3.虎穴だと気づかないから馬鹿なのだ|マクシミリアン
「例の話を聞きまして?」
離れたところにいるご夫人の話声が届く。精霊ゼフィロスの仕業。あの夫人は自分の声が俺たちに届いているなんて思ってもいないだろう。風の噂はとはよく言ったものだ。
声を音として伝えているのは空気だし、ゼフィロスなら上手に盗み聞きできるんじゃない。そう言ってアイシャとヒョードルが盗聴方法を研究したのは遠い昔のこと。完成後、ヒョードルはアイシャに『ミシュアの樹のケーキを一年中好き放題食べられる券』を贈り、ヒョードルは家の新聞社を最大手にのし上げた。
「ウィンスロープ公爵家が学校を作るのでしょう?」
レオたちが学校を作ることにした。
この国に新しい学校ができるのは約100年ぶり。
「その学校、平民が通う学校なんですよ」
『まあ』という声に混じるのは非難8割、好奇心が2割。この国の貴族にとって教育を受けるということは特権である。
―― そもそも人口が増えているのに学校が増えないってことがおかしいのよ。
王立の学校は全て国民全てに門戸を開いていると言っているが、教育費が高いため裕福な平民しか通えない。貴族が通えるのは、貴族はに対しては『いずれ要職に就く』という理由で教育費に対する援助があるから。
この国の人口は増えているが、貴族の家の数は変わらないので増えているのは平民の子ども。だから学校が増えなかった。
「平民にお金が払えるのかしら」
「それが平民は無償で教育を受けられるそうなの」
レオたちが作る学校はいままでと逆。平民は無償、貴族の子女はべらぼうに高い。『貴族お断り』という看板がぶら下げられているような教育費が設定されている。
「ウィンスロープ家の一応公子様はセアラヴィータ学院にこのまま在籍するのでしょう? つまりそれはセアラヴィータ学院のほうが良いと言っているようなものですわ。それなのに、そんなものをわざわざ作るなんて……慈善事業にしても、あまりにも……」
「ほら、ウィンスロープ公爵夫人がそうだから」
遠回しにアイシャを平民だと嘲笑う言葉にヒョードルと共に眉間に皺が寄ったが、落ち着いて考えればあのアイシャにとっては今さらのネタ。「まだ言ってんの?」と笑うアイシャが頭に浮かぶ……うん、あのご夫人たちは怖いもの知らず過ぎる。
「平民に教育なんてして何の意味があるのかしら」
ひときわ大きな声の主、セアラヴィータ伯爵夫人。セアラヴィータ伯爵家はレオンが通うあの聖人養成学校「セアラヴィータ学院」を運営している。
「うちの夫は金をドブに捨てるようなものだと言っておりましたわ」
セアラヴィータ伯爵夫人の言葉に周囲のご夫人たちも笑う。ヒョードルの調べによると学院に彼らの子息が通っており、毎年学院に高額の寄付をしているらしい。
「そもそも我がセアラヴィータ学院は……「失礼」……なにっ?………………ひえっ」
夫人たちの会話は続くかと思われたが男性の声が割り込んだ。ご夫人たちの会話に割り込むなど不作法である。俺は猛者だと思っている。予想通りセアラヴィータ伯爵夫人は不快そうな声をあげて、周りの夫人とそろって眉間に皺を寄せた表情でそちらを見たが、そんなものは一瞬で消えた。
なにしろ割り込んだ不作法者はこの国で一、二を争うイケメンのレーヴェ様。ちなみに競争相手はレオ。父と息子でご夫人の人気を独占している。
「マックス、気にすることはないよ。全ての令嬢が彼らをタイプというわけではないから」
そりゃあ、フウラ夫人はヒョードル一筋だよね!
