5-6 人魚姫の話が好きになれない理由|アイシャ
「凍てつけ!」
私の周りにいたスフィンランがエレーナのもとに飛び、エレーナの傍にいたスフィンランたちと協力してせり上がった波を一瞬で凍らせた。
「レオ、子どもたちをお願い」
「気を付けろよ」
指笛で黒のを呼び、氷の足場を作って空中で黒のに跨る。黒のは私の指示を必要とせず沖に向かって飛んだ。
なんだったのだろう……さっきの波、エレーナだけを狙っていた。
海で魔物が暴れて津波が起きた例は腐るほど聞いた。でもその場合は辺り一帯の全てを奪い去っていく。
あの波はすぐ傍にいたイヴァンに見向きをしていないかのように、エレーナだけに向かっていた。
そんな魔物なんて聞いたこと……ある。
文献のレベルだけど……。
「ネームド・セイレーン……レオの不幸体質には脱帽だわ」
セイレーンは人魚たちを統率し、津波で人々を沖に浚って群れで襲わせたという事例がある。セイレーンが『人魚たちの女王』という異名を持つのはそれが由来だ。そして古い文献に、セイレーンが津波を起こす前に一人の女性が波にさらわれたという記述があった。「まるで海が迎えにきたように」と書かれていた。
「どちらにせよ、この広い海で人魚なりセイレーンを見つけて捕まえるのは不可能ね」
とりあえず今は何もしようがない。私は海に威嚇の目を向ける黒のの首をポンポンと優しく叩くと、陸地に向かうよう指示をした。
◇
「母上、姉さん、まるで人魚のようです」
ハルトの賛美にエレーナと揃って返事を返す。エレーナが海を見る姿は気になるものの、あれから結局何もなく夜会の日が来た。
エレーナと揃いのドレスは東部で人気のマーメイド型。
エレーナはイヴァンの目の色に合わせて上半身は濃い緑で、裾に向かうにつれて徐々にコーラルになるドレス姿は大人っぽくもあるし可憐でもある。私は上半身が黒で裾に向かうにつれて徐々に薄紫になるような色合い。黒色なのは「絶対に黒」とエレーナとハルトに言われて仕方がなく。そう、仕方がなく。私が選んだわけではない。
「何でエレーナと同じデザインにしなかったんだ?」
「あなたと結婚しちゃったから」
「は?」
東部で肌を出さないデザインは未婚の証。既婚者ならある程度肌を出さなくてはと服飾師に言われ、チューブトップよりはと思ってホルターネックを選んだ。
生粋の東部の貴族は胸元ももっとバーンと露出するらしいけれど流石にそれは遠慮した。背中むき出しでも少々恥ずかしい。
「こんなデザインなら背中に付けておけばよかった」
見当違いの後悔をしているレオは放っておくことにする。胸元と太腿に一杯つけられた独占欲の証は隠れたからよかった。
「ハルト、留守番をよろしくね。すぐにレーヴェ様が来るから」
夜会に出ると決まると私たちは留守をみてもらうためにレーヴェ様に手伝いを頼んだ。ついでにマーウッド伯爵家にもお願いして警備の兵士を置いてもらっている。
「父上は遅いな、何をやっているんだろう」
「さっき鳩が飛んできて、アイグナルド式北部サウナに夢中になっていて遅くなるみたい」
「サウナ? アイグナルド式って?」
「岩石をアイグナルドに思いっきり熱くしてもらって、そこに水をかけて蒸気で暖まり、熱くなったら素っ裸で雪の中に飛び込む。秘湯の会と考えたサウナみたい」
私の説明にレオは「ワイルドだな」と呆れている。
「父上の趣味の幅には驚かされるな」
「体が整うから長生きできそうだって。今度レオもやってみれば?」
そのときは黒のとちょっと見学にいこうかしら……いやいや淑女がはしたない。
「母上? 顔が赤いですが、もしかしてお風邪ですか?」
ハルトが心配そうな目で私を見る。このピュアな瞳を見たら自分が穢れている気がした。反省。
出かける直前にレーヴェ様が到着し、レーヴェ様からエレーナと揃ってドレス姿を褒めてもらったので気分上々。港に近い場所にあるストーカー侯爵の屋敷に向かう。
人目を気にせずのんびりしたいという希望でマーウッド伯爵家の別荘を利用させてもらっていたから、馬車が進むにつれて街の喧騒が大きくなる。
「東部は活気があるわね」
「ここは港町だから特にだろう。あそこにトデモーナ国の旗を掲げた船も泊まっている」
レオの指さすほうを見ると色鮮やかな色で大胆に塗られた大型の船が見えた。
「……人魚。あのトンデモナイって、人魚と縁があるの?」
「人魚姫の物語に出てくる王子はトデモーナ国の王族だと言われている」
「人魚姫……ああ……」
人魚姫ねえ……私はあまり人魚姫の話は好きではない。
私のいた孤児院が神殿に所属していたということもあるのだろうけど、幼い頃は道徳的な物語をよく聞かされた。いや、童話というものは比較的そういうものが多いのかもしれない。
人魚姫の話を読んだあと、先生たちは人魚姫の行動を『自らの願望を超えた愛』だと説いた。何を犠牲にしても相手の幸せを願うことが真の愛の力と言った。
王子を手に入れることよりも、王子と別の女、自分を騙る嘘つきを選んだと女との幸せを願えば愛なのか?
