6話 ひと時の平穏
数刻前
目を開ける。そこには、美しい黒髪と澄んだ瞳が目を引く可憐な少女が僕の顔を覗き込んでいた。
少女は困った表情で「お兄様。お目覚めですか?」と首を傾げる。彼女は僕の妹、シャルロットだ。
「ああ。僕、寝てたのか…」とゆっくりと体を起こす。周囲を見渡すと、見慣れた裏庭の景色があった。
シャルロットは僕の横にしゃがみ込み、「そうですよ。久しぶりに戻られているとお母様が仰られていたので探しに来たら倒れておられたので驚きました。最近は忙しくしておられると聞いております。ですから、こんな所に居られずに体をしっかりと休めてくださいねっ」とプンプンと説教してくる。
「ご、ごめんって…。いつも通りの簡単な鍛錬のつもりだったんだけど、熱が入っちゃって…」と言い訳をしてみる。
「いつもそうやって無理ばかりしてっ。心配する私の身にもなってください。それよりも、約束は覚えてくださってますか?」と期待したような表情で尋ねてくる。
僕は頷き、「もちろん。次に会った時は一緒に街に行こう。だろう?」と答える。
シャルロットはパッと表情を明るくして「そうですっ。覚えてくださっていたのですね、嬉しいです」と手を差し出してくる。
僕は首を傾げながら手を取る。すると、シャルロットはその手を強引に掴み、僕を立ち上がらせて歩き出す。「お、おい…シャル?」と戸惑っている俺を横目に、「私達が会えるのはめったにない機会なんですよっ。今日は自由に過ごしていいとのことですので、今から行くんですっ」とニコニコと伝えてくる。
その表情から僕は断れないことを悟り、悲鳴を上げる体を鞭打ちながら彼女に続く。
ハインドゴーン 中央街
僕達は屋敷を出て、中央街に向かう。ここは、大規模な街であるハインドゴーンのメインストリートだ。シャルロットは年頃の少女だが、その境遇からこうして街に出られることが少なかった。彼女は目を輝かせて出店に向かう。
出店の店主がこちらに気が付き、声をかけてくる。「いらっしゃい。何にするんだい?」
シャルロットは店に展示された色とりどりのアイスに釘付けになり、「お兄様っ。可愛い色の物がいっぱいありますっ」と目を輝かせる。
「食べてみようか。どの味がいい?」
シャルロットはうーんと首を傾げ、「味の想像がつきません…。これは、どんな味がするのですか?」と白いアイスを指さす。
店主がその様子を優しく見守り、「それは、ミルクと卵、砂糖で作った一番スタンダードなアイスだな。最近、商人が見つけてきた甘い香りと風味を持った植物をスパイスとして混ぜるようにしてからめちゃくちゃ美味くなったんだよ。最近の一押しだぜ?隣のは、ここらでは栽培できない特別な茶葉を練り込んだ大人な風味のアイス。後は、ハインドゴーンで栽培される甘い芋を練り込んだしっとりとした味のアイス。この辺は人気だね」と説明してくれる。
シャルロットは店主の言葉をしっかりと聞いた後、「じゃあ、店長さんの一押しのアイスがいいですっ」と店主に伝える。
店主は優しく頷き、「はいよ。お兄さんはどうする?」と慣れた手つきでアイスを盛りながら尋ねてくる。
「じゃあ僕は茶葉のアイスでお願いします」と伝え、料金を手渡す。
店主がすぐに二つのアイスを作り、「はいよ」と手渡してくれる。その後、「お嬢さん」と小さな声で声をかけ、一回り小さなサイズで選ばなかった味のアイスを盛ったコーンを手渡してくれる。「せっかくだからね。おまけだよ。これもよかったら食べてみな」
「いいんですか?」と目を輝かせながら、僕の方を見る。「よかったな。貰っておこう。」と伝え、店主に感謝を伝える。
店を離れ、シャルロットは両手に持ったアイスを交互に眺める。「お兄様、どこかに座って食べましょうっ」といつもとは違って年頃の少女のように楽しむシャルロットの表情を見せる。
近くのベンチに座り、アイスを食べてみる。「おいしいですっ!このアイス、美味しいですっ。食べた途端に口の中一杯にミルクの風味と独特の優しい甘みが広がってっ!とっても美味しいですよ!」と目を輝かせて僕に伝えてくれる。
僕もアイスを頬張ると、口いっぱいに広がる甘みと独特の風味が一斉に広がり、思わず声が漏れた。「お兄様のアイスもおいしいんですね。顔に出てますよ」とシャルロットが横で無邪気に笑う。僕もそれにつられてしまう。
アイスを食べた後、僕達は中央街をゆっくりと楽しんでいた。話をしながら歩いていると、突然シャルロットが立ち止まる。シャルロットの視線の方を見ると、そこには綺麗な衣装が展示されていた。
「見てみるか?」
シャルロットはその声でハッとしたようにアスターの方へ振り向き、「女性向けのお店のようですし、お兄様は楽しめないのではないですか…?」と遠慮がちに尋ねてくる。
僕は首を横に振り、「入ってみようよ」とシャルロットの手を引く。
店に入ると若い女性の店員が迎えてくれる。僕達は会釈で返し、店内に入る。
シャルロットは店内の衣装に目を奪われ、フラフラと色々な場所に歩いていく。しかし、遠慮しているのか手に取ったりしようとはしなかった。その様子を近くで見ていた店員の女性が、スッとシャルロットに近寄る。「お客様。お気に召されるものがあれば、試してみてはいかがでしょうか。お客様のような可憐な方であれば、どのような服でもきっとお似合いになると思います。例えばこのワンピースなどいかがでしょうか」と白いワンピースをシャルロットに見せてくれる。それはシャルロットが入り口で見つめていた物と同じものだった。
