26話 再び
気が付くと私はある一つの部屋に辿り着いていた。部屋の奥には、杖を突いた誰かが立っていた。彼は静かに息を吐き、「ようこそ。シュバルツ・ラインハルト。私達の領域へ」と私を誘う。
私は彼の言葉に返答しようと口を開く。しかし、その口から声が発されることはなかった。
杖を突いた男はその様子を見守り、「大丈夫だ。焦る事はない。君はまだこちらに来たばかりだ。慣れるまでしばし実体を持てないだろう。だが、ちょうどいい。君がここに慣れるまでに、この世界について話をしよう。」と告げて地面を突く。
その行動に呼応するように景色が替わる。ここは、旅の最中にフリッドに連れてこられたスピネルの咲き誇る丘だ。杖を突いた男はその景色を静かに眺める。「よい光景だ。君の記憶に鮮明に記憶されている。ここは我々のような者達が紡ぎあげた精神世界だ。だが、この世界の基盤たる主は我々ではない。この世界の主は、スターロードと呼ばれる宇宙からの観測者。その一柱たる少女の切り札。名をレグルス。レグルス・レオンハルトと言う。ここは、彼によって作り上げられた閉ざされた世界だ」と寂しそうに呟く。
「そういえば、名前を言っていなかった。私の名はコード。コード・ブリンク。君と同じようにレグルスに全てを奪われた人間の一人であり、彼の糧としてその存在を完全に吸収された魂の一つだ」
どういうことだ…?レグルスとは一体…。それに…吸収された?私と同じように…?
コードは景色を眺めるのを止め、私の方へ振り向く。「そう焦る事はない。時間はたっぷりとある。一つずつ教えていこう」と言い、彼は杖を突く。
今度はシリウスでアリシア達と過ごした宿屋のフロアに辿り着く。「ふむ、ここもよい場所だ。きっと、君が訪れた時には活気のある賑やかな場所だったのだろう」と言いながら、カウンターに立つ。「座りたまえ」と彼は私を誘導する。
「まず、一番辛い話から始めよう。君は、レグルスによってその人生の全てを奪われた。君は運の悪い事に何処かで彼に出会ってしまった。レグルスは気に入った一人の人間に呪いを与える。その呪いとは、時が来た時にレグルスそのものとなるものだ。その呪いが起動すると、レグルスはその命の全ての記憶、技術、感情、知識を自分の事のように鮮明に理解し、その命の主を精神世界に墜とす。その結果、その命は名実ともにレグルスと成り果てる。つまり、シュバルツ・ラインハルトは今この時をもって精神世界に堕落し、レグルス・レオンハルトという人格がその身に宿されたという事だ。簡単に言うなら、君の体はレグルスのものとなり、君の全ては初めからそうであったかのように彼のものとなった。そして、本当のシュバルツという人格はこうして精神世界に墜とされ、二度と現実に戻る事はないという事だ」
私はその話を聞き入れることが出来なかった。これが夢であると信じたかった。だが、これが夢ではないという確証が、私にはあった。あのライエの声が響いたとき、私は夢に落ちたのではなく本当に自らの肉体を残すかのように世界に墜とされたのだと自覚出来ていたからだ。
「シュバルツ。君の考えていることは分かる。私も同じ経験をしたのだから。そう、ここは夢ではない。悲しい事に、これは覆らない現実だ。多くの事を経験した君になら、それが理解できてしまうだろう」そう言いながら、彼は杖を突く。
辿り着いたのは、ディストリアの岸壁。シンと出会った美しい場所だ。「君は本当に素晴らしい旅を経験したようだ。この景色を私も見られることに喜びを隠せない。本当に素晴らしい光景だ」とコードは岸壁から見渡せる青い海と地平線を嬉しそうに眺める。
