5、ロイド教授は通告する
ベッキーたちが森の中の薔薇荘に辿り着いた頃、五十二歳のエズメ・ロイド教授もまた、コマドリ姿の使い魔から話を聞きながら、アイリーン・スターリングの家に着いたところだった。
そこはまだ新しい瀟洒な家で、門から玄関までの前庭には、この家の女主人の好みらしき花々が植えられていた。
オダマキ、ランタナ、グロリオサ……。
花壇の中の奥では、ギンガムの服を着た金髪の青年が屈み込み、草むしりでもしているように見えた。
玄関の呼び鈴を鳴らしてしばらく待つと、一人の婦人が出て来た。歳の頃は四十代後半。夕陽に輝く金の髪と榛色の瞳が印象的な美人だった。
婦人が訝しげに尋ねた。
「どちら様でしょうか?」
「私はエズメ・ロイド。アーケイディア単科大学の聖騎士養成科教授で、聖騎士団の次席顧問でもあります。今日はアイリーン・スターリング夫人にお話があって、こちらを訪ねました」
「アイリーン・スターリングは私ですが、事前にお約束はありましたかしら?」
困惑した様子のアイリーンに、エズメは言った。
「いいえ。けれども急を要する件なのです。貴女の姪で、私の教え子でもある、ターナー嬢のことで」
アイリーンは一瞬眉を顰めかけたが、すぐに笑顔を作った。
「まぁ。そうでしたの。それではどうぞ、お入りくださいな」
玄関から一歩足を踏み入れると、家中に甘ったるい匂いが満ちていた。
「たった今、チョコミントケーキが焼けたところですのよ」
エズメをリビングに案内しながら得意げにそう言うアイリーンに、エズメは調子を合わせた。
「ターナー嬢から聞いていますよ。ターナー家の女性は皆、料理上手で有名だそうですね。中でも、貴女が秘密のレシピで焼くチョコミントケーキは大層評判だとか」
エズメは以前モリーから聞いたことを口にしただけなのだが、褒められたと思ったのか、アイリーンの声が弾んだ。
「ええ、ありがたいことに。先生もどうぞ召し上がってくださいまし」
エズメにはアイリーンからのもてなしを受ける気は全くなかった。リビング奥のキッチンで若い女がケーキクーラーに載ったチョコミントケーキを虚ろな眼で見つめているのが見えたのもある。しかし、何より家中に充満する甘い匂いに我慢がならなかったのだ。
「残念ながら、おもてなしを受ける時間はないの。手短に、お話しても構わないかしら」
「まぁ、それは残念ですわ。……どうぞ、そちらにお掛けになって」
「ええ、それでは失礼」
エズメは示された席に着く前に眼鏡を掛け直すと、優雅な仕草で席に着いた。
「それでは本題に入りましょう。まずはターナー嬢に関わることです」
「私の姪が、何か……?」
「現在、ターナー嬢は魔物の体内に取り込まれ、生命の危機にあります。場所はスカーレットウッズの中心。貴女の実家があった場所です」
アイリーンの目が少し泳いだのを、エズメは見逃さなかった。
「貴女の実家である薔薇荘は、相続人たるターナー嬢に代わり、叔母の貴女が管理していたそうですね」
アイリーンは、やけに愛想よく答えた。
「ええ。私が毎週末に出向いて、お掃除やら何やらを。人が住まない家は傷み易いものですから」
「昨日の昼過ぎ、ターナー嬢が薔薇荘の鍵を受け取りにこの家を訪れたそうですね。聖騎士団には独自の調査ルートがありますから、隠さなくても結構ですよ。ところで、毎週末に薔薇荘の手入れをしているとのことでしたが、貴女はこの一年ほど、薔薇荘には行っていないはずでは?」
アイリーンは少し困ったような顔をしてみせた。
「……薔薇荘は『気の良い隣人たち』の森の中ですから、彼らの許しがなければ立ち入ることは出来ませんわ」
「ターナー家の血を引く者は、森の管理者として『気の良い隣人たち』から愛されていると聞きますが、貴女はそうではない、と?」
アイリーンの形の良い眉が一瞬だけ、きゅっと寄せられた。しかし彼女はすぐに笑顔に戻った。
