隣の席の女子と一日一回じゃんけんをするだけの日常
世の中には『真実か挑戦か』というゲームがある。
遊び方は人それぞれだが、主に負けた方が勝った方の『真実』もしくは『挑戦』を飲み込むというものだ。
真実か挑戦かを選ぶ権利は負けた側にある。
もし『真実』を選べば、勝った人が提示した問いに対して真実を言わなければならない。
もし『挑戦』を選べば、勝った人が提示したお題を実行しなければならない。
そんなゲーム。
俺はそのゲームを毎朝一回だけ、隣の女子生徒としている。
勝ち負けはシンプルにじゃんけんで決める。
後のルールは同じ。無理難題を押し付けてはいけないと言うのは暗黙の了解の上でだ。
「おはよう、悠木くん」
「ああ、おはよう……今日もするか?」
「ええ、しましょう」
朝早くの学校、俺が登校すると、教室にはただ一人、女子生徒がいた。
東雲 一花。
俺の隣の席の人物だ。
本を読んでいた東雲は、その本を閉じる。
そして、お互いに手を差し出す。
『最初はグー、じゃんけんぽん』
じゃんけんの結果、東雲はチョキを出して、俺はパーを出した。
東雲の勝ちである。
「あー、また負けかよ。三日連続だな」
「ふふ、こうも勝ち続けると真実も挑戦も何にするか悩むわね」
「......俺は逆に東雲にやらせたいことがいっぱいあるんだけどな」
「あら、破廉恥なものじゃないわよね?」
「当たり前だろ。別に興味ないし......そういう、約束、だし」
東雲は頬杖をしながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見ている。
その視線を逸らせば、何だか負けた気がして、お互いに目を合わせる。
「......じゃあ、そうね。決まったわ」
東雲が悩んでからしばらくして、東雲は一度大きく手を叩いた。
「真実だったら、あなたの好きな人を言う。挑戦だったら......腹筋見せてくれない?」
東雲は相変わらずニヤニヤとしている。
いつもの東雲と、ここで見せる東雲の表情はかなり異なる。
無論、悪い意味で、だ。
学校では優等生、成績優秀でキリッとしている。
しかし、一変して、朝、教室で二人きりになると性格が悪くなる。
東雲が勝った時はいつも意地悪なお題を提示してくる。
「破廉恥なお題はなしじゃないのか?」
「そう? 腹筋を見せるだけよ。嫌なら好きな人を言えばいいじゃない?」
「......好きな人は別にいない」
「嘘ね。友達と話しているのを聞いたわ。誰かは聞き取れなかったけれど、いるんでしょう?」
「おい、勝手に会話を盗み聞きするな」
「ふふ、ちょっと興味があったから、つい。それで、どうするの? 真実か挑戦か」
東雲はやっぱりずる賢い。
俺はそんな彼女にいつもやられっぱなしである。
東雲の言う通り、俺には好きな人がいる。
それを利用してのこのお題はあまりにも悪質だ。
挑戦を敢えて、破廉恥ギリギリなお題にすることで圧倒的に楽な『真実』を選ばせようとしている。
俺の好きな人がどうしても気になるらしい。
「......じゃあ、挑戦で」
しかし、好きな人を意地でも言いたくなかった俺は、挑戦を選んだ。
別に好きな人くらい嘘をついて誤魔化してもいいのだが、やめておくことにした。
好きな人として、好きでもない人の名前を嘘をついて言うのは嫌悪があったからである。
「へ、へえ、挑戦を選ぶのね。よっぽど、真実を選びたくないってことでいいかしら」
「ノーコメントで......何? 腹筋見せればいいのか?」
「ええ、ここで」
「まあ......誰もいないしな」
腹筋を数秒見せるだけで終わるのだ。
感じる羞恥はほんの数秒程度。
それに、春休みに死ぬ気で筋トレをして、今も継続しているからか、腹筋は割れている。
見せてもあまり恥ではない。
「じゃあ、シャツめくるぞ」
「え、ええ......あ、ちょっと待って」
