12話 巨悪
男は瞬く間に赤黒い霧に飲み込まれ、苦しむ声だけが彼の存在を知覚させる。
二人は男の変化に驚き、互いに距離を保ちながら警戒を強める。
声が消え…静寂が訪れる。数秒の沈黙の最中、霧が少しずつ霧散していく。そこから姿を現したのは、見た事もない女性だった。
女は身体を馴染ませるように手足を動かす。「初めてやってみたけれど、これはいいわね。まあ、小手調べにはなるかしら」と不敵な笑みを浮かべる。
女は二人に視線を合わせ、「驚かせたかしら。私の名前はアリエス。初めまして、スレイヴ家の騎士様」と何事もなかったかのように微笑む。
二人の沈黙にアリエスは溜息を吐き、「残念。話すことはないってことかしら?‟あの二人”はよく話してくれたのに、寂しいわね」とわざと強調するように呟く。
「二人?誰の事を言っている」とアスターが反応する。
「あら、私と話してくれるの?嬉しいわ。二人っていうのは、そうね。貴方達のよく知る人物よ?あー、名前は…そう。リックとイリーゼ…だったかしら」
アスターは黒剣を強く握る。「二人に会ったのか。彼らはどうした」
「あらあら、名前を出しただけなのにどうして怒っているの?」
「言え。あの二人をどうした」
「気になるの?そうねえ。これだけは言っておいてあげる。死んではいないわ。これで安心したかしら?」
「それよりも、私は貴方達と話をしようと思っていたのよ。この男はどうだったかしら。貴方達に手が届いたかしら?」
アスターは再び口を閉ざし、隙を見せているようで全く隙のないアリエスを睨む。
「あら、お喋りは終わりかしら。残念。まあいいわ、お喋りは後でもできるものね。まずは立場を理解してもらわないといけないわね」とアリエスは赤黒い霧を手の上に顕現させ、そこから男の持っていた短刀を取り出す。
「かかっていらっしゃい。貴方達がどれほどのものか、見せてもらうわ」と構えもせずに挑発する。
アスターはその言葉が終わるよりも早く、目にもとまらぬ速さで距離を詰める。アリエスの懐に入り込み斬り上げる。しかし、アスターの振り上げた黒剣は合わせるように止められただけの短刀によって勢いを殺されてしまう。
「あら、これで精一杯の早さなの?残念」アリエスは体を捻って軽くアスターを蹴り飛ばす。
直後、白槍がアリエスの目前に迫る。アリエスは片手に持った短剣を振り上げ、白槍を弾き返そうと行動する。しかし、振り上げたその短剣は霧散する光を斬るのみで白槍を捉えられてはいなかった。次の瞬間、白槍を握ったシャルロットが目前に迫る。
アリエスは咄嗟に最小限の回避行動をとり、体を捻って回し蹴りを入れ込む。シャルロットは咄嗟に姿勢を下げてアリエスの視線の外から背後に回り込む。アリエスは気配を頼りに短剣を振り上げる。しかし、短剣は空を切り、気配が遠ざかるのを感じ取る。同時に、自身の視界の前に白槍が通過する。次の瞬間、白槍の元にシャルロットの姿が現れ、白槍を勢いを乗せたままに横薙ぎする。
アリエスは辛うじてその攻撃に反応し、短剣を構えて受け止める。しかし、その衝撃は華奢な少女から生み出されていいレベルではなく、大きな衝撃とぶつかり合う甲高い音と地面を滑る音が響き渡った。シャルロットの攻撃に体勢を崩された直後、背後からの殺気を感じ取り軽やかに宙に飛び上がる。数メートル後方に着地し、体勢を整えるアスターとシャルロットを視界に捉える。
「あらあら、凄いのね。貴方達の若さでその練度。賞賛に値するわ。本来存在するはずのない混ざり者が、立て続けて私が記憶するに値する程の意志と力を持っているなんて」と感心したように頷く。
「混ざり者?それは、どういう意味でしょうか?」シャルロットは思わず言葉を洩らす。
アリエスは軽く笑い、「簡単な話よ。貴方達スレイヴは星の民と人の子の子孫なのよ」と淡々と告げる。
二人の短い沈黙に呆れたように首を振る。「さっき殺しにかかってきた子が私の言葉を真に受けるのね。まあいいわ、貴方達の強さに免じて教えてあげる。貴方達は、くだらない感情を持った星の民と人類の子孫。根拠はその力よ。つまり、貴方達は今、人類に唆されて同胞たる星の民を狩ろうとしているのよ。」
「冗談のつもりなら笑えないぞ。僕達はお前達とは違う」
アリエスは首を横に振り、溜息を吐く。「別にどう思おうと結果は変わらないからいいけれど。じゃあ、一つ質問するわ。星の民は悪かしら?」
「現状、僕達が持っている情報とこの状況から見て、貴方達星の民は…悪だと言わざるを得ない」
「ええ。そうでしょうね。じゃあ、人類はどうかしら?貴方達は多くの地を駆け、様々な光景を見てきた。人類は善なのかしら?」
「それは…」シャルロットが口を噤む。
「そう。人類、星の民。一つの種族として括るにはあまりにも数が多く、考え方もそれぞれ。貴方達は今、頭角を現した一部の星の民が全てだと思っている。その思い込みのせいで星の民は物語に出てくる魔物や怪物のように相容れない恐ろしい存在だと認識している。だから、その出自を笑えない冗談とさえ感じてしまう。けど、よく考えてみて?さっき戦っていた彼も、私も。力を見せなければ人類と相違ないわ。でしょ?そして、貴方達も」
「今、私は貴方達と敵対し、人類を殺している。十二名座の一人として、やるべきことだから。けれど、十二名座に属さない多くの星の民の中には、その旗を追わない者もいる。私個人の意見としては、そんな彼らの事を醜い忌むべき存在と思わないで欲しい。貴方達が授かったその力は、望んだ物ではなかったとしても、貴方達に立ち向かう力を与えているのだから。今足元で泣き叫んで死を待つだけの人類とは違う存在である事は幸運な事だから」
アリエスは頭を振り、「はあ。何だか変な感覚ね…。調子が狂うわ…。人間なんかを起点にしたせいでおかしくなったのかしら。まあいいわ、今は一旦退いてあげる。けれど、貴方達が次に私に会いに来た時は確実に殺すわ。私は星の民で貴方達は人類。貴方達と相容れないとロードが決定して動き続ける限り、私達は共に歩くことはない。覚悟ができてから進む事ね。私は容赦しない」と告げてアリエスは赤黒い霧に呑まれていく。
霧が晴れた時にはそこには誰も残されていなかった。