「申し訳ありませんが、先生が何を仰りたいのか、私には分かりかねますわ」
「貴女が『隣人たち』と揉めたのであれば、貴女はそれをターナー嬢に伝えるべきでした。森に魔物が侵入した後なら、なおのこと。でも、貴女はターナー嬢にそれらの情報を何一つ伝えなかったのですね」
「それは憶測でしょう?」
「さあ、それはどうでしょうね。しかし、貴女は知らないでしょうが、ターナー嬢は非常に優秀な騎士団員であり、むざむざと魔物に呑まれるような子ではありません。それこそ誰かが、それもある程度信用していた相手が必要な情報を隠匿したのでなければ」
「それは買い被りですわ。あの子は父親である私の兄に似て、それはもう頑固で迂闊な子なのですもの」
「彼女は迂闊というよりも考えなしと言うべきですが、それは貴女も同じこと。昨年薔薇荘が燃えたのは、貴女が恋人と吸っていた煙草の火がレーヨンのカーテンに燃え移ったせいだと聞いていますよ」
「一体誰が、そんな根も葉もないことを」
そう答えるアイリーンの顔が青ざめていた。しかし、エズメは全く態度を緩めなかった。
「貴女が薔薇荘の全てのカーテンを、シルクから安価なレーヨンに替えたのがその前月のことだったそうですね。何故そのようなことをしたのか、理解に苦しみますよ。ターナー嬢は貴女に潤沢な管理費と謝礼を送っていたのに。そうそう、お金のことは既に確認済みですからね。何しろ各国の通貨で支払われた報酬の三割を連邦ドルに換えて貴女の口座に振り込んだのは聖騎士団の事務部なのですから」
アイリーンが何も答えずにいると、重く力強い足跡がリビングに近付いて来て、少々乱暴にドアが開いた。入って来たのは花壇にいた金髪の青年ではなく、四十代ほどの、精悍な黒髪の美男だった。
エズメは入って来た男を一瞥したが、その男の左背後、壁に掛けられた額入り写真の中の、花嫁姿の若いアイリーンと花壇にいた青年の花婿姿につい目が留まってしまった。
「お話中、失礼します。私は、こちらのアイリーン・スターリング夫人の相談役で弁護士の、ロジャー・マクドナルドです」
いかにも弁護士らしい、よく通る声でそう挨拶した男に、エズメは再び目を向けた。
「はじめまして。貴方の評判は聞いていますよ、マクドナルド弁護士」
ロジャーが大股でアイリーンに歩み寄った。すると彼の後に、寂しげな顔をした赤い髪の美女が足音も立てずに付いて来た。エズメが一方的に顔と名前を知る女だった。
「たった今此処に来たところですが、先生のお話が聞こえましてね。何やらスターリング夫人に落ち度があるように仰っていたので、弁護士として出て来たのですよ」
そう説明するロジャーに対し、最初からこの家にいた癖に、とエズメは思った。彼女がこの家の敷地内に入って感じた生者の気配は、アイリーンとこの男のものだけだったから。
「構いませんよ。貴方たち二人に、聖騎士団の総意を伝えに来たのですから」
「……聖騎士団の総意ですって?」
そう呟いたアイリーンに向かい、エズメは重々しく頷いた。
「そうです。薔薇荘が燃えた時、貴女たちがその場にいたことは分かっています。翌朝二人で密かに森に戻り、燃えたはずの薔薇荘が元のように建っているのを見たことも。町の住人たちが森に入らないよう、森を出る直前に茸に擬態していた『隣人』を踏み躙ってわざと怒らせたことも」
「それで我々を訴えるというのですか、法廷で通用する証拠も証人もないのに」
嘲笑う弁護士に、エズメは「いいえ」と答え、そしてこう告げた。
「本日より一年間、聖騎士団に属する者は、何があろうとアイリーン・スターリング夫人とロジャー・マクドナルド氏には一切関わりません。これは正式な決定事項です」
アイリーンとロジャーに対して尊敬語も謙譲語も使いたくないエズメ・ロイド教授、五十二歳でした。
生者の気配は二人だけだった、ということで、次回答え合わせ回です。