俺はインしていたカッターシャツを出す。
そうして俺はシャツをめくって、腹筋を見せようとする。
しかし、東雲は俺から数秒顔を背ける。そして、なぜか深呼吸を一回挟んだ。
「......どうした?」
「ちょ、ちょっと私の服が匂ったかもと思って。ほ、ほら、今日、湿気がすごいじゃない?」
「それはそうだけど......なんで顔赤いんだ? まさか......」
「いや、別に、恥ずかしいとかそういうわけではないわ。勘違いしないでくれる?」
「お、おう......」
東雲の頬はなぜかほんのりと赤い。
この場合、俺がセクハラの加害者になるので抵抗があるなら無理しないでいただきたい。
しかし、東雲は見栄を張っているのか、本当に服が匂ったのか、「じゃあ見せて?」と俺に向かって言った。
「じゃあ、めくるな」
俺は若干、ドキドキとしながらもシャツをめくった。
……これで東雲の視界に、俺の腹筋が映ったはずだ。
東雲がどんな反応をしているか、俺は知らない。
この状況では東雲の方を見たくなくて、俺も東雲と一緒に自身の腹筋を見ている。
「……な、なんか、意外だわ。筋肉……あるのね」
「お、おう。まあ、鍛えてるから」
「へえ……」
俺が東雲の方をチラリとだけ見てみると、東雲は俺の腹筋をじっと見ていた。
おかげで羞恥がまた湧いてくる。
「そ、そろそろシャツ下ろしてもいいか?」
俺の心はそろそろ限界である。
それゆえ、もうシャツを下ろそうとする。
しかし、東雲はそんな俺を止めた。
「ちょ、ちょっと待って……その、さ、触ってもいいかしら?」
「……俺の腹筋?」
「ええ……い、嫌ならいいの。別に挑戦のお題に入っていないわけだし」
「まあ、じゃあ……触るだけなら」
俺がそう言うと、東雲は俺の腹筋にゆっくりと手を伸ばす。
東雲の指先が俺の腹筋に触れ、冷たい感触が腹筋から伝わってくる。
その触れた指先から手のひらを近づけて、東雲は優しく触れた。
「結構……鍛えてるのね」
東雲はそう言って俺の腹筋を軽く手で押した。
そして、腹筋を撫でるように触る。
「あの、く、くすぐったいんだが……」
俺がそう言うと、腹筋を見ていた東雲がこちらを向く。
お互いに見つめあった後、東雲は何も言わず、視線も動かさずに、俺の腹筋を指でツンツンと突き始める。
「顔、赤くなってるわよ。恥ずかしいの?」
「いや、さっきからくすぐったいんだが……そろそろシャツしまってもいいか?」
「ま、待って、もうちょっとだけ……」
二人でそんな会話をしていると、廊下から何やら声が聞こえてくる。
耳を澄ますと、声の主はクラスメイトのようで、その声は徐々に大きくなっている。
東雲は俺から離れて、俺もシャツをしまったタイミングで、クラスメイトは教室に入ってくる。
「おはようございまーす……って、お前ら先にいたのかよー。早いのなー」
「お、おはよう。遅刻常習犯さんが今日はどうしたんだ?」
「んー、まあ、なんか早く起きたんだよなー」
扉を開けて現れたのは俺の友人だった。
俺は立ち上がってその友人の元に近づく。
東雲は何事もなかったかのように机に向かって本を読んでいた。
***
朝以外の学校では俺と東雲が関わることはあまりない。
東雲は休み時間はだいたい、本を読んでいるか、俺以外の同級生と話をしている。
俺も男友達と話すか、スマホを触るかの二択。
二人で話すのは授業中のペアワークくらいでお互いに積極的に関わる気はない。
東雲とは本当にただ一回、朝にじゃんけんをするだけの仲。
隣の席だというのに微妙な距離感をお互いに保っている。
そんな距離になっている一つの理由は学校での立場の違いだろう。
「……お前、東雲と隣の席とか羨ましすぎなー。席変わってくれよー」
休み時間、俺は友人と会話していると、友人がそんなことを言い出す。
そして、友人は東雲の方を見る。