「慰めにならない」
「どうした?」
「リリアーナはレーヴェ様の大ファンなんだ」
「……ドンマイ」
リリアーナは俺の婚約者。
アイシャが出産した日に一目惚れしたのだが、婚約を打診しても色よい返事をもらえなかった。侍女の仕事がやりがいあり過ぎて辞める気はないし、推しが最近王都に戻ってきたから暫く推し活を楽しみたいというのがその理由だった。その推しがレーヴェ様。クールなイケメンぶりがいいと言われ、クールなイケメンではない俺は何も言えなくなった。
しかし神様は俺を見捨てなかった。
3回連続で誘いを断れ、4度目の交渉でなんとか同意をもらってこぎつけた初デート。俺とリリアーナは街でレーヴェ様に遭遇した。リリアーナはそれはもう喜んだ。俺の存在は完全に忘れ、いまにも「ストーカーしてくる」くらいの感じだったが、レーヴェ様が俺に気づき「やあ、マックス」と気軽に声をかけてくれた。あの日、リリアーナは俺の婚約者になった。近くで推しを見つめられる機会を逃すわけにいかないそうだ。アイシャといいリリアーナといい、レーヴェ様は本当に、憎らしいくらいよくモテる。
「申しわけない、家族の話が聞こえてきたので割り込んでしまいました」
「いえ、全然、お気になさらず」
セアラヴィータ伯爵夫人ににっこりと微笑みかるレーヴェ様。彼女に限らずレーヴェ様の笑顔に周りのご夫人たち、そのまた周りのご夫人たちも被弾してやられ、こぞって頬を染める姿にサンドラ夫人が恋に狂うわけだと妙な感心をした。
「閣下が夜会に出られるなんて珍しいですわね」
「毒にも薬にもならない貴女のような方々との社交は時間の無駄ですから」
……うわあ。
笑顔はそのままに毒吐いてる。親世代は『恋狂いの王女に目をつけられた薄幸の美少年』としてレーヴェ様に接しているが、俺から見ればいい性格している方。アイシャに感化されたのかもしれないが。
「え? あの……え?」
「セアラヴィータ伯爵夫人とお話ししたいことがありまして」
再びニッコリと微笑みかければレーヴェ様が吐いた毒はたちまち浄化される。
「持って生まれた素質を有効活用しているな」
「あの図太さがレオにあればもう少し早くアイシャとよりが戻せたんじゃないか?」
ヒョードルの意見に一票。
◇
学校を運営するなら学校のことを知らなければいけない。
自分が卒業した学校はある程度分かるからとアイシャはレオンが在学しているセアラヴィータ学院を調査した。凝り性のアイシャの調査は一般の『根掘り葉掘り』に相当する。しかもアイシャは妙に引きがいい。
―― なんでこの人たち教員なんてやってるの?
数名の教員の変なところに気づいた。彼らは外交官になること商会を起こすことなどの夢を持ち、在学中に必要な資格を取ったり、インターンで経験を積んだりしていた。成績を見てもその夢を叶えるのに十分な能力があったし、実際に国や商会から内定をもらっている者もいた。それなのに卒業間近に突然進路を変えてセアラヴィータ学院の教師になっていた。
セアラヴィータ学院は他の学校に比べて規律の厳しさなど特殊性もあるため、卒院生が教員になることは多い。しかしそういう者のほとんどが在学中から教員になりたいという夢を持っていた。例外はスポーツ選手になる予定が怪我でその夢を断たれて体育教諭になったりと教職に救いを見出したケース。
何かあるに違いないとアイシャは使えるもの全てを使って調査した。使えるものの中にはこの国の両陛下、王都一人気の高級娼婦、下町に詳しい元ギャングなどがいる。探れない情報があるほうがおかしい気がする顔ぶれ。
そしてアイシャはセアラヴィータ学院の闇……というか、セアラヴィータ伯爵夫人が気に入った生徒に性的暴行を働き、それをネタに脅して学院の教員にして自分との愛人関係を続けさせていることを知った。
学校は閉塞的な空間。保護者の目も届きにくい。特に外部からの接触ができないセアラヴィータ学院はその傾向が強い。