王子の代わりに自分が死ねば愛なのか?
そもそも、その『幸せ』は誰の幸せ?
人魚姫は王子に何も聞かず、勝手に王子の幸せを決めていない?
私に言わせると人魚姫は自分勝手。勝手に自己憐憫に陥って、自分が死ねば王子は幸せだと決めつけている。
だって、もし王子が人魚姫を愛していたら?
それが『真の愛』というなら王子は自分のことより人魚姫の幸せを願ったわけで、死なれてしまったら、それも自分が騙されていたからだったら、それは王子にとって最もバッドエンドなパターンではない?
王子の幸せを思って死んだというのは人魚姫の自分勝手な独り善がりだし、そもそも論になるけれど人魚姫は本当に王子を愛していたのかという話になる。
こっちは道徳的な理由ではない。人魚が人間に恋するなんて、乱獲の歴史を知っているといまいち信じられない。しかも王子なんて、私の中で最も私利私欲に満ちた人種だ。私がろくな王族を知らない可能性もあるけれど、例えばあの姑とか。
そう考えると人魚姫の話は騙された王子の間抜けっぷりを無理やり美化した上に、自分はこんなに人魚姫に愛された存在なんだぞって自慢話にも聞こえる。むしろそれのほうが私の知っている王族が考えそうなこと。
うん、やっぱり人魚姫の話は好きになれない。
◇
「見つけた!」
会場の喧騒を抜けて聞こえてきた声。なんとなくムカッとしたのはどうしてだろう……うん、私ってすごいわ。
なに、あの無礼者。
「レオ」
「ああ、いこう」
レオもエレーナが知らない男に捕まれていることに気づいたようだ。
「そのあんことやらは置いていけ」
「はあい」
……戻ってきたときにこの餡子がなかったらどうしてやろうかしら、あの男。
少し離れすぎていたのか、人がエレーナたちのほうに集まってきていることもあってエレーナの傍になかなか行けない。その間も「離せ」「離さない」という押し問答が聞こえる……イヴァンは何をしているのかしら。
「やっと会えたのに」
エレーナの知り合い?
「あの男……」
私より頭二つ分高いレオは周りを囲むより人たちの頭頂部よりも高い位置に目があるからエレーナたちが見えるようだ。
「眉間にしわ寄せて、どうしたの?」
「突然泣き出した」
……へえ。
「さすが私の娘、罪深いわ」
「お前と違ってエレーナは故意に、意図して、爛々と、作為的に男を泣かせたりしないがな」
「表現に悪意を感じるわ」
「泣かされた身として恨みがあるからな」
左様ですか。
「それにしてもあの見た目……トデモーナ国の者だぞ? エレーナの知り合いにいるのか?」
「エレーナの交友関係の全てを知っているわけではないけれど、トンデモナイに知り合いがいたら私はとっくに餡子を食べていたはず」
「お前の理論のほうがなんかトンデモナイぞ」
「ずっと探したんだ、僕のセレナ!」
ん?
「人違いじゃない」
「そのようだな」
「僕の人魚姫、セレナーディア・マリーナ・ラヴィリアント・アズール」
んー……長いわ。
それに、人魚姫ってヤバい男だわ。
「レオ、確保!」
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