16話 覚悟
「アスターはいつもここに居ますね」彼女はここが居場所とばかりに僕の隣に座る。
僕は苦笑しながら体を起こす。「まあね。僕は任務に出れないから。出来るのはこれを振る事だけさ」
「アスターはね、その剣の力を引き出せてないんだよ。それは君が悪いんじゃなくって、剣が自衛の為にそうしているの」
僕は首を傾げる。
彼女は教鞭をとるように空中をなぞり始める。「剣にはね、鞘があるでしょ?あれはただ単に周りを傷つけないようにするために納めているんじゃないの。あれは、刀身を傷つけないように保護するという目的でもある。君のそれはね、鞘なんだよ」
「鞘?この剣が?」
「そう。でも、その鞘は自分の意思で抜けるものじゃないわ。君の剣は特殊だから。君を守るために、何重にもその刀身を封じているの」
「それは困ったな。それじゃあ僕は、今まで何年もずっと鞘に納めたままこいつを使う練習をしてきたことになる…。それじゃあいざ剣を抜いたときに応用できないかもしれない」
「それは大丈夫よ。貴方の剣の刀身は特殊って言ったでしょ?その岩は鞘であり刀身でもあるの」
僕は更に首を傾げる。
「アスター、首がおかしな事になってるわ」彼女は僕を見て思わず噴き出す。「笑わせないでっ。えっと、その刀身と鞘は一つの力なの。鞘の役割として刀身を包んでる岩は、刀身でもあるの。うーん、分かってくれる?」
僕は首を横に振る。
「そうだなー。剣の刀身をその刀身の元となった鉱石で包んでいるような感じ?かな。普通の剣は刀身が燃えたりしているわけじゃない。けれど、君のそれは刀身が燃え続けているようなものなの。だから、ある条件が満たせたら、鞘は刀身ともなり得る。どう?完璧でしょ!」
「なんとなくわかったよ。それで、条件って?」
「君の場合は、刀身の力を増幅させて鞘に伝える事。でもそれは君一人ではできない事だった。だから、いつまでも剣は応えてくれない」彼女は立ち上がり、力を込めるように手を開く。「これは私に宿った力の一つ。限界を超えて燃え、解放する力。私はこれが持つ力のほとんどを使いこなせなかった。理由は簡単。私にはそこまでの力を内包した力がないから。私の遠い祖父、初代セブンスのアイシス様はポラリス様から多くの星の力を託されていた。人の力が引き出せるよりも遥かに多く内包された力を、自身の身体が壊れないように表面化させて自在に戦ったとされてるわ。つまり、彼が賜ったこの力をその剣に流し込めれば、その岩は全てを断ち切る鋭い剣となるはず」彼女はそこで言葉を止め、僕の顔を覗き込む。「でも、一つだけ忠告。絶対に刀身の力を全部開放しないこと。さっきもいった通り、この力は本来人が引き出せる力を大きく超克できる能力なの。つまり、刀身を完全に開放してしまえば、戻れなくなるかもしれない。私はアスターにそうなってほしくない。だから、約束」
懐かしい記憶だな。はぁ…。全力を出したら戻れなくなるかも…。そうだろうな…。でも、約束は守れそうにないな…
熱線の中心から緋色の光が漏れ出す。直後、緋色の光が花開き、熱線を消滅させる。緋色の輝きを得た剣を突き立て、眼前を睨む。その刀身はまるで、鍛冶師に打たれる鋼のようであった。
「使わせていただきます。アレスさん」そう呟き、アスターは緋剣を引き抜く。
女は即座に剣を再形成し、アスターに斬りかかる。しかし、アスターにその剣は届かず、簡単に弾き飛ばされる。女は身体を反転し、再度斬りかかる。何度も、何度も…。
アスターは簡単にその攻撃を凌ぎ、一瞬の隙をついて両手で斬り降ろす。女は辛うじてアスターの一撃を受け止めたが、その膂力を受け流しきれずに大きく吹き飛ばされる。
大きな衝撃に膝をつき、剣を杖代わりにして睨む女を静かに見つめる。深く構え、瞳を閉じる。緋色の光が強まり、力の行き場を探すように放出されていく。瞳を開き、地面を蹴る。
「緋刃一閃」
