの先輩だという男から、仕事を斡旋してもらうようになった。
ギルドでは身の丈に合わない仕事は受けさせてもらえないため、貴族のツテがあるという先輩の言葉を信じて、依頼と引き換えに高額な報酬を貰い続けた。
結果、医者を呼ぶことが出来、原因は瘴気によるものだと診断された。普通の人間より魔物の瘴気や魔力の影響を受けやすく、それが充満してるこの世界では薬による治療しか存在しない。
薬代は定期的かつ永続的な服用が必要で、今更先輩の依頼から離れることは出来なかった。
そして、レイシーがこの森に入った日、彼女は死んだ。
先輩の依頼でユニコーンの毛皮と角を調達している途中、怒り狂った森の主に突き刺されたのだ。
森の主は艶のある黒い毛並みの一角獣だった。
###
「で、気がついタらアンデッドになっていたってわけネ」
淡々と語る彼女の口調には自嘲と嫌悪が滲み出ていた。
私は、どう声をかければ良いか分からなくて「話してくれてありがとうございました」なんて冷たい返ししかできなかった。
なのにレイシーは、こちらを見て優しく笑っている。私の眉間が川の字のように寄せられていたからかな。
なぜ善人は先に死んでしまうのだろうか。
結局、妹は姉の死にショックを受けて病気の悪化で死んでしまったという。
そもそもレイシーが死んだ原因となったのは、クソ野・・・先輩が貴族の褒美目当てで森の主の番を殺してしまったからなんだけど。レイシーはその遺体を運ぶ仕事を任されていたため、番の血の香りを漂わせるレイシーを、森の主は番殺しの犯人だと認識してしまった。
レイシーはアンデットになった後、森に再び来た先輩と誰かとの会話から、すべての経緯を理解した。
「身代わりを用意しておいて正解だった」「いい駒がいなくなった」「妹は外見が良かったから売ればいい値だったろうに」「味見できなくて残念」
正確にはもっと下品な言い方だったと思う。レイシーは私をあまり不快にさせない言い回しで教えてくれた。その顔は般若だったけど。私が殺されるんじゃないかってほどえげつないオーラだったけど。
「それで、その先輩はどうなったんですか?」
「アア、あれはこの森で殺しテやったわ」
・・・アレですか。もう同じ人間だったとすら思いたくないんですね。わかります。
アレが次に来た時、張っていた罠で足を折り、魔物をソイツの血で呼び寄せて追わせた。叫んで走る元気が無くなるまで魔物がトドメを刺さないように時々ものを投げて牽制した後、姿を見せて命乞いをするアレを笑いながら魔物に引き渡したらしい。
目には目を、という実行例ですね。
それからというもの、森に入るような人間は生贄かロクでもない奴しかいなかったらしく、釘を打って憂さ晴らししてたらしい。怨念が溜まって池ができそう。
「ごほんっ。そもそもですが、アンデッドは人と意思疎通できないと思っていました」
レイシーは顔を歪めて当時の事を話してくれたが、アレの顔を思い出すのも可哀想なので話題を変えることにした。
ここは魔法が存在する世界だ。火や水などの元素発現は可能だし、魔物やアンデッドが存在することは学んだが、死者やアンデッドと話ができるとは聞いたことがない。
「それハそうよ。だっテ、アンデッドの使役ハ魔力が一度枯渇した人間にしかデきないし」
私は絶句した。
「使役?」
「ソ、アナタはネクロマンサーでしょ?」
いや、でしょ?と言われましても。
彼女いわく、アンデッドと会話できるのはネクロマンサーしか存在しないらしい。
人間が魔力を空っぽにすることは死と同義。空っぽの魔力庫が直ぐさま別の魔力で補われれば、蘇生は可能。禁術とされるそれは昔は人体実験で生み出されていたのだという。それがネクロマンサーと呼ばれた。
だが、冥界に片足突っ込んだままの状態は死者と会話が出来るため忌避される存在だった。だから、今ではネクロマンサーという存在は秘伝でしか伝えられていないという。
ああ、だから文献にすら載っていなかったのか。
それにしても生き物は脳の活動が停止したら思考も喋りも出来ないと思うんだけど、レイシー曰く「半死は死者の魂と疎通できる状態」らしい。
うーん、それって。
「レイシーさんは地縛霊ってことでしょうか?」
「失礼な!ワタシたチは悪霊ナンかじゃないわよ!その体ノ残留思念のようなモノ。死体を森ノ中に放置さサレたから、こコの魔力がアンデット化を引き起こしタんじゃないかシラ」
心外だと、仁王立ちするレイシー。
あんまり違いがわからない。要は、霊感が開花されて幽霊と話が出来るようになったわけじゃないのかな。
「レイシーさんが特殊なだけっていうことは無いの?全員が後悔したまま死ぬことなんてないのでは?」
「人間、誰しも思い残しタ事はあるものヨ。思念があマり無くテ話が出来ない者も居るけどネ」
そんな達観した表情をしなくても。
アンデットなんだから、これからいくらでも恨みを晴らす方法は・・・あれ?レイシーさんってどの時代に生きてた人なのかな。数十年前にここの森の主がいなくなってから魔窟になったらしいから・・・。
「ふふっ」
ユニコーンの発見年代を頭の中でさぐっていると、レイシーが怪しく微笑んだ。
「女性に年齢を聞くモのではないわヨ」
え、なんで考えてること分かったの怖い。
「それデ、アナタはどうしテ魔力を失ってしまっタの?」
あ、考えることも許さないということですね。わかりました。私は虎の尾を自ら踏みにいくお馬鹿ではありませんので。
「まぁ要約すると、悪業を働いた元聖女だから、でしょうか」
・・・。
沈黙が夜の森を駆け抜ける。
「・・・。はしょりすぎヨ。聖女ってコトは、アナタは聖レギオン王国のお貴族様なのネ」
まあ、私が貴族であることは仕草を見れば誰でもわかるだろう。外見や服は今や見る影もなく擦り切れていたが。
「ご挨拶が遅くなり失礼しました。私はアルテミン。貴族籍からは除外されたため、今はただのアルテミンです。先ほどは危険なところを助けていただき、ありがとうございました」
背を伸ばし、染み付いたカーテシーで礼を示すと、苦笑が聞こえた。そっと視線を上げると、レイシーは困ったように眉尻を下げていた。
おそらく、庶民と言いながらも貴族感の抜けないチグハグさがおかしかったのだろう。
「アンデッドに礼をスる人間は初めて見たワ、アルテミン。でも、どういたしましテ」
私は、髪に手を当てながら苦笑する彼女を見つめた。
黒髪に手を当てて笑うのは癖だろうか。
光の入り方により濃淡を変える青い瞳は、瞳孔が開ききっている黒さと相まってよく映える。
血の気を失って灰色になっている肌も陶器のように輝いて見える。硬直した表情とは正反対にハキハキとものを話す彼女は魅力的だった。死後解き放たれた魂はこんなにも美しいのか。
私も完全に死んだら、彼女のように可憐に己を解き放てるだろうか。
###
私の人生は6歳の時に定められた。
この国には光属性であるヒーラーの聖女伝説が根深く浸透している。その属性を持つ人間は稀であったことからヒーラーでなくソーサラーだったとしてとも国は歓喜したのだ。
さすが、宗教国家である聖レギオン王国である。
親兄弟には我が家の誇りだと言われたが、それ以外の価値を認められていない物言いが辛かった。
死を垣間見た私は思うんだよ。
いや、君たち私の家族だろう、と。寄り添うとかないのか。せめて「聖女だとしても我らの娘であることに変わりはない」とか言おうよ。
ひたすら毎日、頑張ってたんだよ?
