4、大聖女とその使い魔は魔物を燃やす
時は遡り、モリーが助け出される前日の夕方。
スカーレットウッズの入り口でベッキーとシェーンが感じたのは、妖精たちの怯えと強い怒りだった。
モリーが家もどきに呑み込まれた日。薔薇荘のブラウニーから助けを求められたエズメ・ロイド教授は、偶然彼女の家を訪れていたベッキーとシェーンに助力を乞うた。そして駅に急行し、ベッキー、シェーン、秘書のローラ・ホプキンス嬢と共にスカーレットタウン行きの夜間特急汽車に乗り込んだ。ベッキーとシェーンは人間ではないが、ブラウニーのような瞬間移動の魔法は持っていないので、夜間特急汽車が最も早い移動手段なのだ。
翌日の夕方、スカーレットタウン駅に着いた四人は、別行動をとった。森の妖精たちに対処出来るベッキーとシェーンがスカーレットウッズに向かい、エズメ・ロイド教授はコマドリ姿の使い魔を使ってベッキーや聖騎士団長と連絡を取り合いながらアイリーン・スターリング夫人の自宅に赴き、ローラ嬢が教授名義で森の近くの貸しバンガローを借りる手続きを担当した。
かくして、ベッキーとシェーンは森の入り口に到着したのだが。
森の妖精たちは強い怯えと怒りの為に隠れてしまっていた。しかも人間への拒絶心が一種の魔法障壁を生み出し、とても普通の人間には立ち入り出来ない状態だった。
「モリーがこの状態の森にずかずか入って行ったのだとしたら、かなりの鈍感だよね。モリーの高祖母のメリッサは名付け子の一人だけれど、あの子はもっと繊細な子だったよ」
ベッキーがそう言うと、シェーンが答えた。
「ハワード卿が言うには、彼女は母方のフォスター家の血を引く者の中でも破魔の力が強く、破魔の力だけなら伯母であるフォスター第三隊長をも超えるそうです。ですから、妖精の魔法に対する耐性も強いのでしょう」
ベッキーはにやっと笑ってシェーンを見た。
「ハワードはモリーについてやけに詳しいんだね」
シェーンが真顔で答えた。
「ターナー嬢に直接会ったことはありませんが、ハワード卿が並々ならぬ想いを向ける相手が彼女だということは存じております。何しろハワード卿はターナー嬢と疎遠になった母方の従妹たちの、嫁ぎ先での現状まで把握しているようですから」
「早くモリーを無事に救出しないとね」
ベッキーの姿が、十二歳ほどの少女の姿から、妖艶な二十代の女性の姿に変わった。彼女が常にぶかぶかの服を着ているのは、こういう時のためなのだ。
「森の貴婦人が命じる。我が眷属らよ、我が為に疾く道を開け。我が問いに答え、我が望みを叶える助けとなれ」
それまで森の守護を放棄して隠れていたスカーレット・ウッズの妖精たちが、一斉にベッキーの周りに集まって来た。彼らは森の中心に居座る「家もどき」に対する怯えや、森の管理者たるターナー家の出身でありながら妖精に非道な真似をしたアイリーン・スターリングに対する怒りを口々に訴えた。ベッキーとシェーンは、森の一本道を走りながら、それらの声を拾った。
――火事が起きたら、アイリーンは男を連れてさっさと逃げた。
――慌てて私たちの水の魔法で火事を消そうとしたら、アイツが来たの。家のフリをするアイツが。
――アイリーンが戻って来たから、てっきりアイツを追い払ってくれると思ったのに。
――アイツを見て、笑ったんだよ。これで誤魔化せる、助かった、って。
――人間ならアイツを倒せなくても、魔除けの花束で追い払うことは出来るのに!
――アイリーンはアイツをそのままにしたばかりか、我々の仲間を踏み躙った!
――あの黒髪の嫌な男と一緒に!
――だから人間は嫌いだ!
――もう、この森には入れてやらない。
――モリーは酷い人間じゃない、けど。
――でも、やっぱり、人間は怖い!