「では、続きを話そう。レグルスはこうして君となった。彼は、星の民という外界に接しない存在として、各惑星の生命体との交流を対等に行う事に拘った。星の民とは惑星に存在する生命体にとっては神のようなものだからだ。しかしながら、神ではその惑星での文化や問題点を適切に処理できない。だから、彼は神としてではなくその地の生命体として生き、その中で知見を深めて問題点を見抜くという方法を考え付いた。言葉で聞くなら、とても画期的な事だ。だが、どこまで視線を合わせようとしても彼は神であった。惑星の生命体となる為に、彼は自らを構成する数多の星の力の一つを選び、それをただ一人の人間に与えた。その力が深き底で種となり、何らかのトリガーによって芽吹く。そして、その生命体はレグルスに吸収され、彼の一部と帰るようプログラムされた。吸収された生命体は、全ての記憶、感情、技術、知識を与え、彼のビーコンとなる。
「彼は簡単にその世界の問題点を見抜き、切除することが出来た。星の民が見ても、惑星の民がみても彼は優秀で、完璧に映った。当然だろう。彼は惑星にとって異物であり、世界に溶け込むことが難しいという星の民の問題点を一手で解決し、分析の難しい惑星内の問題点に適切に対処できているのだから。だが、表向きが如何に素晴らしい結果であったとしてもその行為には代償が伴った。それが、我々だ」コードは杖を突き、場所を変える。
澱んだ空気と充満する熱気。ハベルだ。「ここは、鉱山か。君は本当に様々な場所に訪れているのだな。」コードは周囲を見渡しながら満足げに呟く。
「レグルスの用いた方法は、代償を伴った。彼にとっては些末な事だろうが、彼は自身の手足ともいえる部分をただ一人の人間に投げ打ち、その力を代償としてこの行いを完遂していた。つまり、私達で言うところの骨や臓器。そういった構成する体の一部をただの人に放ち、消費しながらこの活動を続けていたのだ。これがどれほど恐ろしい行為かは想像に難くない。なぜなら、無限ともいえる惑星に対し、有限である構成物質を消費して介入しているのだから。そうしてこの活動を続けていく内に、彼の体にも変化が起き始めた。彼が気付かないうちに内面に封じ込められていた星の魂たちが、その僅かに残された力を用いて彼に溶け込み、こうして夢の中のように継ぎはぎに構成される世界を作り上げたのだ。そして、取り込まれた魂たちはここでこうして交流をするようになった」
「これが偶然であるのかそうでないのかは分からないが、彼は私達のような魂だけとなった切り捨てればいいはずの存在を潜在的に切り捨てなかったのだ。つまり、今もなお彼の中には数えきれないほどの魂が内包され、精神世界上で生存を続けている。これに意味があるのかは分からないが、一つ言えることがある。それは、我らが真に死んでいないということだ」そう言い放ち、彼は杖を突く。
次に広がった景色は、鮮明に覚えていた。ロムラと修行を重ねた場所。豊穣都市ロベルトの小さな村の広間。「おお…。私の惑星に似ているな。私の世界も、こうした穏やかな場所であった。懐かしい、当時の記憶が蘇るようだ。」そう優しく漏らし、コードは話を続ける。
「だが、我らが死んでいないとして、我らが生きているという証明は誰にもできない。私の惑星では、存在が認識されないという事は、死んでいる事と同義とされた。なぜなら、誰も知らない、覚えていない存在がそこにいると誰が証明できる?仮に私の中にもう一人の人格が内包されていたとして、誰もそれを証明することはできない。仮に私達の他に、この話を聞いている存在がいるとして、誰がそれを証明できる?そう、私達生命体は存在を認識できないものに対して生存していると証明することは出来ない。なぜなら、生物の本質として、そんな事に意味はないからだ。だが、こうして我らは存在している。この状態を真に死んでいないと言ったが、言い方を変えるならここで生かされ、囚われているともいえる。現実に戻る権利も手段もなく、ただただ死んでほしくないからと生かされ続ける。医療機器に囲まれ、管から得られる栄養を頼りに内臓を動かし続けるかのように。それを生きているとして、どうするというのか。そうして、この精神世界では多くの人格が姿すら現さなくなった。ただ、消えることも出来ず、無意味な空間に閉じ込められ続けている。私は初めにこう言った。彼は、良くも悪くも神であるのだ」と。杖を突き、場所を変える。