俺もそれに合わせて東雲の方に視線を移す。
東雲は自分の席で一人本を読んでいた。
「羨ましいだろ? 東雲、勉強できるからわからないところをすぐ教えてもらえるんだよな……先生よりわかりやすいし、隣の席で良かった」
「そういう意味じゃなくて、あんなに可愛い子の隣で羨ましいってこと。お前も隣の席になれて嬉しいーとか、そう思わないのかー?」
遠くから見ても、近くから見ても、誰が見ても整っていると言わせるような顔立ちをしている。
長いまつ毛にパッチリとした瞳、さらさらとして純粋な黒のロングヘアー。
姿勢は良く、上品な佇まいをしている。頭脳明晰で運動神経もいい。
ただ、強いていうなら男子に対しての愛想はあまりない。
とはいえ、それが返って、男子生徒からの人気を加速させているのだとかなんとか。
ちなみに本人はモテることを嫌っている。
「……いや、別に、かわいいとは思うけど、羨ましさを感じる理由がわからない」
「だってよ、隣の席だったら、常時、東雲お嬢様の顔を拝めるわけで」
「拝んでどうするんだよ」
「幸せを感じる」
「東雲は仏か何かなのか?」
この友人のように、東雲に対して好意を抱く人は多い。
そんな好意を東雲は嫌っている。
別にただ好きになるだけならいいが、それが友人のように変な方向に行っている人もいるから、モテるのは嫌いらしい。
昔からモテていそうなので、色々あったのだろう。
だから、俺は……。
「……な、なあ、それより、次の授業の課題とかってあったっけ?」
「いや、別になかったぞ。あの先生、長期休みにいっぱい出してくるからなー」
東雲から目を逸らすと、俺は友人に別の話題を提示する。
そして、話している最中、胸の苦しさを取り繕うように俺はいつもよりも笑顔を浮かべた。
***
「今日は土砂降りだな」
放課後、下駄箱で靴に履き替えながら、外の様子を見てそう呟く。
外では雨がしきりに降っている。風がないのが幸いと言ったところだろうか。
朝は晴れていたのだが、予報が雨だったので傘は持っている。
屋根下まで出ると、雨音はさらに大きく聞こえる。
早々に帰って、風呂でも入ろう。
そんなことを考えながら、傘を開こうとした時だった。
俺の腰回りの骨を右から誰かに突かれる。
右を向くと、俺を見上げる形で東雲が立っていた。
「悠木くん、良ければ傘に入れてくれないかしら?」
どうやら東雲は傘を忘れたらしい。
二つ傘を持っていればと思ったのだが、あいにく一つしか持ってきていない。
このままでは東雲が濡れるので入れてあげるべきだろう。
「ああ、いいぞ。東雲の家ってどこなんだ?」
「電車通学だから、駅まで送ってくれればいいわ」
「わかった。俺の帰り道の途中だし、そこまで行くよ」
「ありがとう、悠木くん」
俺は傘を開くと、東雲をその中に入れる。
そうして俺は東雲と雨の中を歩き出す。
この状況が相合傘であることに俺は若干の気持ちの昂りを感じながら、それをあえて顔には出さない。
顔に出したら、東雲が不快に思うだろうし、俺への信頼を元に東雲は声をかけたのだ。
それを裏切るようなことはしない。
東雲が雨に濡れないように傘の位置を調整しながら、気をつかう。
同じ傘の中に入っているので距離を取るのは無理だが、なるべく東雲に触れないようにもする。
そうしていると、東雲が上目遣いで。
「……もう少し、傘を自分の方に傾けてもいいのよ? 私は傘に入れてもらっている立場なわけだし」
声も表情もなぜかいつもより甘い。
というかいつもは気にしていなかったが、俺と東雲でそこそこ身長差がある。
俺が少し身長が高い方だというのはあるが、そのせいで東雲が上目遣いになって、心臓がもたない。
「べ、別に俺は濡れてもいいから、気にしないでくれ」
「そう……ありがと」
俺は東雲から視線を逸らす。
体が暑い。
今日の気温のせいなのか、この状況に意識してしまっているせいなのか。
