6、聖騎士団員、予想外の難敵に遭う
エズメの借りたバンガローの一室、モリーとエラの契約の直後。
町へ出かけたシェーンと入れ替わるように、エズメの秘書、ローラが粥を運んで来た。
「モリー、お粥を作ったのだけれど、食べられそう?」
「ありがとうございます、ローラさん」
モリーは粥をスプーンで掬って口に入れ、慌てて口を押さえた。
「ごめんなさい、まだ熱かった?」
心底申し訳なさそうなローラに向かい、モリーは何とか粥を飲み込むと、はっきり告げた。
「本当にごめんなさい。このお粥、全然美味しくないです」
エラが粥を舐めて分析した。
「鶏と葱と生姜のスープで煮たのに、最後にお塩じゃなくてお砂糖を入れたのね。それもライスプディング並みにたっぷりと。しかもダマだらけだわ」
「……ローラは当分、モリーのブラウニーから料理を教わるべきだね」
ベッキーの指摘に、哀れローラは無言で項垂れた。
「お粥からダマとお砂糖を抜く魔法をかけてあげるから、一緒に作り直しましょ。さあ台所に行くわよ!」
エラが気の毒なローラの肩に飛び乗り、凛々しく号令をかけながら部屋を出て行く姿を、モリーは笑って見送った。
「良かった、エラが元気になって」
「それで、君の方は大丈夫か?」
「実は、あまり……」
ローラの手製粥で気分が悪くなったモリーに、ベッキーはハーブティーのカップを差し出した。
「これを飲むと良い。胃腸を整えて気分をさっぱりさせる作用がある」
モリーがハーブティーを飲んで少し落ち着いた頃、エズメが顔を出した。
「モリー、気分はどうかしら?」
モリーは茶目っ気を込めて答えた。
「先程、予想外の難敵に遭遇しましたので、使い魔に対処を任せました。ベッキーのおかげで大きな損害はありません」
モリーの返事を訝しんだエズメは、ベッキーからローラ手製の粥の話を聞いて苦笑した。
「ローラは気立ては良いし、仕事も出来て、それに手先も器用なのに、料理だけがどうしても、なのよね」
「あれは呪いだと思うのだけれどなぁ」
ベッキーがそう嘆息したところで、エズメは話題を変えた。
「さて、モリー。貴女にアイリーン・スターリング夫人と、その恋人であるロジャー・マクドナルド弁護士に対する措置を伝えておくわね」
エズメはモリーに説明した。今後一年間、聖騎士団に属する者はアイリーン・スターリングとロジャー・マクドナルドに一切関わらない。それが聖騎士団長ハワード・キャンベル卿をはじめとする聖騎士団の総意である、と。
「幾ら血縁者だからといって、助けようだなんて思わないで頂戴ね、モリー。これは他ならぬ貴女を危険な目に遭わせた報復なのだし、彼らが罪を犯していなければ、一年は無事に過ぎるはずなのだから」
エズメの目が「決してそうはなるまい」と言っているように見えたので、モリーは恐る恐る尋ねた。
「叔母には、何か余罪が?」
「ええ。彼女はケーキに毒を混ぜて焼いていたのよ。私が訪ねることを知らなかったはずなのにチョコミントケーキからジギタリスの匂いがしたわ。ということは、多分、あの弁護士に毒を盛るつもりだったのよ。どうして弁護士がジギタリス独特の甘い匂いに気付かないのか、不思議で仕方なかったわ。それに、あれはきっと今回が初めてではないわね」
「初めてでは、ない?」
モリーが聞き返すと、エズメは頷いた。
「彼女の周囲で、若くして急死した人が何人かいるでしょう、夫とか、友人とか」
「叔父は馬車の事故で亡くなったと聞いています。祖父の死後間もない頃で、それで叔母は薔薇荘に従妹たちを連れて戻って来たのですから」
「タイミングが良すぎるのよ、貴女のお祖父様が亡くなってすぐに夫を亡くすなんて。彼女の夫本人も怪しんでいたのね、まだ彼女の周りをさまよっているくらいだもの」
「私は見たことはないのですが」