結界を張るための祈りを捧げ、魔を払いに巡礼しなきゃ行けなくて、護衛とも教会の人とも気楽な会話出来なかったんだよ?世間話くらい許してよ。
そんな寂しさを紛らわせる手段がなかったことが災いした。箱入り娘の私は、神殿で鉢合わせた次期王太子と名高い第二王子に憧れてしまったのだ。
自由奔放な王子はよくお忍びに行く街へ私を連れ出した。
「こんな所にずっと居たら苔が生えるだろ」
とのこと。
だけど、当時の私には救いだったのだ。
目を輝かせて城下町の景色に見とれる姿に興味を持ったのだろう、彼は私を婚約者に指名した。
いや、この時点で地雷じゃん。
気まぐれで婚約者決めて、しかもその理由が「面白い聖女だから」。は?おもしれぇ女じゃないんだよ、やめてよ沼地に引きずり込むの!沈むなら一人で沈んでよ!
そんな、過去への私の願いも虚しく、婚約者としての教育が始まった頃、王子が言った。
「僕が王太子になっても隣で支えてほしい、アルテミン。これからも愛している」
期待に応えたい、この時はそう思った。
あー、もう泥沼じゃん。応えたい、じゃないのよ私。いろいろと目を覚ませ!と平手打ちをかましたい。
案の定。
徐々に王子の音沙汰は減り、聖女として、王子妃としての教育が修了する頃には贈り物すら届かなくなった。
本当は神官の噂話を立ち聞きした時からわかっていた。王子は学園で出会った伯爵令嬢と懇意にしていると。
彼にとって愛とは、信頼とはその場の気分で移ろいゆく風のようなものだと知った。
ていうか、アイツ誰彼構わず愛を囁いてるってことだよね。普通にクズでしょ。いくら聖女とは言えクズを更生させるのは無理だって。なんで早く逃げないの。
まぁそんなこんなで王子が立太子する日、私は王宮の晩餐会へ参加を促されたのを覚えている。王命であれば逆らうことなどできない。
顔は合わせなくなったものの婚約者として王子と共に入場するのだと思っていた扉は開き、一人での参加を強制された姿に悪意ある者は嘲笑を、良心のある者は眉を顰めて迎えた。
家族である侯爵家の面々は面白いほどの表情でこちらを見ていたが、笑顔の仮面で流し壁の花と化す。
続いて開かれた扉をくぐるのは王太子。彼が連れていたのは、かの有名な伯爵令嬢だった。
年月が経ち誰もがため息を漏らすような容姿となっていた彼は、私を胡乱な目で一瞥した後、手を引く令嬢に甘やかな笑顔を向けた。
鈴の鳴るような可愛らしい笑い声がコロコロと耳に響く。
「・・・ははっ」
数年前に浮上した心は、乾いた音を立てて砕け落ちた。
ああ、私は捨てられるためにここにいるのだ。
そう悟った。
はぁ。思い出すのさえ疲れる。
「さて」
国王様、王妃様も揃い、会場が壇上に注目する中、主役である王子が切り出した。
「皆も知っての通り、王太子となった私の婚約者は聖女である。改めて紹介しよう、聖女となる光属性ヒーラーのグランシー伯爵令嬢だ」
その言葉に会場はさざめいた。
この国には光属性のヒーラーが300年前から誕生していない。つまり奇跡の存在なのだ。ニアピンの私とは違う、紛れもない本物。
ついでに私の気持ちもざわめく。
婚約者は聖女、つまり私はいつの間にか聖女でも婚約者でもなくなっていたのだ。そしてそれは私をそう扱っても問題ないモノだと公言しているに他ならなかった。
せめて婚約破棄をしろ!そして私を国外追放して欲しかった!その後華麗な復讐劇とか、新たな恋とか始めたかったのに!