雨の音が耳に入ってこない。
「あの……さ。中間テスト、どうだった?」
「そこそこだったわ。思っていた通り、という感じかしら」
「いいな。流石、学年一位」
「どうもありがとう。悠木くんはどうだった?」
「結構、出来が悪かった……勉強したんだけどな」
「……わからないところがあれば朝にでも教えるわよ」
「それは助かる。なら今度聞かせてもらってもいいか?」
「ええ、もちろん」
喋って、少し沈黙して、また喋って、その繰り返し。
東雲とはやはり微妙な距離感のままで、近くなることはない。
朝以外は話さないし、俺からも関わらないようにしている。
だから、こうして二人きりになると少し気まずい。
もしかしたら、微妙な距離感のままなのは、俺が近づくことを怖がっているからかもしれない。
縮めようとして、拒否されるのが怖い。
拒否されるくらいなら、現状維持のままの方がいい。
そんなことを考えていると、東雲が不意に言った。
「……ねえ、悠木くん、私たちって、友達、なの?」
先ほど考えていたことだったので、一瞬肩がこわばる。
俺はなるべく表情を変えないようにして答える。
「友達か……友達の定義ってなんだろうな」
「一緒に遊びにいくとか、かしら……あ、でも、そうなると私は友達はいないわね」
「……自虐?」
「事実よ。休日は一人で過ごしているし」
「東雲って、友達たくさんいたイメージなんだが」
「全然よ。話す人はいても、遊びに行くような人はいないわ」
なんとも意外である。
容姿、性格ともに良く、男女問わず人気がある。
クラスでぼっちになっている様子もないので、友人とどこかに出かけたりしていてもおかしくはない。
「そうなのか?」
「ええ……基本、私は受け身だから、遊びに行こうとか誘えないのよね。仲良くしようとしてくれている人はいるのだけれど、自分から話しかけるのは怖いし、少し微妙な距離になってしまうの……って、何か変よね」
東雲は苦笑いをして誤魔化す。
しかし、俺には東雲の悩みがよくわかった。
俺と同じで、東雲も自分から人と距離を詰めるのが怖いのだ。
受け身になってしまうから、友達と呼べるような人が作れない。
俺には一緒に遊びに行くような友達は数人いる。
それでも遊びに行くまでに時間がかかったし、自分から気安く話しかけられるようになったのもつい最近。
東雲と微妙な距離なのは、お互いに同じ悩みを抱えていたからなのだろう。
「まあでも……俺もわかる、その気持ち。変に思われたらどうしようとかって、思っちゃうんだよな」
「悠木くんもそんなこと思ってるの? 友達が多いイメージだから意外だわ」
「多いかもしれないけど、自分から話しかけて作ったことはないからな」
こんな心のうちを誰かに言ったのは何気に初めてかもしれない。
東雲だから言えたのだろうか。
自分の中で東雲に対する親近感はかなり上がっている。
ずっと隙がなくて、悩みもなさそうな充実している人だと思っていたが、違った。
心のうちでは東雲にも似た悩みがあった。
「じゃあ、さ、今から友達にでもなるか?」
「え、ええ……喜んで?」
俺と東雲は目を合わせる。
けれど、お互いにどんな表情をすればいいかわからなくて、困っていた。
その空気感に耐えきれなかったのか、東雲は笑い出す。
「ふふ、何か変な感じ。なろうって言ってなるものでもない気がするけれどね」
「たしかに。友達になっても、何も変わらないしな」
「そうね……あ、一緒に遊びに行ったりしてみる?」
「男女でそれやるとデートになる気がするんだが」
「……それもそうね。なら、何も変わらないわね」
「ま、とりあえず真実か挑戦かやらないか? いつも通り」
「いいわね、しましょう」
東雲はあまり変わらないと言っていたけれど、俺と彼女の間の気まずさや微妙な距離感は無くなっていた。
そして、傘の中、雨の音をかき消すように笑い声が聞こえていた。