緋色の軌跡を残し、神速で女の目前に迫り剣を斬り降ろす。緋色の光が女の身体を通過し、爆発するかの如くその光が増幅する。
光と衝撃が周囲を掌握し、収束する。近くの建物は跡形もなく溶け去り、灰燼と化した中心に二人の姿だけがあった。
女を覆っていた赤黒い霧が押し出されるように放出される。霧が晴れると同時に、イリーゼは力を失うようにアスターの元へ倒れ込む。直後にイリーゼの体は光の粒子となり、少しずつ崩れ始める。
イリーゼは残された力を振り絞るように目を開き、アスターに視線を合わせる。「ありがとう、終わらせてくれて…。本当にごめんなさい…貴方達を守れなくて…」
アスターはイリーゼを優しく抱き留める。「何言っているんだよ…。母さんも父さんも、いつも僕達を守ってくれていたじゃないか…。ずっと力を使いこなせずに皆に負担をかけ続けた僕を…そんな僕を優しく席に招き続けてくれたこと。疲れていても、忙しくても鍛錬に付き合ってくれたこと。力に頼らずとも生きていけるように術を身につけさせてくれたこと。感謝してもしきれないよ…。だから、謝らないでくれ…頼むよ…」
イリーゼはその言葉を静かに聞き取り、微笑む。「そんな風に思っていてくれたなんて嬉しいわ。でも、そう言う事はもっと早く言ってほしかったな。嬉しくて言葉に詰まっちゃうから…。ありがとう、アスター。貴方と共に過ごせたこと。私達の息子で居てくれたこと。誇りに思うわ」
イリーゼの体のほとんどが粒子となり、表情を曇らせる。「もう終わりか…。寂しくなるわね…。アスター、最後に一つだけ。元気でね。シャルロットの事も頼むわよ。あの子は直ぐに無理しちゃうから…。あら、これじゃ一つじゃないかな。まあ、最後くらい良いわよね。」そう伝えた後、イリーゼは無数の光となって天に昇っていく。
アスターは静かに天を見上げる。
光が消え、静寂が訪れる。アスターは視線を降ろし、すぐに噴水広場に向かう。
広場に着くと、知らない少女がシャルロットの元で座り込んで彼女を見つめていた。
アスターは警戒することなくシャルロットの前で屈む。安らかに目を閉じる彼女を見つめ、「シャルロットは…」と絞り出すように呟く。
少女は静かに首を横に振る。「ごめんなさい…。私がもっと…上手くできていれば…」
「僕の時みたいに…治すことは…出来ないんですか…。貴方は僕を連れ戻してくれた恩人です。シャルロットにも…してやってはくれないですか…」
ポラリスは俯き、「出来ないんです…出来なかったんです…。彼女の傷はあまりにも深い。それに、シャルロットさんは白槍を使いすぎました。私の目は星の力の流れが認識できます。貴方達の体に廻るその力は貴方達のコアである心臓に集まり、それを血液と共に送り出して循環させています。そして、身体を巡る星の力を自在に操り、武器として顕現させるのです。つまり、その武器は貴方達の心臓、血液といった全てと混ざり合い同期しています。つまり、この武器は貴方達を守る鉾でありながら貴方達を砕く弱点でもあるという事です。そして今、星の力を大きく消耗した彼女の白槍には亀裂が走っています。これはつまり、彼女の身体が限界に近づいていることを現しているのです」
「私が治療することが出来るのはシャルロットさんの傷ついた身体。私では彼女と同期する星の力を修復することが出来ないのです。白槍を失えば、シャルロットさんはイリーゼさんのように完全にこの世界から消滅してしまいます。彼女をどれだけ治癒しようとも、白槍が修復できなければ彼女は目を覚ませないのです」
アスターは絶望するように俯き、「そんな…そんな事って…。何か…方法は…無いんですか…。何でもします…。僕の代わりに…妹を…シャルロットを…」と涙を流しながら嗚咽するように嘆く。
そんなアスターを静かに見つめ、決心するように呟く。「一つだけ、方法があります」
アスターはその言葉に驚き、涙を拭うのすら忘れて顔を上げる。