「聖女代理であるアルテミン、いままでご苦労だった。今後は聖女の補佐を務めてほしい。2人の貢献により、この国はかつて無い繁栄が約束されるだろう」
希望を確信した王太子の口調に、会場は拍手で溢れる。国王陛下夫妻も微笑んだままこちらを見向きもしない。
何も知らなかったのは私だけだったのだ。
呑気に王子を待ち続け、悲劇のヒロイン気取りで神殿に留まっていた自分がバカバカしい。
これからは、いや、これまでと同じように都合のいい駒として扱われるのだろう。
私は貼り付けた笑顔の下で、爪が食い込むほど手を握りしめた。痛みがあればまだ生きていることを確信できたから。
そして、その痛みを、幼い子供の心を踏みにじったアイツらを、大人の私は一生忘れない。
聖女としての役割は無くなったが、同時に居場所も無くなった。
神殿の聖女部屋から追い出され、そこに伯爵令嬢が来るのかと思いきや彼女は王宮に住み着いた。実家に帰ろうにも門前払いされ会うことすら出来ない。
頼み込んで神殿の端の部屋を貸して貰えたが、掃除や洗濯を押し付けられるようになった。
まぁ、王太子が便利な物扱いしてるから我々もそれに倣おうということなんだろうけどさ。神殿までこの対応なのは腐りすぎでしょ。
だけど、まさか国民にまで伝染しているとは思わなかった。
腐った神官に汚物でも見るかのような目つきで買い出しを言い渡された日、民たちに石を投げられるほど嫌悪されていることを知った。私が施した結界や魔除けの巡礼は、聖女代理が聖女乗っ取りを企み行っていたことだと吹聴されていたのだ。
噂信じすぎ。ゴシップ誌しか出回ってないのか!情報統制の理由が一人の人間を破滅させるためだとか、もうこの国終わってんでしょ。
額から流れる血を拭いながら走って逃げる中、底なしの穴に落ちていく感覚に堪らなくなり、巡礼先のシスターや司教様に問いただしたが、誰も彼も目を逸らして取り合ってくれなかった。
いや「お帰りください」じゃねぇんだわ。教会ですら王族と癒着しまくりなのか。神の使徒として誇りはないのか!ないか、あるのはお金だけだもんね。
悪役を作って新しい聖女の好感度を狙ったのか、私への罵詈雑言は道を通る度に酷くなっていく。
誹謗中傷に耐えきれなくなり、聖女補佐の辞退を申し出た日から神殿からは出して貰えなくなった。
この頃は本当にお花畑思考だったな、と思う。どうして直談判しに行っちゃうかな。早くこの国から逃げなさいよ。ほら、主よお助け下さいなんて呑気に願ってるから魔力全部吸い取られて魔物の森に捨てられちゃったじゃん!
王太子と伯爵令嬢は、魔物の森を浄化して隣国であるファイ帝国に恩を売ろうとウキウキで森に足を踏み入れてしまった。私を引きずって。
ファイ帝国とは魔法がどこよりも発展している国で、聖レギオン王国とはこの森を境界にしている。
ただ、魔物の巣窟であるこの森を通って行き来する人間はまずいない。S級ランクの魔物が住み着いてるため、冒険者や騎士団も近づくことが無い、厄介な場所だったからだ。
「くっ、キリがない。アルテミン!光魔法で一掃できないのか!結界を張るだけでは役に立たん!」
王太子の後ろにいた私は、退路の邪魔だと押しのけられ尻もちを着いた。水分を含んだ土が白い礼服に跳ねる。
まったく、王太子のくせに魔法の基本も知らないポンコツめ。魔法は訓練して上達するもの。結界やら浄化ばかりで魔物退治なんて生まれてこのかた初めてだったんだっつーの。
最終的に、森に入ってから5分も経たないところで植物やら小型の魔物に襲われ、撤退する始末。予想以上に深手を負った騎士が多かった。
「殿下、私の回復魔法も限界ですっ」
「くそっ、こんな時に!」
「わたくしに、アルテミンのような魔力量があれば・・・」
哀しげに伏せられた長いまつ毛と潤んだ瞳は、騎士や王太子の同情を買った。代わりに、魔力量や結界ばかりで役に立たない私には鋭い眼光が突き刺さる。
「そうだ!アルテミン、グランシーに魔力譲渡を行え!」
私の疲弊した心はさらに動揺した。
魔力譲渡は身体的接触を介して同じ属性の魔力を送り受け取るが、逆に言うと一度始めてしまえば接触を解かない限り流れ続ける。
「日が沈む前にさっさとしろ!」
「アルテミン、お願いします。魔力さえあれば皆を救えるのです」
お願いという名の強制に逆らえなかった。あげく、限界のラインぎりぎりで手を離そうとすると腕にすがり付かれた。「もう少し」「わたくしたちを見放さないで」と請われるうちに吐き気や目眩で立つことすらままならなくなり膝から崩れ落ちる。
「ありがとう、聖女の成り損ないさん。これが実力の差よ、恨まないでちょうだいね」
支えるフリをして耳元で囁く伯爵令嬢は、周りの騎士たちに見えない角度で器用に嗤っていた。私の縋る手は空を切り視界が暗くなっていく。
騎士たちが戸惑いつつも離れていく姿だけが見え、最後は誰もいなくなった。
王太子はどうか知らないけど、聖女様はハナから私を捨てるためにこの森に来たみたいだった。
やっと、解放される。と心から笑えた気がする。
###
「ああこれで死ねるんだ、と思ってたら何故か魔力が回復する感覚がしたの。すごく痛かったけどね」
「・・・ナルほドねー。空っぽの器に森の魔力が入ったから生き残れたのネ」
よくやったわ、と頭を撫でてくれたレイシーさんは、とても悲しそうに微笑んでいた。その優しさが嬉しくてつい抱きついてしまった。
それから、苦労した者同士、出会った夜に愚痴大会を開いた。お菓子も寝具もない土の上だったが、そんなことは気にならなくなるくらい盛り上がった。
打ち解けた私はレイシーと共に森に住むことにした。私に帰る場所なんてないしね。あの国にも王太子にも、未練なんか残ってない。
「まズは住む寝床を確保しないとネ」
「魔物の森に人間が住める場所なんてあるの?」
「ふふっ。ワタシを誰だと思っテるノ?こノ森のアンデットよ!」
レイシーはとても頼もしく、不敵に笑った。
森が魔窟になる前、魔物研究家が住んでいた小さな家があったらしい。なんでも、人嫌いが行き過ぎて魔物に囲まれて暮らした方がまだマシだと住み着いたんだとか。なかなかぶっ飛んでいる御仁だ。
腕のいい研究家を支援して魔物の森に小屋を建てちゃうファイ帝国もどうかと思う。
「ほラ、ここヨ!」
レイシーが自慢げに指さす。
そこには、レトロな木造平屋が佇んでいた。
「築50年?」
「80年くらいかしラ」
耐久性の限界ではなかろうか。風に吹かれてミシミシ言ってるし。窓ガラスなんてものはないけど、ドア開くかな。たてつけ悪そう。
「お、扉は案外いけそうだね。中は・・・」
「言わずモがナ。めちゃくちゃ汚いワ」
「うっ」
ギィと軋む音を立てながら押した扉の中は、蜘蛛の巣やホコリだらけのカビ臭い空間だった。虫がカサカサ這っている。キモい!