それを知ったとき、アイシャの反応は『なんだ』と淡白なもの。若干つまらなさそうにも見えた。いたぶるのが好きだから。学校の腐敗ではなく個人の腐敗に目くじら立てていたらキリがないという態度だったが、伯爵夫人がその魔の手をレオンに伸ばそうと知ってキレた。
アイシャだけでなく、レオもキレた。
――― あのクソババアに一発お見舞いしてやる。
そう言ってアイシャは教育関係者が大勢集まる夜会の招待状がほしいと大兄さんに強請り、大兄さんはマーウッド伯爵家の名前でこの夜会の招待状を用意した。
この招待状の使用権をアイシャとレオが争ったが、レーヴェ様が割り込んで二人を叩きのめして彼が完全勝利のもとで手に入れた。レーヴェ様はこの事態に誰よりも、あのアイシャよりもぶち切れていた。
「伯爵夫人はフィダ・マクシガンをご存知ですか?」
「ええ、もちろんです。マクシガン先生は先々月までうちで教鞭をとっておりましたわ」
フィダ・マクシガンは俺たちと同世代で、レオンの担任だったセアラヴィータ学院の元教師。元なのはウィンスロープが学院を探っていることに気づいたマクシガン、伯爵夫人の性犯罪の被害者である彼は勇気をもって夫人の悪行を密告しようとした。
「まさかうちを辞めてすぐに亡くなるなんて……」
「亡くなった?」
「暴漢に襲われたと聞きましたわ」
レーヴェ様がくすくすと楽しそうに笑う。
「その情報は間違っていますよ。やはりご存知なかった。彼は生きていますよ」
「……え?」
「話せば長くなりますが、彼が暴漢に襲われているところをアイシャが偶然助けましてね。アイシャは偶然尋問が得意な秘書官みたいな者を連れていましてね。1時間ほどでその暴漢、セアラヴィータ伯爵夫人に頼まれたと白状しました」
レーヴェ様の言葉に周囲が騒めく。大きな声でないのに会場の遠くにいる人まで声が届いているのはゼフィロスの仕業……どやっとしたゼフィロス、可愛いな。
「マ、マクシガン先生は?」
「彼、アイシャに会いにきたというので、アイシャはうちに連れてきましてね。丁度レオンが遊びにきていて、それでマクシガン先生がレオンの担任と分かり、今も歓待しております」
「ウィ、ウィンスロープ邸で……」
「当然でしょう? あなたの悪事を我々に伝えにきてくれた上に、レオンがあなたの寝所に引きずり込まれるのを防いでくれた恩人ですから」
レーヴェ様はパンッと手を叩く。
「先々月に死んだと思い、手続きも住んでセアラヴィータ学院の元教員になっているなら良かった」
「……よかった?」
「ええ、丁度いいので彼を今度作る学校の校長にしちゃおうという話になっております」
「しちゃおうって……」
軽いよな、俺もそう思った。
ここでようやくセアラヴィータ伯爵夫人は周囲の目が自分に向いていることにやっと気づいた。
「か、閣下。話の続きは、その、べ、別室で」
「お断りします。私は個室で女性と二人きりにならないと決めているのです、子どものときに年増の変態女に襲われたトラウマがありまして。あなたもよくご存じの、あの気狂いですよ。よくあんなはた迷惑な女の『お友だち』ができるものだと思っていたら……」
「閣下!」
「少年を暴行するのが好きな、同好でしたか」
マクシガンは年齢の割に若く見える線の細い美青年。もっと幼い頃は天使のように可愛かったであろうことが容易に想像できる容姿をしている。
「ぼ、暴行だなんて。教育の現場を知りたくてお呼び立てし、私たちは合意の上で……「60歳を過ぎた老婆の閨に招かれるなど、特殊過ぎる趣味でもなければ若い男にとって吐き気を伴う苦行ですよ」
……レーヴェ様は容赦がない。
「それでも彼は教員という仕事を愛している。子どものことを大事に思っている。子どもも好きなのでしょうね、もちろん人道的な意味で。婆に奉仕するに比べれば何でもできると、それはもう嬉しそうにうちの孫たちに顎で使われて喜んでいますよ」
言い方!
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