***
東雲と友達になった後は、前よりも東雲と話す機会が増えたと思う。
「おはよう、悠木くん。真実か挑戦かやる?」
「いいぞ、やるか」
『最初はグー、じゃんけんぽん』
「……また私の勝ちね。ふふ、これで三連勝」
「俺、じゃんけん弱すぎないか?」
「本当ね……じゃあ、お題は、真実なら好きな人を言う。挑戦なら……私のことを名前で呼んでくれない?」
「名前呼び……? いいのか……?」
「当たり前じゃない。友達だし。それに、私の方は名前呼びなのに、悠木くんはずっと私のことを苗字で呼んでるじゃない」
「まあ、じゃあ……い、一花?」
「……そ、そうね、それでいいわ……うん」
「ちょっと、顔赤くなってないか?」
「そ、そっちこそ、顔赤くなってるわよ。恥ずかしがってるんじゃないのかしら?」
「ま、まさか名前呼びくらいで恥ずかしくなるわけないだろ? 一花」
「……ふ、ふーん、そう」
東雲……一花との距離感は近くなった。
一花と名前呼びするようにもなって、朝だけではなくて、休み時間や放課後にも話している。
最近で一番仲の良い人といえば一花の名前をあげるくらい、一気に距離が縮まったのだ。
けれど、人気者でガードが高い一花が俺という異性と話している。
それを疑問に思う人は一定数いた。
「最近、お前さ、東雲と仲良すぎじゃね?」
休み時間、友人と話していると友人はそんなことを言い出す。
「そうか? まあ、隣の席だしな」
「隣の席っていう距離感じゃない気がするけどな」
友人は一花の方を向いたので、同じように俺も一花の方に視線を向ける。
一花は同性のクラスメイトと楽しそうに喋っていた。
そうして見ていると、ふと、一花と目が合った。
一花がニコッと笑顔を見せるので、俺も笑顔で返す。
ほんの一瞬の出来事で、一花はまた友人との会話に戻った。
俺も視線を元に戻す。
すると、友人からはジト目で見られていた。
「ほら、こういうところ。付き合ってるのか?」
「付き合ってない。ただ……友達にはなった」
「あの笑顔は彼氏に見せるようなやつだぞ……怪しい」
「……まあ、他の人よりは仲良いかもな」
一花と友達になったことで彼氏なのかどうかよく聞かれる。
嫉妬を燃やした一部の男子生徒からの不安の声もちらほらと。
けれど、勝手な妄想に過ぎなくて、本当にただの友達だ。
とはいえ、一花の距離感には俺も少し悩まされていた。
目が合う時に見せてくれる笑顔だったり、普段の物理的な距離だったり、スキンシップだったり。
俺にとっては近過ぎた。
友達だから、それはわかっている。しかし、それをわかっているからこそ、辛い。
「じゃあ、好きなのか? 東雲のこと」
俺はそんな友人の問いに対して、何も答えなかった。
反応で大体察したようで「なるほどな」と友人は言う。
「あんな笑顔見せられたら、誰だってそうなるだろ」
「たしかに、お前やっぱり羨ましいわー。今攻めたら行けるだろ」
「どうだかな。相手も友達としか思っていないだろうし」
「なんでそう言い切っちゃうんだよ。相手もお前のこと好きかもしれないだろー」
「別に距離は近いけど、そういう仕草もないから」
俺は一花と友達になる前から一花のことが異性として好きだ。
しかし、それをずっと隠してきた。
一花が前に言った「モテて、多数に好意を持たれるのは好きじゃない」という言葉が頭に残っているからだ。
それにプラスして基本受け身な性格の俺は自分の好意を隠す他なかった。
距離を縮める勇気もなくて、雨の日、一花が傘を忘れていなければ友達にもなれなかっただろう。
一花のことは好きだ。
でも、好きだからこそ、嫌われるのが怖い。
せっかく友達になれたのに、恋のせいでその関係が壊れるのが怖い。
「ふーん、ちなみになんで好きになったか聞いてもいいかー? やっぱり顔?」