「さ、一先ずここデ休みマしょう」
何でもない風にレイシーはこちらを振り返る。あんあは寝る場所を選ばないらしい。
「そうだね。ただ、その前に」
「前に?」
「大掃除をします!」
眩しいほどの陽の光を程よく遮る木々が、乾いた空気で葉音を立てながら揺れる。
誕生日に貰った護身用の短剣を腰に差し、意気揚々と森に挑む小さな頬は上気していた。
「この先だ!向こうに珍しい魔物がいるんだって!」
魔物の巣窟と知られるこの森には、踏み入れる者などワケありしか存在しない。しかし、ごく稀に興味本位や慢心で冒険者が訪れる。
やめろと言われればやりたくなる。
そんなカリギュラ効果まっしぐらの小さな冒険家がここにいた。
「・・・ねぇ、やめようよ。母ちゃんがこの森は入っちゃダメって言ってたのに」
「うるさいなぁ。そんなんだから10歳になっても虐められるんだぞ」
気の弱そうな弟は茂みの揺れにおののきながら、兄の後を必死に追う。兄はチラリと後ろを見るだけでずんずん進んでいってしまった。
「兄ちゃん!ギルドからもこの森は禁足地だって言われて」
「うるさい!ただの噂だろ!アイツの親父だって、Bランク冒険者のくせにこの森には入った事ない臆病者だ!なのに、アイツは近所でデカい面して威張り散らしてる!ムカつかないのか!」
泣き言にイラつく兄は振り返って弟に諭す。
「僕だって嫌だよ!でも、冒険者みんながやめとけって言うのは、やっぱり狼の魔物とか、巨大蜘蛛の化け物が・・・」
弟の言葉が萎んでいく。兄の顔を睨みつけていた目は見開かれ、兄の後ろへ注がれている。
「ウェアウルフとゴアタランチュラだろ、そんなSランクの魔物なんてこんな街近くにいるわけないだろ」
迷信を信じる弟に呆れてため息混じりに零す。しかし兄は、弟がその迷信を目にして震えているとは気づかない。
「・・・しろ」
「は、白?何か白いのがいる、の・・・か」
弟が震える指を背後に向け、兄はそれを目で追って振り返る。どうせ兎かリスだろうとタカをくくっていた兄は後ずさった。
巨大な蜘蛛が木の影から顔を覗かせている。大人の身長ほどある身体は黒い毛でおおわれていて、8つある目は赤く光っている。
「ご、ゴア、タランチュラ・・・。まさか、そんなわけ・・・」
牙にも見える口を一定の速度で並行する仕草は、捕食される側にとっては不気味さをいっそう増すものだった。
ギチギチと何処からか音が鳴ると、仔蜘蛛が一斉に姿を現した。木の枝から糸を伝って垂れ下がり、茂みから飛んできたり、ゴアタランチュラの後ろから走ってきたり。
「う、うわああぁぁぁ」
あまりのおぞましさに、弟は足をもつれさせながら駆け出す。しかし、退路は既に仔蜘蛛に塞がれていた。
「そんなぁ・・・」
2人はパニックになりながらもお互いの手を繋いで身を寄せ合う。今はもう怖いという感情しか湧かず、兄は心の中で弟、そして両親に信じなかった事を謝っていた。
「だれか、誰か!助けて!」
仔蜘蛛が取り囲んで毒糸を吹きかける。視界が糸でいっぱいになり、死を予感した2人は走馬灯を見ていた。そして、もし帰れるのなら、とその先を夢見る。
「ごめん」
巻き込んでごめん。
兄は弟を抱きしめて言葉を落とした。これが最後だと思って。
「謝るなら最初っからやめておく!」
女性にしては少し低めの力強い声が響く。と同時に、黒い蜘蛛の糸は霧状になって風に運ばれて行った。
少年達は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。目の前には、ローブ姿の長身がマントを翻らせて立っていた。
兄弟へと振り返るフードは大きくて目深く、顔は陰っていて見えない。気がつけば、糸だけでなく小さい蜘蛛までもがいなくなっていた。
「あ、あんたが、助けてくれたのか・・・ですか」
フードの奥から問いかけに応えたのは、人の声ではなくカタカタカタッというなにか軽い石のようなものかぶつかり合う音だけだった。
「ヴィンス、口悪いよ」
話すような気軽さで、少女が茂みをかき分けながらマントの人物をジトッと見つめる。その声は最初に聞こえた叱咤する声と同じだ。
「さて君たち、こんな夜更けに魔物の森で何をしているの?」
少年たちの言い分は分かった。近所のガキ大将に勝ちたくて、ソイツの尊敬している冒険者の父に恥をかかせたかったらしい。なんとも幼稚すぎる考えだ。本当に12歳なんだろうか。いや、やんちゃ盛りのお年頃でもあるのか。
「頭悪すぎだろ」
そう愚痴るのは、かの有名な人間嫌い研究家だ。ヴィンスもレイシーと同じくアンデット化していた。だが、ローブの下は骨だけで構成されている。魔物研究の道半ばで息絶えた悔しさに目を覚ますと、骨だけで土に埋まっていたらしい。
なんたる執念。
カタカタ揺れる骨に少年たちはビクッと体を揺らす。
「な、なんでこの人は喋らないんだ。・・・ですか」
「だから気色の悪い敬語を使うなと言っている」
気を使うな、と言いたいのだろうか。骨だけのアンデットにツンデレ要素とは設定盛りすぎだろう。表情筋がないから真顔で言ってるガラの悪い兄さんにしか見えない。
悲しいかな、ヴィンスの言葉は少年たちには届かず、余計に怯えられて肩を落としていた。
「さて、街にお帰り。と言いたいところだけど。君たち、お願いを聞いてくれないかな?」
