1-8 膿んだ傷を治したいのに|ヴィクトル
注)児童虐待の描写があります。
レオがアイシャに恋をしていることはすぐに分かった。
ふふ、あれで分からないなんてどうかしている。
レオの女性に対する態度は『完全無視』。嫌いという感情を向けることさえない。どんな感情も向けないのがレオだった。
カレンデュラ夫人が婚約者を自称しても、妻になっても、浮気をしても、レオは何の感情も、興味すらカレンデュラ夫人に向けなかった。ある意味、今回初めてカレンデュラ夫人はレオから感情を向けられている、愛情ではなく憎悪だけど。
恋を知らないレオはアイシャに対して不器用で、これはなんとかしなくちゃと僕は張りきった。
だから僕はアイシャを皇太子妃候補にした。
◇
アイシャとの交流は難しいけれど、難解なパズルを解くようでとても楽しかった。
皇太子妃候補とは公平に接するようにと言われていたけれど、放課後はぼんくらな父王に代わって政務を代行しなきゃいけない。よって彼女たちとの交流はランチタイムしかないとなった。
どの子も簡単に誘えるだろうけれどアイシャは難しそうだなと思って、仲のいいと聞いていたマックスに相談したら『肉と甘いもん』と言われた。
「今日は君のために肉汁あふれるひき肉の塊をコクのある野菜のソースで煮込んだものを用意したよ。あとデザートはチーズケーキだよ」
「ご一緒いたします」
それで本当に釣れるのかと思ったら簡単に釣れた……いや、アイシャのことだからこの時点で分かっていて釣られてくれたんだろう。レオと、多分マックスも分かっていなかったから『肉と甘いもん』であっさりつられたアイシャに『チョロすぎ』と呆れた目を向けていた。恋は盲目。マックスはお馬鹿……いや、鈍感。
「ありがとう、君のそういう理解のあるところが好きだよ」
そう言えば一気に周りが騒めく。もっと騒いでほしかった。
隣国の第二王女と婚約を白紙にするとき、婚約者探しが始まることは僕は覚悟していたが僕の想像をはるかに超えて大規模なものになった。後継者を得るために僕は早く結婚すべきなのに、高位貴族の令嬢たちの中から婚約者を選ぶなんて時間の無駄でしかなかった。だって、何人いると思っているの?
3人くらいに候補を絞ってから対応するというと、官吏たちは公平性に欠けるだとかなんだとか言って、最終的には僕に丸投げ。だからアイシャ嬢を模擬戦で見たとき丁度いい 篩が見つかったと思った。
己の矜持だけを見てアイシャを『孤児』と侮るか。
国の安寧を考えてアイシャを『スフィンランの愛し子』と遇するか。
塩対応でありつつもアイシャが俺が馴れ馴れしく接するのを許してくれたから、どんどん選別ができていった。
「感謝の印に宝石の一つや二つ贈りたいところだけど」
「やめたほうがいい、いまが被害の出ない限界だから」
ヒョードルの言葉にそちらを見れば、マリナたちとアイグナルドたちが水の球と火の球を投げ合って遊んでいる……ように見えた。レオは無関心を装っているのに、アイグナルドたちがそれを全て無駄にしていた。
僕とヒョードルの声が聞こえてもおかしくない距離だし、なんならアイグナルドはマリナと精霊戦争をしてるのに、レオはぼんやりと窓の外、淑女科の実習室を見ていた。
「彼女を窓越しに見つめるなんて歌劇みたいじゃないか?」
「ヴィクトル。応援しているの、邪魔しているの?」
「面白がってる」
根が割と素直なレオとマックスは僕の思惑に気づかなかったけど、ヒョードルは気づいていた。
「本気だったら今頃ヴィクトルは氷の槍か何かで死んでいるからね」
ヒョードルの言う通りで、僕がアイシャを本気で妃にしようとしていたらスフィンランたちに凍らされていた。