「顔も好きだけど、隣の席になってから、佇まいとか、仕草とか、話し方とか、性格とか接するうちにわかって、その全部に惚れた」
俺は最初、一花に対して怖い印象を抱いていた。
美人だけれど、生真面目で厳しい性格だと思っていて、警戒していたのだ。
それゆえ、あまり話しかけないようにしようなどと考えていたが、一花から話しかけてくれた。
『ねえ、悠木くん、真実か挑戦かって知ってる?』
朝、初めて教室で二人きりになった日、そう一花から話しかけてくれた。
それが始まりで、接していくうちに俺は彼女に惹かれていった。
「二人きりで遊びに行ったりは?」
「ないな。複数人でも遊びに行ったことすらない」
「じゃあまずデートからだなー。誘っちゃえよ」
「はあ? 無理だろ、断られ……」
俺はそう言おうとして、ふと、一花をデートに誘う状況を想像してみる。
……なんとなく、一花なら断らなさそうである。
ただ、友達との遊びだとは思いそうだ。
「……断られはしないだろうけど、多分、デートだとは向こうは思わないだろうな」
「あー、ならまず異性として意識させないとだなー。壁ドンとかしてみれば?」
「やり方が古いし、いきなりそれやったら恐怖以外の感情が湧かないだろ」
「いいじゃん、ドキドキするぜ」
「別の意味でな」
友人とそんな冗談を言い合っていると、授業開始を告げる予鈴が鳴った。
別れを告げると、俺は自分の席に戻る。
座って、右隣を見ると一花の横顔が視界に映った。
その横顔は昨日見た横顔よりも可愛く感じた。
***
「おはよう、悠木くん」
朝、学校に行くと、いつも通り一花が席に座っていた。
教室に来るのはいつも俺が二番目である。
「おはよ、一花」
「今日もするかしら?」
「やるか……って、もう日課になってるな。飽きないのか?」
「別に飽きないわ。悠木くんに命令できるもの……悠木くんの方こそずっと命令されて飽きないの? もしかしてそういう癖?」
「いや、違うから。負けたくて負けてるわけじゃないから」
一花と一緒にやるから楽しくて、飽きない。
そんな理由を口に出すのはやめておく。
男友達とだったら三日で飽きている。
相手が一花だから、ゲームを通して接することができて楽しいのだ。
俺が席に座ると、示し合わせたようにお互いに向き合う。
そして、
『最初はグー、じゃんけんぽん』
俺がチョキで、相手がパー。
結果は珍しく俺の勝ちだった。
「あら、明日はひょうでも降るのかしら」
「今日の星座占い一位だったからな」
「ふーん……今日は運がいい日なのね。お題をもう決めていたから、なんだか悔しいわ」
俺に何をさせようとしていたのだろうか気になるが、ひとまずは俺の勝ちである。
とはいえ、最近、負け過ぎて、久々の勝ちなのでお題をまだ決めていない。
真実は……好きな人を聞こう。
いないならいないでいいし、俺がただ単に気になるだけ。
挑戦は……。
「お題は何?」
「ちょっと考えさせてくれ。決めてなかった」
一花にしてほしいことは何だろう。
そう思って、ふと、前に言った友人の言葉が頭に浮かんだ。
『早くデート誘っちゃえよー』
まあ、一花がもしデートが嫌なら、真実を選ぶだろう。
そうすれば、この気持ちにもある程度区切りがつけられるかもしれない。
「……よし、決まった」
「何かしら?」
「真実なら、好きな人を言う。挑戦なら……俺と遊ぶ」
「……遊ぶって、それは……二人で?」
「お、おう」
「じゃあ……ちょ、挑戦でもいいかしら?」
俺はてっきり真実を選ぶと思っていた。
それで、いないという返答を聞いて、区切りをつけるつもりだった。
期待をするのが怖かったのだ。
しかし、一花は挑戦を選んで、俺と二人で遊ぶことを選んだ。
「な、なんで、一花が疑問系になってるんだよ。俺はいいけど……一花は挑戦でいいのか?」
「ええ……悠木くんといつか遊びたいって、思っていたから」