命を救った見返りの重さを測りかねて不安そうな顔をする2人。大丈夫大丈夫、悪いようにはしないから。
彼らにお願いした事は3つ。
1つ。周りの子供をこの森に連れてきて。そして、見聞きしたことを冒険者や商人を使って噂を広めること。
2つ。この森から遠吠えが聞こえたらゴシップ社に「教会や神殿に携わる全ての人も王家から金を貰ってアルテミンを迫害していた」とタレこむこと。
3つ、この森から王太子が出てきた後「真の聖女を殺した王太子や婚約者たちは神から呪われた」と広めること。
なんてことは無い。子供にも出来る簡単なお使いだ。ただし、失敗したら家族もろともこのフードのお兄さんに火炙りにしてもらうという脅し付き。
「無害な内容に見せかけてえげつないお願いをするもんだな」
任せとけと意気込んで走り去る少年たちの後ろ姿が消えるのを待ち、ヴィンスがため息をつく。
「人聞きの悪い。私は噂を広めるお願いをしただけだよ」
「噂の元となる餓鬼たちが殺されるかも知れんぞ」
おや、人間嫌いが人間の子供の肩を持つとは珍しいね。そう揶揄したら頭の後ろを軽くはたかれた。
「そうなったらなったで、噂の信憑性が増すでしょ?王太子は口封じをしたってさらに疑心暗鬼になるといいよ」
「元聖女とは思えん発言だな」
「その元聖女の死を願ったのはあの国だよ」
そう。それはあの少年たちも同じだ。私を魔女と呼んで石を投げる大衆の中に、子供たちもいた。
それがあの子たちだったかは覚えていない。だけど、そんな事はどうでもいいほど。
「みんな死ねばいい」
家は静寂に包まれた。だが、ヴィンスは私から視線を逸らさずに軽く笑った。骸骨に目は無いだろうけど。
「ハハッ、人間嫌いの仲間が増えたな」
「まあ、でモこれデ王族の悪評は広まるわネ」
帰ってきたレイシーが、扉を軋ませながら笑顔で告げる。
「レイシーは反対しないのか?お前には妹がいたんだろう。あの餓鬼たちを見て気が変わるんじゃないかと思ったが」
「フフっ。私はネ、大事なもノ以外はどうでモいい主義なノ。アルテミンがやりたい事なら手伝うわよ。ソれに、仕返し相手二女子供は関係ないデしょう?」
自然と頬が緩む。自分勝手だと分かっているが、こんな事を言っても私という存在を疎まない2人が大好きだ。
「ほう。人間は庇護対象と同年代だったり同族を庇うものだと思っていたが」
「ソれを偽善者とか同情って呼んだりスるわネ。てイウか、アナタも元人間じゃナい」
「人間という括りに入れるな。俺は研究者だ」
「アラ、人間と研究者っテ違う生き物なのネ。初めて知ったワ」
あれ、なんか不穏な空気。
「そういう意味じゃない。馬鹿なのか」
「ソう言うアナタこそ、表現力とか対話力が壊滅的ネ。言語化ノ練習からやり直したラどう?」
「分からないなら言ってやる。馬鹿な人間と一括りにするなという意味だ。少しは読解力を鍛えたらどうだ。そもそも、表現力というのは」
あ、まずい、これは長くなる。
「そろそろ半年だね!噂も国中に広まっているかなあ!」
パンッとてを合わせて張り詰めた空気を霧散させる。
「・・・ああ。冒険者や騎士なんぞも来てたくらいだ。評判に敏感な王族の耳にも届いてるんじゃないか」
「それ二しても、王族の悪評でも記事にするなンて。ホントに売れそうな話は何でも載せるのネ。よく潰されないわネ、その編集社」
切り替え早いな。この人たちの情緒ってどうなってるんだろう。
「まあ、不正を摘発して皆から信頼されるようになったうえ売上も急上昇だし、人の興味とお金が手に入れば何でもいいと思ってるんじゃないかな」
「アルテミンから話を聞く限り、王太子は感情に任せて行動する節があるから、自分で噂を確かめに来るんじゃないか?」
「うん。私もそう思う。だからそろそろ・・・」
「アルテミン!いるのか!?」
噂をすれば。早速ポンコツのお出ましだ。なんで自分から罠にかかりにくるのだろう。飛んで火に入るナントヤラ。
「いるのなら出てこい!」
森の入口から浅い部分で喚き散らすポンコツ王子。昼間とはいえ、魔物の巣窟だ。自ら魔物を呼び寄せてどうするんだろう。出ていくのが私じゃなくて狼とかだったら確実に死ぬと思うんだけど。
「どうすんだ?」
「うーん、少し脅かしてからお帰りいただくよ。前に頼んだヤツは出来てる?」
ヴィンスがニヤリと笑った。気がした。
私が喚き散らしている王子の視界に入ると、ポンコツと騎士達は化け物を見るような目つきで固まった。
肌は灰色で、肩下まで切り取られた髪は水分を失って広がっている。神殿の服は擦り切れて血と泥にまみれ、腹部からこぼれ出た腸を地に垂らしている。
ギョロリとくすんだ目を向けると「ひっ」という情けない声が男共から漏れた。
「なぜ、私を裏切ったのですか」
「あ、アルテミン・・・」
一歩ぎこちない足取りで近づくと、アイツらは後ずさる。
「なぜ、私の居場所を奪ったのですか」
「おちつけ・・・」
踏み込む。同じ数だけ後ずさる。恐怖に引き攣るその顔にニヤケ顔がやまない。
「なぜ、私を殺したのですか」
「殺してなどいない!お前が勝手に死んだのだろう!」
手を振り下ろして王太子が抗議する。それはあまりに身勝手な解釈だった。どうして自らの行いが他人の死を招いたと理解しないのか。
あまりの興醒めに、表情筋が仕事を放棄した。
「そう。なら、ご自身が同じ状況に陥ったとしても、同じ事が言えますか?」