将軍を妃にした王はいない。
将軍は基本的に砦で生活することになる。後継ぎを求められる若い王族が別居夫婦になるわけにいかず、かといって将軍を任地から離すわけにもいかず、「苦渋の決断」という王家にだけ都合のいい理由付けで事実上の妃を別に娶ることになる。
愛し子がそんな形だけの妃になることを精霊たちは許さないし、あの気性のアイシャがそもそもそんな話を受け入れるなんて想像さえできなかった。
アイシャが誰かを愛するなら一途に、危ういくらいわき目も振らずその男を愛する。
そんな気がしたのに、なんで僕は15年前にアイシャが浮気するなんて思ったんだろうね……馬鹿だね、僕。
僕はただ……レオに幸せになってほしかった。
王太子妃候補にしたときも、アイシャを僕の都合よく利用したのは事実だけど、王太子妃候補だったという事実がアイシャの箔になりレオと結婚するとき役に立てばいいなとか思った。
レオを生んだサンドラ夫人は王女で、僕の叔母にあたる人。
先代国王である祖父は「政治はできた」と評価されるが、裏を返せば後継者育成には失敗した。正妃が産んだ僕の父と愛妾が産んだサンドラ夫人。どちらも失敗作だから祖父に大きな責任がある。特に己の愛と欲で娶った愛妾との間に生まれたサンドラ夫人は、母親がそこのところを知らないのだから王族としての教育は祖父が厳しく管理するべきだった。
子どもを甘やかすだけなら誰でもできる。
祖父は面倒がって娘への教育をさぼり、甘やかされて育ったサンドラ夫人は己の欲を我慢することをしなかった。今日は勉強したくない。嫌いな食べ物があるから作り直して。子どもの可愛い我侭のうちに矯正するべきだった。
強制されず自由気ままに育ったサンドラ夫人は20歳のとき13歳のレーヴェ殿、レオの父親に一目惚れした。20歳といういき遅れの時点で王家の不良債権だったが、サンドラ夫人は不良債権の自覚もなく「レーヴェ様のお嫁さんになる」とあちこちで騒ぐ恥知らずだった。
サンドラ夫人の我侭を流石にそのときは祖父も諫めたらしい。
それはそうだ、レーヴェ殿はアイグナルドの愛し子であり筆頭貴族であるウィンスロープ公爵の後継者。当時は砂漠の蛮族の力が強かったため、アイグナルドと共にそれを退けようと戦う公爵と公子は国民の人気が高かった。さらに付け足すなら、本人は13歳と成人までまだ3年もある未成年。
しかしサンドラは常識と良識が愕然とするほど醜悪な方法で望みを叶えた。
城で行われた南部平定を祝う夜会でサンドラはレーヴェ殿に薬を飲ませて強姦した。その薬は服用者の魔力を捻じ曲げて強制的に興奮させるもので、それによってアイグナルドたちはレーヴェ殿に近づくことができず本人も魔法を使って抵抗することができなかったらしい。
既成事実を作りレーヴェ殿と結婚できると喜んだサンドラだったが、怒った公爵家の対応は誰もが驚くもので、サンドラの罪を明らかにして堂々と王家を批難した。当然だ。前公爵もレーヴェ殿本人もアイグナルドの愛し子、いくらでも代わりのいる上に不良債権の王女と代わりのいない愛し子では価値が違った。
サンドラに例の薬を渡した愛妾は斬首、サンドラ自身は王族なので北の塔への幽閉が決まり、レーヴェ殿の心情はさておき法的にこれで解決になるかと思いきや事態が急転した。
サンドラの妊娠、それに加えてウィンスロープ公爵の急逝。
公爵夫人は昔に亡くなっており、未成年で公爵位を継いだレーヴェ殿には妊娠を盾に罰を白紙にしてサンドラとの結婚を迫る国王を退ける力がなかった。
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