「十二名座を封印している塔。あれは、彼らを封印する為に私や協力してくれた星の民の力が防護陣として使われています。防護陣の中に彼女の星の力と適合するものがあれば、彼女を助けられるかもしれません。私がシャルロットさんをそこへ連れて行き、彼女を星の力と結び付けられれば…とても長い年月が
必要かもしれませんが、シャルロットさんは目を覚ますことが出来るかもしれません」
アスターは縋るようにポラリスの目を見つめる。「シャルロットは…助かるんですか…?」
「可能性はあります。あの場所には多くの星の力が残されています。辿り着けさえすれば、私が何とかできます。ですが、彼女を助けるのであれば一つだけ選択してください。貴方達が守り続けてきた民を守るか。シャルロットさんを助ける可能性に賭け、ハインドゴーンの民を見捨てるのか」そう言ってアスターに問いかけるように真剣な表情で見つめる。
「私の使命は、十二名座の侵攻を止める事にあります。これを成し遂げる為には私の力を受け継いだ貴方達の力が必要でした。だからこそ私は再びこの地に降り立ち、貴方達に接触しました。ですが、シャルロットさんはもうこの戦いに加勢することはできません。現在、アーツバルトを占領した星の民のリーダーは「ライエ・スターロード」と呼ばれる彼らの主を封印から解放しようと動いています。彼女が再び地上に戻ってしまえば、これ以上に大きな戦いとなる。最悪の場合、アーカムはこの銀河から姿を消すことになってしまうかもしれません。彼女の復活までの猶予は多くありません」
「アーカム内の最大の戦力たる二つの勢力の両方が生存し、同時に攻撃を仕掛けて彼女の復活を阻止する。そうできるように出来うる限り行動してきたつもりでした。ですが、状況はご存知の通りです。アインツマイヤーの精鋭は星の民と渡り合う事の出来る数少ない人類ですが、アーツバルトに配置された星の民の戦力は彼らの想定を優に超えています。彼らを失わないためにも先んじてアーツバルトに侵攻し、道を切り開く事が必要なのです。つまり、アスターさんは今すぐにアーツバルトに赴き、星の民の戦力を削っていただきたいのです」
「私がその間に出来ることは、シャルロットさんの生存の為に封印の解かれたレーベに向かうか、先陣を切ってアーツバルトの道を切り開くかのどちらかなのです。アスターさんが私の依頼を受けてここを去れば、ハインドゴーンはアリエスが残した残党に大きな打撃を受ける事となるでしょう…」
彼女は言葉を慎重に選び、アスターに提示した。彼女の提案は、スレイヴ家として長きにわたりこの地を守護してきた彼にとっては酷なものであった。
ハインドゴーンの民を見捨てるという事は、スレイヴ家として代々引き継ぎ続けてきた全てを無駄にするという事。つまり、今までの家族の行いを全て無駄にするという事である。民を見捨て、ハインドゴーンという街を消滅させるという事がどれほどの思いを、努力を無かったことにするのか。誰が想像できるというのか…。
シャルロット一人の命とハインドゴーンという歴史の終幕。そして、全ての民の未来を事実上奪うという選択。その全てを背負うことの意味。
アスターは今までの経験を、守ってきた民を、共に戦った家族や騎士団の人々を思い出す。そして、最後に噴水広場で見せてくれた、シャルロットの喜んだ顔を思い出す。その全てを灰に還した後、最後に浮かんだ妹の笑顔をもう一度思い出す。
僕は、それでもシャルロットが生きる事を望む。この地の全てが無かったことになろうとも。今を生きるすべてを見捨てる事になるとしても。
「レーベに向かってください。アーツバルトに向かいます。」アスターは静かにそう呟き、ポラリスに彼女を預けて立ち上がる。
ポラリスはシャルロットを優しく抱えて頷く。「承りました。必ず、シャルロットさんをレーベへお連れします。彼女が安定した後、アーツバルトにて合流いたします」
二人は静かに頷きあう。先行して走り出したアスターの背を見つめ、ポラリスは静かに涙を流す。