「お前が、この私を殺せるとでも!?」
はぁ。
「はい」か「いいえ」で答えられる質問にも答えず、明後日の方に解釈するほどに馬鹿だったのか
この人は。いままでもそうだったはずなのに、恋とは盲目すぎて恐ろしい。
「いいえ、私は殺しません。貴方が勝手に死ぬのです。この呪いによって」
呪いという言葉を合図に、彼らが踏みしめる地面が光り出す。
「な、なんだこれはっ!」
魔法の基礎を知らないポンコツはもちろん、フィン帝国の魔法に疎い騎士たちも足元の毒々しい色をした魔法陣に戸惑う。
各国の魔法に詳しい者を連れてきていればいいのに。劣等感を抱くポンコツが魔法使いを連れてこなかったのが彼らにとっては不幸となる。
やがて魔法陣の光は掻き消え、何も無かったように森のざわめきが戻る。
「なんだこれは!アルテミン!私に一体何をした!」
「だから呪いですよ」
「一体なんの呪いだ!」
「ふぅ。もう一度いいましょうか。貴方、いえ貴方達が勝手に死ぬ呪いです」
「なっ?!」
無関係だと思っていた騎士たちも戸惑いの表情を隠さない。
「では、ご武運を」
「待て!このままで返すと思うのか!」
「殿下!お待ちください!!」
王太子が私に向かって手を伸ばすが、ポンコツはどこまで行ってもポンコツ。魔物に囲まれていることも知らず大声を上げ続けて自ら引き付けた。予想外の行動をするポンコツに騎士も間に合わず、腕を魔物に噛みつかれる。
「ああああああああ!」
痛みに腕を振り回しながら尻もちをつく。騎士達が魔物の首を切り落とし、次々と現れる魔物に剣を向ける。
「ア、アルテミィィィイイン!!!」
憎しみと悔しさが込められた雄叫びは、魔物を薙ぎ倒す騎士達に担がれて遠ざかっていった。
「なにあの顔、醜いにも程があるでしょ」
美形でも心が醜ければ醜悪に見えるらしい。一瞬、ゴブリンかと思ったくらいだ。
「アララ、想像以上にポンコツだったわネ」
ニヤケながらレイシーが隣に立つ。
「ポンコツと言うよりアホだろ」
木に背を預けたヴィンスが腕を組む。どうやら呆れを通り越して笑っているようだ。
「少し見れば、これが灰を混ぜた土だって事はわかると思うんだけどね」
湿度の高い布が張り付いている感触のする腕を曲げると、土にヒビが入りその隙間から本来の肌色が覗く。
「服はワザと汚したのはイイとして、ホントに髪を切ってよかったノ?ダイブ短くなっちゃったけど」
腰下まであった髪は今や肩下までしかない。
「うん。もう貴族じゃないし、それに軽くなって動きやすいしね!」
「フフっ。そうネ、それ二今のアルテミンの方が私は好きヨ」
擽ったくてどういう顔をすればいいか分からず、汚れまみれのままレイシーへ飛びつく。レイシーも気にせず笑って抱き締め返してくれた。
腹部に巻き付けた魔物の腸ごと。
「にしても、なんの知識も無い奴が王太子なんぞ世も末だな。光魔法の使い手であったアルテミンが闇魔法の呪いを扱えるわけが無いだろうに」
「結局、アの魔法はなんノ効果があったノ?」
「魔物寄せだ。魔物が好む香りを付与している。無効魔法が無い限り、その匂いを辿って魔物から追跡される体質になる」
「好ム?」
「好むと言うより興奮する、だな。猫にマタタビだ。齧られ、遊ばれ、八つ裂きにされるだろうな。効果は1年」
「なるほどネ。隠れてモ土に埋まってモ匂いがある限り逃げられナいってことネ」
「私には魔物避けの香りを付けてもらったから襲われなかったんだよ」
「へえ。さすが、魔物専門研究科ネ」
「奴ら、腕の治療のために最寄りの街に向かったみたいだな」
「あノ子供兄弟が来た街ネ」
「なら、今夜にでも始まるかな」
レイシーに抱きついたまま、ボソリと呟く。グフフという笑い声から悪役の顔をしていると思われたのか、レイシーにデコピンをくらった。
###
「うわぁああ!」
「逃げろ!魔物だ!」
その夜、予想通りに森から1番近い街は魔物に襲われた。
街は一夜のうちに混乱に陥り、隣の街へ逃げる者や魔物の被害にあう者ばかり。逃げ遅れて助けを呼ぶ声や怒号でパニック状態だった。
普段、森から出てくることのない魔物に冒険者や警邏隊は困惑したが、己を鼓舞して奮い立った。
だが、いくら心が強くても生きるか死ぬかの戦いでは乗り越えられない運命もある。
「なぜ、Aランクの魔物が出てくるんだ!」
Aランクパーティー1組とギルドマスターが前線に立ち防波堤となっていた望みが決壊するのは時間の問題だったと思う。
ランクは低くとも多すぎる数のせいで、次々と立ち向かう者が倒れていく。近隣のギルドへ救助要請は出したがいつ来るか分からない不安の中、一丸となっても止めらないレベルの魔物に絶望の声が広がる。
そんな中、ある子供が呟いた。
「呪いだ・・・」
「呪いだ、のろいだ、ノロイだ!!」
弟の囁きを兄が広い、気が狂ったように喚く。
「あの人の言ったことはホントだった!本物の聖女様を殺したから王太子は呪われたんだ!だから魔物が寄ってきたんだ!」
疑問符が残っていた私の3つ目の頼みが、目の前の惨事を表していたのだと理解した瞬間、恐怖した。人は都合のいいように物事を繋げる事があるらしい。
この兄弟が勝手に予言と状況を繋ぎ合わせただけなんだけど、負の感情に引っ張られやすいこの惨状では責任の所在を明らかにしたこの言葉は皆の心にストンと馴染んだ。
