7、毒婦は理解が出来ない
アイリーンはエズメが去った後、しばらく呆気に取られていた。
「……結局、あの人は何をしに来たのかしら?」
先程エズメから、アイリーンのしたことを聖騎士団は把握している、と伝えられた時には、何か重い罰が下されるのだと思った。しかし実際には、今後一年間、聖騎士団はアイリーンとロジャーに一切関わらないということを、せいぜい重々しく宣言しただけだった。
「聖騎士団に属する者は、私たちに一切関わらない、ですって。……今までも関わりなんてなかったじゃないの」
アイリーンは急に可笑しくなった。そこで、笑いながらロジャーを見た。
「聖騎士団なんて大袈裟な名前だけれど、大したことはなかったわね、ロジャー」
しかし、ロジャーは心なしか顔色が悪かった。
「……アイリーン、君は理解していないのか?」
「何を?」
「聖騎士団が一切関わらないということは、少なくとも一年間は我々が助けを求めても応じないということだ」
「別に構わないでしょう、何か人から恨まれるような悪いことをした覚えもないもの」
黙り込んでしまったロジャーを見て、彼には何か心当たりがあるらしい、とアイリーンは察した。
(全く、困った人。どんな悪さをしたのかしら。顔が良いばかりで弱気なジョシュアよりも、ずっと有能で頼りになると思っていたのに。こうなれば彼にもお仕置きが必要だわ)
昔から、相手に反省してほしい時や、相手の愛を確かめたい時、アイリーンは手作りケーキに密かに庭の草花を混ぜて食べさせてきた。彼女が好んで庭に植える花は、どれも毒のあるものばかり。彼女はこう考えていたのだ。運が良ければ少し体調を崩すだけで済むだろう。運が悪いのは神から見放された証拠。相手が悪くなければ死ぬこともないはずだ、と。
毎年の秋祭りの主役はアイリーンに決まっていたのに、ある年の秋祭りで主役の座を奪った幼馴染や、アイリーンの「ささやかな」贅沢を許せるほど稼ぐ能力のなかった夫が死んだのは、彼らに非があったからだと、彼女は本気で考えていた。
反対に、モリーとアウロラとベルが、しばしばアイリーンを苛つかせたにも関わらず、「特製」ケーキを食べても全く平気だったのは、幼い子どもに罪がなかったからだとも思っていた。ならば、一緒に同じケーキを食べているのに何ともない自分にも、罪などあろうはずがない、というのが彼女の考えなのだ。
毒入りケーキを食べても無事だったのは水妖の血を引く彼女たちが強い解毒能力を持つからなのだが、アイリーンはそのことを知らなかった。祖父母や父からどれほど自分たちの一族について聞かされても、まともに聞いたことなど一度もなかったのだから。
ただ、自分が水妖の血を引くことは知っていたので、自分が美貌と魅力に恵まれていることや、どうしても真実の運命の相手を強く求めることをやめられないのは、そのためなのだろうと思っていた。
そして彼女は、長いこと、物語に登場する美しい水妖と自分を重ねて、その「悲恋」と「哀しい運命」に酔い続けていたのだ。
「大丈夫よ、ロジャー。貴方ほど賢くて才能に溢れた人はいないのだもの。どんなことがあっても切り抜けられるわ。今は空腹だから、後ろ向きにしか考えられないだけよ」
アイリーンがそう言いながらロジャーの目を見つめて微笑むだけで、ロジャーはたちまちその気になった。
「……そうだな、聖騎士団に助けを求められなくても、他に手がない訳ではないんだ。教会もあれば、怪しげではあるが野良の退魔師もいるんだから」
「ええ、そうよ。ロジャーの言う通りだわ」
アイリーンはロジャーに向かって慈愛の天使のような笑顔を浮かべながら、内心、よくぞこの単純さで今まで法廷で戦って来られたものだ、と冷笑した。
ロジャーを愛していたと思っていたのは錯覚で、亡き夫のジョシュアと同じく、彼もまた、アイリーンにとって真実の運命の相手ではなかったのだ。そう思うと、彼と出会って過ごした日々さえ忌々しく思われてきた。
