3、聖騎士団員、再会する
モリーは夢を見ていた。
* *
家の敷地を埋め尽くすほどの薔薇を手入れしながら、祖父はいつものように幼いモリーに語り聞かせた。
我がターナー家は水妖の血を引く一族。私たちがスカーレットウッズの「気の良い隣人たち」と友好関係を結べるのは、生まれつき魔力を持っているからだ。
だが厄介な面もある。ターナー家のほとんどの者たちの魔力はささやかで、悪霊や魔物に対抗出来るほどではない。だというのに、悪霊や魔物にとっては、そのささやかな魔力こそが非常に魅力的であるらしいのだ。普通の人間が一枚の薄いクラッカーだとしたら、ターナー家の人間は切り分ける前のフルーツケーキのようなもの。より強い力を得る為の餌として、我が一族は狙われてきた。今のように平穏に暮らせるようになったのは、私の祖母、メリッサが嫁いでからだ。「黒き森の大聖女」の名付け子だった彼女は、大聖女の助言を受けて新居の周囲や中庭に悪霊や魔物の嫌う薔薇やラベンダーを植えた。それが、この薔薇荘の始まりだ。しかし……。
祖父の目が、ある一株の薔薇の根元に留まった。そこには、無残に何かが抜かれた跡があった。
――ラベンダーに過敏な反応を示す子が生まれて以来、この家にラベンダーを植えることは出来なくなった。もう、その子はこの家にはいないというのに……。
祖父が名前を出さなくとも、モリーには誰のことか分かっていた。モリーの父の妹、モリーにとっては叔母に当たるアイリーンだ。アイリーンはラベンダーが植えられている所に近づくと高熱を出し、酷い時には蕁麻疹まで出る。乾燥させたラベンダーを詰めたポプリの小袋を手にしただけで呼吸困難を起こしたことさえあった。だから、モリーの祖母であるマチルダは、家の中にラベンダーを植えるどころか、持ち込むことさえ強硬に反対したのだ。
アイリーンが州都の若者と駆け落ちした後も、この家にラベンダーを植えることは出来なかった。アイリーンを溺愛する祖母が、いつ愛娘が帰って来ても良いようにと、ラベンダーを見つけ次第、密かに抜いてしまうから。
――確かに今は、隣人たちがこの森の守護を担い、家の中には破魔のフォスター家の血を引くモリーがいる。だからといって、決して護りを疎かにすべきではないのだが……。
祖父が立ち上がった。いつの間にか、周囲に植えられていたはずの薔薇が全て消え、アイリーンの好む草花ばかりになっていた。匂い菫、アネモネ、鈴蘭、ジギタリス……。
憂わしげに顔を歪める祖父に、大人になったモリーは言った。
「大丈夫よ、お祖父様。『黒き森の大聖女』様が、すぐにも、薔薇とラベンダーを植えて下さるから――」
急に場面が変わった。
二十九歳のモリーは土砂降りの雨の中、薔薇荘のドアを開けて中に駆け込んだ。
しかし、目に飛び込んだのはあり得ない光景だった。自身を取り囲む、赤黒い肉の壁。しかもそれは、生きていることを示すようにドクドクと脈打っていた。
家もどき、という単語が脳裏によぎった。
すぐに脱出しなければ、悪夢に囚われ、魂を食われてしまう――。
しかし彼女は、辛うじて肉の壁に取り込まれずにいた、林檎ほどの大きさの丸い光の塊を見つけてしまった。
――このまま取り込ませてなるものか!
モリーは足に漆黒の蔦のような物が絡み付くのを振り解きながら必死で走り、その光の塊を肉の壁からもぎ取った。それをしっかりと抱いてそのまま玄関のドアに向かって走り、ありったけの魔力と腕力でドアをこじ開けた。
流石に、モリーが抜け出せるほどの大きさまでは開けられなかった。が、拳二つ分ほどの隙間は開いた。
――あなただけでも、逃げて!