「昔の貴女は無意識にその破魔の力で霊たちを振り払っていたものね。それで、おそらく彼はずっと遠巻きにアイリーンを見ていたのでしょう。彼女の家の花壇で呟いていたわ。『……毒、毒、毒ばかりだ』って」
モリーの肌が粟立った。血の繋がりも直接の面識もない叔父だが、叔母が薔薇荘のリビングに写真を飾っていたので、顔と名前だけはよく知っていたから。
「台所には若い女の霊もいたわね。……大丈夫、貴女の従妹のどちらかではなさそうよ。着ていた服は二十年前の流行りだったし、顔もアイリーンに似ていなかったから」
しかしその女性も顔と名前を知っている人かもしれない、とモリーは思った。叔母は亡くなった親しい人の写真を何枚も薔薇荘のリビングに飾っていたから。
……まるで、トロフィーのように。
モリーは、ふと脳裡に浮かんだ言葉を振り払うように首を振った。エズメの話はまだ終わっていなかったから。
「弁護士の方も曲者よ。十年前に失踪したアビゲイル・マクファーソン嬢の霊がついていたもの」
それは当時、アーケイディアの全ての新聞社がセンセーショナルに報じた失踪事件だった。アビゲイル嬢はアーケイディアの牧師の娘だった。赤い髪が印象的で、真面目で親切で慈善活動に熱心な美人として知られていた彼女は、ある日急に姿を消したのだ。彼女の数少ない友人たちは誰もその行方に心当たりがなく、遺書などもなかったので当時から事件性が疑われていたのだが。
「彼女は亡くなっていたのですね」
「マクドナルド弁護士が今の奥さんと結婚したのが事件直後のことだし、動機はその辺りなのでしょうね。アビゲイル嬢の亡骸はどうなっているのやら……」
もはやアイリーンと弁護士が無事に一年間過ごすのは到底無理な話で、それも彼ら自身の行いの報いなのだ、とモリーも納得した。だが、飲み込めないこともあった。
「何故、殺人に不倫と叔母は罪を重ねたのでしょう」
叔母は美しく料理好きで朗らか、歌も上手だったが、嘘つきで浪費癖があり、派手に着飾っては「社交」と称して外出ばかりしていた。従妹たちの世話は祖母とモリーに丸投げして。
しかし祖母が叔母を咎めたことは一度たりともなかった。むしろ溺愛していた。
駆け落ちした娘に毎月こっそりと金銭を送り、娘がその夫と死別して幼い娘たちを連れて戻れば、大喜びで迎え入れるほどに。
「……祖母の育て方のせい、なのでしょうか」
「いや、因果は逆だろうね」
そう答えたのはベッキーだった。
「君の祖母君は、恐らく、アイリーンの出生直後から魅了にかかっていたんだろう。水妖の魅了に」
「魅了、ですか?」
「水妖は魅了の力を持つ。現に君にも僅かながらあるよ。君の場合は触媒なしでは発動しないけれど、アイリーンは声だけで魅了出来るらしい。シェーンの調査によれば、薔薇荘の火事の時も、異変に気付いた他の町民たちをアイリーンが言葉一つで言いくるめたことが分かっている」
ベッキーの説明に、エズメが補足した。
「魅了の力を持つ子が親の注意を引くために泣けば、それだけで強力な魅了が発動するものよ」
「それでも、祖父は叔母に厳しかったですし、従妹たちが叔母を魅了している様子もありませんでしたが」
「水妖の魅了は同族には効かないからね」
心当たりはあった。モリーの父は自分の妹を酷く嫌い、薔薇荘に帰るたびに母親に苦言を呈していたのだ。しかしそのモリーの父のことも、祖母は確かに深く愛していた。彼女は魅了に耐性がなかっただけなのだ。
ベッキーが含めるように言った。
「アイリーンは先祖返りで、その心も魔物に近かったのだよ。だから誰のせいでもない」
だから叔母はラベンダーに過敏なのか、とモリーは思った。
「妖精たちの加護も失った今、彼女の魅了の魔力は、却って仇になるわね」
エズメがそう断言した。