だから彼女は、「特製」ケーキをいつもよりもずっと大きく切り分けて、笑顔でロジャーに差し出した。
「さあ、私の自慢のチョコミントケーキ、どうぞ召し上がれ」
その翌朝以降、アイリーンとロジャーの姿を見かけた者は、誰もいない。
* *
エズメが借りたバンガローでの療養中、モリーは久しぶりに従妹たちに手紙を出した。内容は、アイリーンに注意するように、というものだ。モリーが薔薇荘を出た後でアイリーンに何を吹き込まれたのか、すっかり彼女たちはモリーと疎遠になってしまった。それでもモリーの中には、まだ彼女たちへの情が残っていたので。
叔母は理解していなかっただろうが、モリーを窮地に陥れ、聖騎士団から今後一年間一切関わらないと宣言されたということは、聖騎士団経由でモリーから受け取っていた送金がなくなるということだ。
そうなると、今度は既に嫁いで新たな家庭を築いた従妹たちから搾取しようとするかもしれない。モリーは聖騎士団の二級守護者なのでそれなりに高給取りだったが、それでも叔母を満足させるほどの仕送りは出来なかった。叔母の欲望は底の抜けた壺のようなもので、到底、普通の暮らしを送る従妹たちの手に負えるものではないのだ。
手紙に封をした後、モリーは近くで遊んでいたコマドリ姿の愛らしい使い魔に、二通の封筒を差し出した。この使い魔の主が聖騎士団長ハワード・キャンベル卿だと知った上で。
「シェーンさんから聞いたのですが、ハワード卿は、私の従妹のアウロラとベルの現在の住所を把握していらっしゃるそうですね。どうか、この二通の手紙を、彼女たちに届けてくださいませんか?」
その姿を見たベッキーとエズメはひそひそと囁き合った。
「少なくとも気持ち悪いと思われていないのは、ハワードにとって僥倖なのかな?」
「でも、どうやらモリーはハワード卿の気持ちに全く気付いていないみたいよ」
二人は、二通の封筒を重たげに咥えて飛ぶ使い魔と、その主たるハワード・キャンベル卿にいたく同情した。
「ハワードもそうだけれど、モリーは他の聖騎士団員たちからも愛されているよね」
ハワード卿の使い魔に手を振るモリーの右中指に護り指輪が光るのを見て、ベッキーがエズメに言った。
「例えばあの護り指輪がそうだ。一級守護者の魔力と強い祈りが込められている。あれがなかったら、幾らモリーの破魔の力が強くても、家もどきの悪夢に二晩も耐えるのは難しかっただろう」
「あれは一級守護者のメグの魔力ね。最年少で冷静なメグと、最年長で猪突猛進のモリーだけれど、それで互いに補い合うものがあるのかしら、不思議と仲が良いのよ」
「守護者で猪突猛進というのも不思議だよね。普通、守護者は後方支援担当じゃないか」
「それはフォスター家の血のせいかもしれないわ。私はモリーの適性は前衛職にあると思ったのよ。でも、ヒルダ・フォスターが、たった一人の姪をなるべく危険に晒したくないと、モリーの在学中に無理やり二級守護者の資格を取らせたのよ」
困ったものよね、と言いつつエズメは温かく微笑んでいた。
「フォスター第三隊長にとって、モリーは唯一の肉親だからね」
ベッキーが頷くと、エズメは更に付け加えた。
「それに事務部も、引退した団員たちも皆すぐに協力してくれたのよ」
「結局アイリーンは、モリーという人間を理解出来なかったのだろうね。モリーがどれほど多くの人々に愛されているのかも、そういう人間を敵に回せばどうなるのかも」
「きっと、愛そのものさえも理解出来ないのよ、ああいう女は」
エズメがそう結論付けた。
フーケーの『水妖記』に登場するウンディーネはアイリーンのような邪悪な女性ではないので、念の為。こちら異世界恋愛好きな人におすすめの一冊です。
作中、アイリーンの好む花として挙げられた花は、全て毒があります。命に関わる毒を持つものもあり、決して自分や誰かの口に入れてはならないものばかりです。