一花はそう言うとはにかんで笑った。
そんな一花のいつもの綺麗な笑顔より少し崩れた自然体の笑みは俺の頭に深く刻まれた。
それからの時間の流れはあっという間だった。
デート......遊びの日付を決めたり、どこに遊びに行くかとか、服は何にしようかとか。
学校でも一花が隣の席なので、考え事が止まらずに一喜一憂しっぱなし。
ただ、それを表情に出さないようには気をつけていた。
やがて、一花と遊ぶ当日。
待ち合わせ場所に行くとすでに人目を引くほどの美人が一人佇んでいた。
俺はそんな彼女に近づいて、声をかける。
「おはよう、一花」
「あ、おはよう、悠木くん」
「……悪い、待ったか?」
「全然。私も今来たばかりだから」
一花とそんな会話をしていると、緊張も少しずつ取れてくる。
それにしても……可愛いな。
ただ、緊張が取れてきたおかげで、一花の普段との違いがよくわかるようになった。
おかげで別の意味で胸が騒がしい。
黒色のロングスカートに白と黒のボーダー柄の服を着ていて、一花がより上品で、綺麗だ。
遊びというより、これではまるで......。
「服、似合ってる」
「ほ、本当に? 初めて着てみたから……その、似合っているならよかった。ありがとう」
一花は頬を赤ながら笑う。
姿は美しいのに、笑顔はいつもより可愛いので、頭が混乱する。
このままだと俺の顔にわかりやすく出そうなので、スマホで時間を見るふりをするという特に意味のない動作をする。
「……じゃあ、そろそろ行くか?」
「ええ、行きましょう」
そうして一花との遊びが始まった。
別に遊びの内容はデートらしいものではなかった。。
一花が遊び方を知りたいというから、アミューズメント施設でボーリングをしたり、カラオケをしたり。
昼食は二人でファストフードである。
「……ソース、口についてるぞ」
「へ? 本当? ……あ、本当ね」
ソースを口につけるという一花のお茶目を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「け、結構恥ずかしいから、笑わないでくれる?」
「いや、別にそういう意味じゃない。可愛い一面もやっぱりあるんだなーと」
「か、可愛い……そ、そう? ……って、私、今、小馬鹿にされた?」
「してないしてない」
俺がそう否定すると、一花はジト目で見てきた。
怒るまでは行かないが、わかりやすく拗ねていて、ちょっぴり頬が赤い。
昼食を食べて、アミューズメント施設を満喫した後の夕方は、近くの展望台で一緒に景色を眺めた。
デートらしいといえばデートらしくて、遊びといえば遊びらしい。
今日一日で今まで見たことがなかった一花の表情とか、一花のことをたくさん知れた。
最初の緊張はいつの間にか消えていて、残ったのは楽しいという気持ちと、一花に対しての膨れ上がった恋情だけ。
楽しい時間はあっという間だった。
「悠木くん、今日はありがとう」
日も落ちかけの夕方、駅前で、一花とはお別れ。
一花との半日はずっと楽しかった。
そして、もう少し一緒にいたい、そんなことを思うようになっていた。
やっぱり俺は一花のことが好きだ。友達としても、異性としても。
ただ、そんな言葉を俺が口に出せるわけがなく、少し、怖い。
楽しかったのは俺だけじゃないかとか、舞い上がって変なことをしていなかったかとか、不安がある。
「こちらこそありがとう……その、楽しかったか?」
「ええ、もちろん。すごく楽しかった」
しかし、一花は満面の笑みでそう言う。
また、初めて見る一花の表情。
今まで見た中で、一番の笑顔だ。
そんな一花の笑みは、俺の不安を恋心に変えた。
ドキッと胸が跳ね上がる感覚を覚える。
「……その、悠木くんが良ければまた、一緒に遊ばない? 今日がすごく楽しかったから」
「ああ、またいつでも」
俺が少し口角を上げると、一花も笑みを浮かべる。