漆黒の蔦が膝の上まで絡みつく中、モリーは、光の塊を外に放り投げた。
「……逃げて、エラ!」
モリーは自分の叫び声で目を覚ました。
ゆっくり目を開けると、知らない部屋の壁が見えた。柔らかな寝具の中で横向きに寝かされていたらしい。
「おはよう、モリー。此処はエズメが借りた、スカーレットタウンの貸しバンガローだよ」
大聖女――ベッキーが傍らの椅子に掛けていた。モリーは密かに、彼女が妙齢になれば如何ばかりかと思った。妙にぶかぶかの服を着ているにも関わらず、ベッキーは誰にも引けを取らないほどの美少女だったから。
ベッキーは、悪戯好きの少年のように、にやりと笑った。
「記憶と魔力は回復したようだね。家もどきの体内から奴の口をこじ開けるなんて無茶をしたことも思い出したかい?」
何故そのことを知っているのだろう、と思っていると、シェーンが人形のようなものを抱えて部屋に入って来た。濃い栗色の髪をしたそれは、小さいけれども人形ではなかった。それはぎこちなく顔を上げ、茶色の瞳で弱々しくモリーを見つめた。
「モ、リ……ぶ、じ……?」
それはブラウニーという、人家に住む妖精だった。薔薇荘に長年住んでいた「エラ」という名の個体で、モリーにとっては家族の一員。だから、家もどきの中で吸収されまいと光の塊になっていた「彼女」を見つけた時には、無理を承知で外に放り出したのだ。
「彼女」は五インチ(約12センチメートル)にも満たない大きさで、愛らしい少女の姿をしていたが、幼いモリーと遊んでいた頃に比べると、随分と窶れていた。
シェーンが淡々と事情を説明してくれた。
「我々がこちらのブラウニーを保護したのは一昨日のことでした。救いを求めて州都のロイド教授の元に転移した時には魔力が枯渇寸前だったようです。すぐに我々の魔力を与えたのですが、相性が悪くて受け付けませんでした」
シェーンに代わってブラウニーを抱いたベッキーが付け加えた。
「この子が消滅する前に、君の魔力が回復して良かったよ。君の魔力とは相性が良さそうだからね」
モリーはブラウニーに手を伸ばした。「彼女」を失わないために、何をすべきかは分かっていた。
「エラ。これからは私の使い魔になってくれる?」
「……いいよ。エラ、モリ、と、いっしょ……」
「ありがとう、エラ」
モリーが自分の人差し指を口に持っていこうとすると、ベッキーに手を掴まれた。
「咬み傷は治りにくい上に化膿する。せめて消毒したナイフを使うべきだ。……シェーン」
シェーンが胸ポケットから取り出したナイフの刃先にさっと魔法の火を纏わせた。そして火が消えたところで、ナイフの柄をモリーに差し出した。
「ありがとうございます」
モリーは躊躇なく左手の人差し指を少し切り、血の滲む指先をブラウニーの額に押し当てた。
「我こそはヴィーナス・モリー・ターナー。水妖の末裔にして、聖騎士団に所属する二級守護者なり。汝ブラウニーのエラよ、これよりは血の契約を以て我が従魔となるべし。さすれば、この命ある限り、我が魔力を汝に分かち与えん」
「我はエラ。我が種族はブラウニー。これより、我が主、ヴィーナス・モリー・ターナーと共に」
エラの額がさっと光り、モリーの血の跡が薔薇の模様に変わった。今後は、この花の模様の契約印からモリーの魔力を吸収することになる。
エラはベッキーの腕から元気に飛び出すと、モリーの顔にぺたりと貼り付いた。
「もう、モリーったら。次から絶対に無茶しちゃ駄目だよ」
そう言いながらぺちぺちと小さな手で叩いてくるエラを、モリーは右手でそっと包み込むようにして、優しく自分の顔から引き離した。
「エラも、お願いだから二度と無理はしないで。……私の家族はもう、エラとヒルダ伯母さんだけなんだから」
エラのさらさらとした栗色の髪の感触や小さな温もりを掌に感じ、モリーはようやく故郷に帰ったことを実感した。
うちのブラウニーは、リ◯ちゃん人形の双子の妹たちくらいの大きさです。
ブラウン系の可愛い手作り服を着ています。
エラ「普段は裸同然で、服を貰ったら家を出て行くんじゃないのかって?……それ、ブラウニーの一部の部族だけだから。人間だって、例えば大昔のニューギニアと大昔の日本では衣料事情は全く違うじゃない」
有吉佐和子『女二人のニューギニア』おすすめです。