見慣れた邸宅。私の住んでいた豪華な屋敷。その一室。父が生前そのほとんどを過ごした謁見の間。「やっと辿り着いたようだな。ここが、君の始まりの場所。この場所こそが君の核が眠る場所だ」そう言って父が作業していた机の前に立ち、コードは振り返る。
「レグルスはこうして、私達の惑星を救い続ける。私達という代償を抱えて。誰の意思にも動じず、ただその使命の為に。惑星の未来と私達の魂など、天秤にかけるまでもない。そんな事は分かっている。だが、そうであったとしても私達は自分達の力で前に進みたい。そう考えるものだ。だから、その手を考えた。」コードは自らの心臓に当たる部分に手を触れ、光を取り出す。「これが、私の核だ。これはただの仮説だが、この核にはレグルスが我々に与えた星の力の残滓が眠っている。そうでなければ、平凡たる我々人間がこのような世界に留まり、存在を認識し合う事などできないはずだからだ。そして、これが星の力の断片であると仮定するならば、この精神世界を切り裂くという不可能すら可能とするかもしれない。星の力の断片を一つに集約し、今一度世界に存在の証明を行い現実への帰還を果たす。それができると私は信じた。これを実現する為に、私の行いに賛同する者、非難する者、無関心な者。その全てを始末し、私の核と融合させた。元来星の民の力というのは心臓の鼓動と繋がり、その力の断片を示す。君の核がその心臓に呼応するように煌めくように。剣を取れ。その核が私を貫き、全ての力を集約する事で仮説は証明される。この力の断片が仮初なものだとしても、一時だけの幻だとしても、君はこれを用いることで現実に帰還できるだろう。だが、その代償は君が背負う事になる。その力が尽きた時、再びこの精神世界に戻り、ただ一人無限の時をこの世界に囚われることとなるだろう。それでも、守る必要がある世界なのだとしたら、その代償を背負ってでもやるべきことがあるなら、その剣を握れ。そして、私諸共この世界を切り裂くのだ。崩壊する世界の先、必ずや現実への道が開かれるはずだ。その道への案内人は、君の目覚めを待っているぞ」手に握られていた核はいつの間にか一振りの剣となり、美しく輝いていた。
私の頭には、今までの記憶…、託された父からの思い、旅で出会った信頼できる仲間たちの顔が浮かんでいく。彼らは一様に優しく微笑み、背負う必要はないと言わんばかりにその行く手を阻む。だが、私は迷う事はしない。私のこの力で彼らが救えるなら、迷う必要はない。私は手を振り上げ、渾身の力でその記憶を切り裂く。
気が付くと謁見の間に戻っていた。瞳に映るのは、満足げに霧散を始めるコードと崩壊し始める世界であった。「思った通りだったな。君はこの選択をするだろうと思ったよ。せいぜい頑張りたまえ、抗いたまえ。自分の世界は自分で切り開く。私はそういう英雄が好きなのだよ…。後は彼が導いてくれるはずだ」と遠ざかるコードの声が、私の頭に響いた。
崩壊する世界の中、光が差し込む。光の先には見慣れた一人の人間が立ち、手を差し伸べる。「ロムラ…。」直後に彼はよろめき、力無く目を閉じる。シュバルツは考える前に手を伸ばし、彼を抱き留めた。
感覚が戻る。意識が、感覚が…。現実に戻ったのだと告げている。そして、自分の体に倒れ込む師匠に力が入っていないことを認識する。
すぐに彼を地面に横たわらせ、顔を見る。「ロムラッ!ロムラッ!」
彼は私の声に呼び戻されるように目を開き、「戻られましたか…。シュバルツ様。信じておりました…」と絞り出すように伝え、微笑みながら目を閉じる。
「ロムラ…。しっかり…してくれ…。まだ…何も…何も返せてないだろ…。私を育ててくれた事…。共にあってくれた事…。言いたかったことが…たくさん…あったんだぞ…。クソッ…。」視界が滲み、彼の姿が捉えられなくなる。しかし、感傷に浸る余地がない事を告げるように心臓の鼓動が早まる。
シュバルツはロムラの手を組ませ、静かに降ろして立ち上がる。「ロムラ、役目を果たすよ。ありがとう。」
シュバルツは手を振るい、光の扉を顕現させる。光の中に進み、陽炎立ちこめる地獄に踏み込んでいく。