シャルロットは困ったように視線で助けを求めてくる。「店員さんもこう言ってくれているし、着てみたらどうだ?きっと似合うと思うぞ」と僕も背中を押す。
その言葉を聞いた後、「いいんですか…?」と小さな声で店員さんに返答すると、店員の女性は優しく微笑み、「もちろんです。あ、そうです。お客様がよければこちらとこちらと…後こちらもいかがでしょうかっ!試してくださるだけでも構いませんのでっ!よければ…っ!よければ…っ!」と何故か興奮気味に色々な衣装を持ってきてくれる。シャルロットは言われるがままに奥につれていかれる。
数分後、店員の女性が戻ってきて手招きしてくる。そこには、いつもの屋敷の服とは違った華やかな白いワンピースを着たシャルロットが立っていた。シャルロットは恥じらいながら、「ど、どうでしょうか…。お兄様…」と尋ねてくる。
僕はその様子を眺め、「とっても似合ってるよ。シャルロット」と優しく微笑む。
シャルロットはその言葉を聞いた途端に安心したように口元を緩め、「よかった…。ありがとうございます」と微笑む。
その表情を見た途端、僕は財布の紐を解き店員さんに手渡す。「いくらですか。いくらでも…いけますよ…」と鬼気迫る勢いで店員さんに迫る。「に、兄様?!」とシャルロットが驚くのもよそ目に、すぐさま支払いを終える。すると、サッと店員の女性が紙袋を手渡してくれる。「お兄様、この衣装も…よかったですよ…是非…。後、お召しになっておられた衣服もこちらに包んでおりますので、このまま楽しまれてくださいっ」と小声で、何故か恍惚とした表情の店員が色々と押し付けてくる。
呆気にとられながらも財布を取り出そうとすると「いいんです。妹様の可憐なお姿を見られたので…いっぱい眺めてあげてください…」と止められてしまう。
「え…えっと…ありがとうございます…?」と戸惑っていると、そのやり取りを聞いていたシャルロットが顔を赤らめながら、「い、行きますよっ!兄様っ!」と僕を掴んで店を出てしまう。女性店員はその光景を眺めながら、「えへへへ…また来てください」と様子がおかしくなっていた。
逃げるように店を出て、2人で息を整える。「な、なんだったんだ…」「なんだか疲れました…」
視線を上げると、いつの間にか中央広場の噴水が目前に迫っていた。ここはハインドゴーンの中心であり、この地を治めたアルマー家の一代目であるグレイブス・アルマーの像が建てられている。その像の足元の噴水広場は民の憩いの場となっているのだ。
「シャル、あそこで休もう」と噴水広場を指さす。
シャルロットも同意し、広場の端のベンチに座る。
「はあ…久しぶりに疲れました。街を歩くというのは疲れるものなのですね。」と珍しく少し姿勢を崩しながら呟く。
「そうだね。今日は色んな所を見て回ったから。特に、さっきのお店は凄かったね…」
「は…はい…。ですが、こんなに素敵な衣装が頂けたので私は満足です。大切にしないといけませんねっ」とワンピースを見つめ、嬉しそうに呟く。
「店員さんは変わった人だったけど、いい買い物ができてよかった。他の衣装もまた試そうな」
「え?は、はい…それはまたの機会に…あはは…。それはそれとして、初めに食べたアイスもとってもおいしかったですねっ。お屋敷で出してくださる料理とはまた違った親しみやすい味だと思います。また食べてみたいです。」
「ふふっ、そうだね。また、僕の買ってたアイスも食べようね」
「もうっ、からかわないで下さいっ。私の口に合わなかっただけで、決して私の舌が子供というわけではないのですからねっ」とそっぽを向く。あの後、それぞれの味を試したのだが、あの茶葉の味は大人の味すぎたようでシャルロットは顔をしかめていたのだ。
「ごめんごめん」と笑ってごまかす。「またこうやって遊びに行こうな。今度は今日みたいにいつもの服じゃなくて、貰った服とかも着てさ。きっと今日以上に楽しくなるはずだ」
「衣装の方は考えておきます…。ですが、そうですね。私もまたこうして街に出たいです。出来るなら、外の街にも…。あ、いえ。何でもありません。」と口を噤む。
僕達はこの街を自由に出ることはできない。主人であるアルマーの駒として、彼の思うがままに動けなければならないからだ。昔は屋敷すら出られなかったが、現在は一時的に街に出ることが可能となった。これはシャルロットの強い希望によるものだ。彼女の功績はスレイヴ家の歴史の中で見ても一、二を争うほどに圧倒的なものだ。それ故に、ほとんど自分の希望を口にしない彼女の願いは主人であるアルマーの首すら縦に振らせてしまったのだ。
「いずれ僕達も外に出られるようになる。戦いが終われば、僕達の使命も終わる。僕はそう信じてる。だから、その時が来たら一緒に旅をしよう。普通の人として、各地を観光するんだ」
その言葉に、シャルロットは静かに頷く。そして、口を開こうとした時だった。シャルロットの目が揺れる。屋敷の方角から、一筋の光が打ちあがったのを目にしたからだ。
その光は、空で大きく花開き、民の目線を釘付けにした。近くの民達が歓声を上げる中、僕達は苦い表情を浮かべながら走り出す。
どうして…今なんだ…。