「王太子はどこだ!?」
「呪いってどういうことだ!」
魔物から逃げ惑う人達は、警邏隊の避難指示も聞かずに怪我をして滞在しているはずの王太子を探して周りを見渡した。隠れてるからそう見つからないだろうけどね。
「まさか、今の聖女様も呪われたんじゃないだろうな・・・」
「そ、そうだ!聖女様も呪われたって言ってた!」
「そんな、教会も神殿も当てにならないのに、どうすれば・・・」
「くそったれ!王太子が本物の聖女様の悪評を流さなければ!」
「あの時すでに二股してたってこと?最低ね!」
二股に怒ってる場合じゃないでしょうよ、魔物が近くにいるんだからさ。
こういう時に駆け込むのが教会や神殿であり、すり減った心を癒すのが神官や聖女の役割だ。なのに、賄賂などという醜聞を抱えた教会や神殿は信用出来ず、頼りの王太子や婚約者である聖女は呪われた。
我々は、一体誰を頼り誰を信じればいいのか。
と、漠然とした不安に住民の目の前が暗くなる。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も街を超えて隣の街にも魔物は湧いた。その被害経路は、日が経つにつれて都心部に向かっていることがわかった。
人々は言う。王太子が通った街が襲われる、と。そのうち、王太子は表立って街に出入りするのを辞めた。しかし、魔物の襲撃で痕跡がバレてしまい、その隣の街は戦々恐々としていた。
そして、口々に言う。
なぜ王太子は逃げるように隠れているのか。本物の聖女を殺した責任をとれ。
なぜ国王は魔物対策を講じないのか。抗議した領民に重税を課して口封じするな!
なぜ教会や神殿は癒し手を派遣しないのか。金がない者は見捨てるってのか!!
田畑が荒らされ、家も荒らされ、働くこともままならなくなった民は、すでに餓死する規模が拡大しスラム街と化す区画が増加している。
マイナスな評価ほど、人々の心が侵食されやすく払拭することは簡単には出来ない。王家が嵐が過ぎ去るのを待って沈黙を保てば保つほど、確信は無いが流れてくる噂が火に油を注いでいった。
魔物との戦いになれていない騎士団は、派遣されても冒険者より使い物にならなかった。
あれだけ腑抜けた王太子が上司じゃあ、騎士団もまともな人種はいなそうだね。
いつ自分が被害に遭うか分からないストレス、日常を送ることが叶わない恐怖、的外れな王家の政策に対する不満。物価の高騰と食料品の不足に、ひと月、半年と経つ毎に、被害に比例して民の怒りは張り詰め、街から街に共鳴して大きな声となる。ついに爆発したのだ。
あらゆる領で平民の代表者が先陣を切り、領主の屋敷を襲撃したり駆けつけた騎士に対抗し出した。もちろん護衛はいたが、数は暴力となる。1人に対して数人で滅多打ちにした。
関心のない冒険者や商人は隣国へ逃げていたが、剣術の覚えがある警邏隊や知識のある役人は平民に同情し、混じって騎士と対峙した。
だが、魔物の被害は依然収まらない。むしろ都心部へ向かうにつれて人口も多くなるため被害は増加。
革命民はいくつかの派閥に別れ衝突を繰り返すうち、逃亡中の王太子を捕縛した。平民と同じ洋装をすることに拒否感を覚えた彼は、夜中でも目立っていたらしい。むしろよくここまで逃れたな。
市中引き回しの刑で人から石を投げられ、血で服を汚しながらも王太子は無罪だと叫んでいた。
ざまあみなさい。
最終的に王城から見える広場で処刑された。そこには広場や通りに収まりきらない程の平民が見物に集まり、空気がビリビリと揺れるほどの熱気で「王太子を殺せ」と口々に叫んでいた。
あれだけ私の言い分を嘲っていたのに、今や彼が命乞いや無実の主張を繰り返していた。なんか、情けないというか呆れるというか。
王太子の処刑から数日の間、胴体は処刑台の上、頭部は革命軍の旗をこさえたポールの先端に飾られ続けた。まるで勝利の象徴のように。
それが魔物を呼ぶとは知らずに。
魔物寄せの効果は1年。それは死んでも変わらない。その先半年は王太子の死体があるところに魔物が湧く。土に埋まっていても関係ない。
そんなこんなで、城下町は一夜で人が消えた。代わりに住むのは数多の魔物。そしてその先にある王城や神殿も生きた人間が住んでいる気配はなくなった。王太子妃はドアに手を伸ばす形でこときれており、王や王妃は無惨な姿で王座に倒れていた。
どうせ、王城は安全だとでも思い込んでいたのだろう。さっさと逃げればよかったのに。
あの森に来た王太子に同行した騎士は気が付かなかったのだろうか。魔物寄せを付与されたのは、魔法陣に乗っていた全員だ。
つまり、伝書鳩のように先に王城へ駆けて行った騎士も、匿い先として神殿や教会へ乞いに行った騎士も、全員が魔物を寄せる存在となっていた。まさか、自らが王を殺す存在となる事は微塵も考え至らなかったらしい。
ここまで上手くいくとは思わなかったな。ポンコツは自国の壊滅を加速させる才能だけは持っていたみたいだね。
王家は、処刑される間もなく途絶えた。
魔物襲撃の場所からは運良く離れた領の貴族たちは国の責任者を失い、散り散りに国を出ようと逃げ惑った。統率を失った領民もまた、隣国へ向かうしかなかった。
###
「正規ルートはもうダメです!ファイ帝国が見張りを配置しているため使えません!」