でも、あくまで、遊びの約束であって、多分、デートの約束ではない。
一花の気持ちがわからないから、自信が持てない。
次はデートに行こうなどと、そう言える人が羨ましい。
嫌われるかもなどと思わずに、素直に自分の気持ちを言える人になりたい。
そうなれないと多分、一花の隣に立つのにはふさわしくない。
今は、まだ、そんな人にはなれない。
「……じゃあ、な。また明日、学校で」
そうして帰ろうと、踵を返した時だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれない?」
帰ろうとする俺の右腕を一花が掴んだ。
俺は足を止めて、振り返る。
そして、右から夕日に照らされていてもわかるほど頬を赤くした一花が視界に映った。
「ご、ごめんなさいね。い、一個どうしても聞きたいことがあって……」
俺は一花の次の言葉を待つ。
しかし、次に一花が言葉を発するまで三十秒ほどお互いに無言の時間が続いた。
「その……やっぱりダメね、私」
一花がそう小声で呟くと、なぜかため息をつく。
そして、笑いながら、提案した。
「一回だけ真実か挑戦か、しない?」
「あ、ああ、別にいいけど……」
「そうね、私はパーを出すわ。あなたはグーを出して?」
「まさかの八百長? 別に聞きたいことがあるなら、普通に言ってくれれば……」
「じゃんけんぽん」
俺が言い切る前に一花はじゃんけんを仕掛けた。
いつもの最初はグーはなしで、突然始まったじゃんけんに俺がグーを出してしまう。
一花がパーで、一花の勝ちである。
「俺の負けだな。お題は?」
「乗ってくれるのね。ありがとう」
「一花から言い出したんだろ。けど、なんで、こんな遠回しに?」
「普通だと……聞けないことだから。こうでもしないと、口に出せないの」
一花は一度深く息を吸うと、言った。
「真実だったら……今日って、デートのつもりだった? それともただの遊び? それを、答えてほしいの」
「……挑戦だったら?」
「わ、私と……こ、今度はデートしてくれま……せんか?」
いつもの一花と比べると、喋り方も声色も崩れていて、顔も赤い。
そんな一花を見て、また、胸が騒がしく動き始める。
俺は一拍おくと、言った。
「挑戦で……次も、俺とデートしてください」
「っ……ゆ、悠木くんって、意外に粋なこと言うわよね」
「それはどうも」
「でも、そう言うところが……う、ううん、何でもない」
一花は言いかけたところで、止める。
ただ、もう、一花が言おうとしていることがわかった。
ここまで来て肝心な一言が言えないのか、それとも……。
ずっと自分から距離を詰めるのが怖かった。
でも、それは一花も同じのはず。
けれど、一花は近づこうとしてくれた。
それに答えないほど、俺は馬鹿ではない。
「あの、さ……つ、次のデートは恋人としてさ、一緒に行ってくれないか?」
「そ、それって……つまり……」
自分の気持ちを素直に相手に伝えるのは怖い。
ずっと基本的に受け身な性格だったから、自分から相手に何か伝えるのが怖い。
そんな人だし、一花の隣に堂々と立てる人間ではない。
ただ、もっと近づきたい、もっと話したい。
その気持ちは誰にも譲りたくない
俺は一花の目をはっきりと見て、そして、言った。
「い、一花が好きだ! 俺と……付き合ってください」
紅くなった空の下、赤くなった顔で、俺はそう言った。
そして、手を差し出す。
一花はそんな俺の手を取った。
「ええ……私も悠木くんが好き。私で良ければ、よろしくお願いします」
一花はそう言うと、ニコッと笑った。
その日、恋が一つ、実った。
彼氏としては、まだまだ胸を張れる人ではない。
しかし、これからはもう一花に自分の気持ちを隠す必要はない。
一花も同じ気持ちだったのだから。
『好き』
その言葉を、これからたくさん、一花に伝えていこうと思う。