「分かった。お前たちはその話を森の外で待っている、コマドリの姿をした使い魔に聞かせてやってほしい。家もどきは私たちが倒すから」
森の中心に、その魔物は佇んでいた。二人は遠目から、その姿を確認した。
「やはり家もどきか。アレは基本的に五感も勘も鈍い魔物だ。妖精たちが火事を消そうとした時の水の魔力に惹かれて来たらしいが、これまで森に入れなかっただけで、元々この湖の周辺に棲んではいたのだろうな」
「我が主よ。私は家もどきを目にするのは初めてです」
シェーンの言葉に、ベッキーは頷いた。
「アレは旧大陸から姿を消して久しいからね。魔除けの花束ではアレを追い払うだけで、既に呑み込まれているモリーを助けることは出来ない。ここは気付かれる前に浄魔の炎で一気に燃やすべきだ」
「それでは私が」
シェーンは呪文の詠唱も魔法陣もなしに高速の魔炎弾を家もどきに向けて放った。同時にベッキーも、万が一にも家もどきが逃げないよう、妖精たちの魔法障壁よりもずっと強固な障壁をこの森の中心に張った。
家もどきは、瞬時に青白い炎に包まれた。浄魔の炎は魔物だけを焼き尽くすので、魔物に飲み込まれたモリーに害はない。彼女は水妖の血を引いてはいるが、概ね人間だからだ。
ベッキーは、青白い炎を見つめながら口笛を吹いた。
「聖騎士団員ではこうはいかないよね。攻撃魔法として出力出来るほどの魔力がないから、魔弾銃を使うか破魔の力を込めた拳で殴るしかないけれど、幾ら鈍くても銃や拳を構えられたら家もどきだって流石に気付いて逃げるもの」
「元からあった家の燃え残りは、家もどきが吸収していたようです」
青い炎で家もどきを焼きながら、シェーンがそう言った。
「……それは案外強力な奴だね。直近五十年以内に人を喰った個体かな。燃やして正解だ」
「ターナー嬢の生命の反応もあります。悪夢に囚われてはいますが、魂は無傷です。心が強いのか、破魔の力のためか、流石の家もどきも彼女を吸収出来ずにいるようです」
「……人間にしては頑丈過ぎるね。メリッサに似た儚げな美女かと思っていたけれど、期待しない方が良いかな」
ベッキーはそう軽口を叩いたが、家もどきが燃え尽きるまでには、意外と時間がかかった。
日付が変わる頃、ベッキーは呟くように言った。
「魔除けの花束で追い払うばかりの対処で済ませていたら、此奴は近々魔城に進化しただろうね。直近五十年以内に喰った人間の数は数人どころではなさそうだ。普通なら、どれほど大きかろうとニ時間もあれば燃え尽きるものだからね」
「薔薇荘のブラウニーが、ターナー嬢が此奴の口を内側からこじ開けたと言っていましたが、本当なのでしょうか」
「ブラウニーは嘘がつけないから、事実だと思うよ。千年以上生きてきたけれど、久しぶりに面白い子に会えそうだ。此奴がさっさと燃え尽きたら、ね」
家もどきがちょうど燃え尽きた瞬間にモリーの身体の下に「癒し草」が生えるよう、ベッキーは地面に魔力を流した。
そして、空が白み初める頃、ようやく家もどきが燃え尽き、「癒し草」の上に仰向けに倒れたモリーの姿が現れた。
「息はありますが、悪夢に囚われたままですね」
「このままでは魂に傷が付く。夢に入って呼びかけよう」
ベッキーは立ったまま軽く目を細め、モリーの悪夢を覗いて微笑んだ。
悪夢の中でもモリーが誰かを守ろうと奮闘していると知り、言葉を交わす前から彼女のことがすっかり気に入ったのだった。
魔城は体内にアンデッドや悪霊を住まわせて近隣の人間を攫って来させるので更に厄介なのです。




