5-4 甘いものに誘われて|レオネル
「夜会?」
無事に東部に着いたとゲートを超えてきた伝書鳩から連絡をもらい、夜になってようやく俺は東部に来られた。食事をしながら道中の話を子どもたちのいろいろな視点から聞き、夫婦の時間を過ごして、ようやくアイシャから夜会のことを聞いた。
「ストーカー侯爵主催の夜会よ。あの沖に見えるトンデモナイ国からも人がくるみたい」
「ストリンガー侯爵、トデモーナ国な。アイシャ、侯爵のほうは別にいいがトデモーナ国からの客人はよそ様だ。マナーは守れ、そうでないとヴィクトルに迷惑を……」
ヴィクトルではアイシャの抑止力にはならない。
「レア王妃に迷惑をかけるなよ」
「分かっているわよ」
分かっている奴にこんなことは言わない。
分かっていないから言うんだ。
「お淑やかかつ丁重にご挨拶するわ。なんといっても餡子の運び屋なんだから」
「あんこ……ああ、最近東部で人気の甘味だったか。確か、東方のヒーズル国から輸入しているという豆を甘く煮たんだったな。トンデモナイ……じゃない。トデモーナ国を経由して東部にきていたのか」
アイシャは甘いものに目がない。
そして甘いもののためなら苦労も面倒も進んでこなす。
例えば酪農。
アイシャが所有しているチェッコリ商会は酪農に力を入れ、北部で作られた良質な乳製品は王都で高値で取引されている。北部の気候に合った酪農という分野に目をつけたアイシャを褒め称える輩が多いが、アイシャが酪農を始めたのはミシュアの樹の店主が質の良いバターと牛乳が手に入らなりそうだと嘆いていたからだ。王都に流れているのはミシュアの樹の店主が買わなかった余りである。
ミシュアの樹の店主がそう言った背景には、これまで店が契約していた酪農家、ファブル夫妻が高齢を理由に廃業することを決めたから。アイシャは直ちに行動を起こした。まずファブル夫妻を北部の良質な温泉で釣って食客として北部に招き、そのノウハウをチェッコリ商会員でもある北部の住民に学ばせた。
住民が酪農について学んでいる間、アイシャは酪農に必要な土地の開拓。DIYが趣味の父上もまきこんで牛舎を作り、搾乳や運搬など機械化できるところは機械化し、高齢者でも力仕事ができるようにした。
後継者を育てることに目覚めたファブル夫妻はフォセ学園でも大人向けに酪農の授業をしている。彼らの授業は大人向け講座の3番人気。1番人気は王都の家庭菜園が趣味の主婦たちが座席を争う『トムソン爺さんの野菜作り』、2番人気は父上の料理教室。「元公爵が何をやっているんだ」と父上に言ったら「稼いだ金で孫たちに何かを買ってやりたい」と言われた。魔物狩りのほうがよほど金になると思ったが楽しそうだから放っておくことにした。
思考が逸れたが、このようにアイシャの甘いものに対する熱意は凄い。周りを巻き込む規模もでかい。 だからこそ俺は今回の『あんこ』も警戒している。気に入ったら「ちょっとヒーズル国まで行ってくるわ」と言って飛び立ちかねない女だ。
「ドレスはどうしたんだ? 持ってきたのか?」
「まさか。海辺でぐうたらするつもりだったのに、そんな社交の必需品を持ってくるわけないじゃない」
公爵夫人なんだぞ、お前。
「ドレスは今日注文したわ。時間がないから既製品にちょっと手を加えただけだけど。値段もお手頃よ」
「東部のドレスの場合、値段じゃなくて露出度の高さが問題なんだ」
湿度が高い東部は普段から肌の露出度が高いため、東部の貴族女性たちは露出することへの抵抗があまりない。夜会で思わず見張る露出度高めなドレスを着ている女性は東部の貴族だと分かるくらいだ。
「南部で見慣れているでしょうが」
「あっちは肌を露出しない。日焼けを予防するため紗で肌を隠す」
「残念ね。レオ、大胆に胸元がバーンッと出るドレスが好きなのに」
「勝手に俺の好みを捏造するな。そんなこと俺が、いつ?」
「一年上の先輩にそれはもう立派なお胸をお持ちの方がいらっしゃったじゃない」
一年上の先輩? 誰だ? んんーーー……あー、あの牛の乳みたいな……って!
「ほら、覚えてる。やあね、これだからムッツリ男は……「誰がムッツリだ!」……レオ」
……疲れるぞ。
「もういい、で?」
「そうそう、餡子って生クリームに合うんだって」
「話が戻り過ぎだ。違う。ドレスの話。どういうドレスにしたんだ?」
……ん? なんで目を逸らす?
「内緒」
「なんだそれ。一緒に出るんだから合わせないといけないだろ? 当日のお楽しみっていうのなら、色や形だけでいいから」
どうせ細かいことを言われてもいまいち分からないし。
「形はマーメイドライン、色は言いたくない」
…………ああ、そういうこと。素直じゃない奴。どうせ直ぐに分かるのに、可愛いなあ。
「な、何で突然盛り出すわけ?」
「アイシャが悪い」
「悪くない。さっきまで散々……それにっ! 私は明日子どもたちと海遊びをっ……きゃあっ」
可愛い悲鳴を上げるアイシャをシーツの海に押しつけ、鎖骨の下に思いきり吸い付いて赤い痕を残す。あの水着を着て海遊びをしようという計画を阻止することを忘れてた。
◇ エレーナ
眠れない。
2週間も母様と離れていた父様に母様を独占させてあげて、双子たちが邪魔しないようにイヴァンとハルトと目いっぱい遊んであげてごっそり体力を消費したのに眠れない。
波の音が妙に気になる。
眠ることを諦めてベランダに出ると、北部とも南部とも違う東部の風に包まれる。少し生臭く感じるのは海の影響らしい。
窓を隔てなくなったことで波の音が大きく聞こえる。森を抜ける風が木の葉を揺らす音に似ているけれど違う。一定のリズムで聞こえる波の音はどこか懐かしく感じる。
……懐かしい?
海にきたのは初めてなのに……いや、でも、懐かしい。以前、王都から北部に帰ってきたと感じたときの安心感に少し似た感覚。
初めて海を見たのに、波の音が『お帰り』と言っているように聞こえる。
―― おかえり。
―― こっちだよ。
―― 早く………なん……忘れ……。
なんだろう。聞こえない。もっと近くに――。
「エレーナ!」
近くで名前を呼ばれ、同時に腕を強く引っ張られる。驚く間もなく視界がぐるっと回って、イヴァンに乗る形で倒れてしまった。
「……イヴァン?」
「何やってんだ! 落ちる気か⁉」
「……え?」
なんのこと?
落ちるって?
「そんな顔をしてどうしたの? 海を見ていただけじゃない」
「……海を?」
イヴァンが海のほうを見る。
私も見る。
ほら、また……。
「こっちだって……姉様が……」
「“姉様”?」
イヴァンの訝し気な声と同時に脳がぐわんっと揺れた感じがして、私の意識はそのまま遠のいた。
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