「では森だ!あの森からであればファイ帝国に、そしてその先の国にも通じているだろう!」
「ですがあの森はっ」
「ええい喧しい!同盟であった隣接国が皆掌を返してファイ帝国の傘下に入って国境断絶状態なのだ!あとはこの森しか逃げ道が無かろう!」
というわけで、このクソな国は周りの国に見放された。ここまで魔物に襲われた歴史的記録はないため、理由も分からないうちはその領地の人間を国に招くわけにはいかないしね。
まあそれは建前で、端的に言うと「聖レギオン王国は呪われた。接触すると伝染るのでお気をつけて」と半年前から各国でふれ歩いていたのだ。
私はまだ肉体があるから、平民と同じ服で髪を土で染めておけばバレることは無い。
最初は笑われて終わりだったが、聖レギオン王国での不穏な噂が広まるにつれて、私の言葉は国境付近の住民の不安を煽るには十分だった。おかげで、きちんとした領主は陳情を受けて見張りを立てている。
海に面していない聖レギオン王国は、北をリバティー共和国、東をシソールド王国、南と西はファイ帝国で囲まれている。貴族たちは、森を通りファイ帝国との国境付近から他国へすり抜けられれば無事だと踏んだのだろう。
だが、そうは問屋が卸さない、というわけで。
「私が悪かった!」
「頼む見逃してちょうだいっ」
「子供まで殺す気?!」
「金ならやるから・・・」
様々なアピールで助かろうとする貴族達は、女子供関係なく声帯と手足を潰して仲良く森の入口に飾ってもらった。
木で作った吊るし棒を地面に刺し、そこに吊るした貴族達は、血の匂いにつられた魔物により足元から齧られていく。だけど悲鳴をあげることも助けを呼ぶことも出来ない。
まあ、声を出せたとしても誰も助けには来ないだろうけどね。
「ふふっ」
乾いた笑いが森の奥から響く。
森の中から太陽を背にした磔の遺体をうっとりと眺める。
下半身を失って内蔵が垂れている者、肉を全てそがれ骨が地面に積み上がった者、痛みに筋肉が痙攣し続ける者、口を限界まで開き何かを叫ぼうとする者。
「やっぱり、人間は死んだ後の方が輝いてて良いね」
「お前・・・ネクロフィリアだったのか」
「ちょっと、興奮はしてないから!レイシーもそうだったけど、魂の光が肉体に影響してキラキラしてるから綺麗だな、って思ってるだけだよ」
決して変な性癖を持ってるわけじゃないからね!と念押ししたけど、納得して無さそう。その目はやめなさい。ヴィンスに目はないけどさ。
「アラ、こんナ姿でも綺麗ト言っテくれるのは嬉しいわネ。ありがとウ、アルテミン」
レイシーがとびきりの笑顔で微笑んだ。心做しか肌の輝きや目の煌めきが増した気がする。
「ふーん?俺には腐った肉にしか見えないが。それもネクロマンサーの特性なのかもな」
特性。たしかに、聖女の仕事中、棺に入った死者を見た事はあるが、キラキラしてるなとか綺麗だなとか思った覚えは無い。
「わざわざ『腐った肉』なんテ言う必要ナいんじゃナい?アナタだって脳ミソが無くなった骸骨ナんだから」
「正しくは『脳』だ。『脳ミソ』は平民が俗称で使っているもので医学的な名称は『脳』。それに、俺は『脳』がなくてもこれまで通り研究を続けられる思考回路と物理干渉ができるから問題ない」
また始まった。
レイシーいわく、ヴィンスは屁理屈頑固骨。ヴィンスはレイシーを脳筋アタッカーと呼んでいる。ちなみに私は、アルテミンやチビで馴染んでいる。
「研究会デは『脳』を使えばいいけど、『脳ミソ』も親しみを持たれテ普及しテるわヨ。研究バカは世間に疎くテ大変ネ」
「世間は俺が生きていた頃より300年は経っている。お前だって今や世間には疎いだろうに。だいたい歳だってもう2ひゃ」
ヴィンスが言い終わる前に木の幹を貫通して飛んで行った。ズズゥンと重々しい音を立てて木が倒れていく。
唖然として後ろを振り返ると、レイシーが拳を振り下ろした状態で静止していた。彼女の周りは木の葉が舞い、その風で髪が風に靡いてはハラリと落ちる。
「さて、ご飯にしましょうね。王国の崩壊記念日だから、ご馳走にしましょう。ね、アルテミン」
俯いていた顔はパッと上げられ、いつも通りの笑顔で私を見る。一瞬、般若の顔が見えたけど気のせいだろう。
「ウン、ソウシヨウ・・・」
私は何も見ていません。
森の奥からモゾリというヴィンスの起き上がる音が聞こえるけど無視しよう。
レイシーの前で、歳の話はしないようにしようと心に誓った。
###
千年栄えた聖レギオン王国は、たった1年の混乱のうちに滅んだ。全土を揺るがす変動に、王家が治世を乱すと神の怒りを買うと噂になる程だった。
民を失った聖レギオン王国には魔物が居座っていたが、周りの国により数年かけて間引かれた。森に帰っていく魔物はそのままに、王国は各国の領土に解体された。
魔物の森は名実ともにファイ帝国の管理下に置かれることとなる。近づくことも禁忌とされた魔物たちの聖域の入口には、未だに凄惨な遺体や吊るし棒の名残が残る。さながら処刑場のような有様が畏怖の象徴となっている。
それでもまれに行き場を失った哀れな人間が森にやって来る。行き倒れ、肉が腐り落ち、それでも這い上がる激情をもつ者に手を差し伸べるのはかつての聖女。
聖女は森の中で半分死にながら、半分生き続ける。
魔物と名を失った者が共存する森は、いつしか「呪いの森」として恐れられた。




