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子は親を育てて離れていくもの|アイシャ・レオネル

時系列としては再婚決定後~双子と発覚までの間、話数でいうと4-10(ep.59)と4-11(ep.60)の間になります。

「エレーナ、合格おめでとう」

「ありがとう」


複数のグラスが掲げられ、大勢の視線の的になったエレーナは照れ臭そうに笑った。


「バタバタしていたのによく頑張ったな」


私の妊娠発覚から再婚話の急浮上でバタバタしつつも、きちんと勉強して編入試験に受かったエレーナ。偉いわ。


「ありがとう、お爺様。王都での生活はどうですか?」

「元々住んでいた場所だから問題ない……と言いたいが、まだしばらくはホテル暮らしだな」


レーヴェ様もレオも今まで王都のウィンスロープ邸にほぼいなかったから、あの屋敷の内装はサンドラ夫人とカレンデュラ夫人が好き勝手して改悪されていたらしい。


レーヴェ様は建物の骨組み以外は全部変えるのではという勢いで改装。家具もリネン類も全て孤児院や救護院に寄付して買い替える、国内はウィンスロープバブルが起きている。



「エレーナはいつ学院の寮に入るんだ?」

「2週間後かな。新学期まではまだ日にちがあるけど、同世代との共同生活に早く慣れたいの。足りないものがあったら買い足さなきゃいけないし」


流行の服も欲しいと新生活に目を輝かせるエレーナ、北の砦はそういうのに無縁だったから楽しそうだ。


うん、よかった……よかった、よかった。


 ◇


「ん?」


王都とつなぐゲートの起動を報せるベルが鳴った。


来訪予定は聞いていないけれど四肢がもげずに到着しているんだから見知った誰かだろう。着替えるのも面倒だしと部屋着のまま玄関ホールにいったらレオがいた。城で仕事をしていたのか畏まった格好だ。


「突然ね、どうしたの?」

「会議の連続で肩が凝ったから温泉に入りたくなった。この前の部屋を使っていいか?」


……泊ってくの?

まるで常宿のような気安さなんだけど。


「こんな辺鄙なところにその恰好は派手過ぎるわ。着替えてからくればよかったのに」


私はこんな格好なのに……いや、ここは家。私の家。家で過ごすのにドレスを着る趣味は私にはない。ないったらないのだが、気の抜けた格好はやや恥ずかしい。相手がバッチリだとなおさら。



「そっちは随分と可愛らしい格好だな。似合うじゃないか」


……流れるようにレオに褒められるの、慣れてないんだけど。


「まあ、趣味じゃないんだけどね」

「そうなのか? よくこういう服を着ていた気がするが?」

「ああ、この見た目だからこの手のデザインを贈られることが多いの」

「……贈り物?」


そんな気にすること?


「フウラからもらったの。エレーナの合格祝いでフウラから服が送られてきたんだけど、その中に私宛てでこれがあったの。温泉のあとに寛ぐのに最適よ、流石フウラ。昔からフウラは服を選ぶのが上手いのよね」


くるっと回ってみせると、ふわふわの裾がふわ~んと広がる。

私の好みよりかなりガーリーだけど、似合う顔をしているからいいでしょ。



「いいな、俺もそういうの作ろうかな」

「……レオにふわふわは似合わないと思うよ」

「違う、素材の話。着ていて涼しそうだし、乾くの早そうだから洗濯も楽になりそう」

「『洗濯』なんて単語がレオの口から出るなんて」


……この男が井戸端でじゃぶじゃぶ洗濯……似合わないけど、なんか想像がつく。


「砦でも俺は基本的に自分のことは自分でやっているぞ」

「公爵家の使用人は?」

「信用していない。父上も信用していなかったから」

「でも、砦で雇っている使用人がいるでしょう?」



地域経済の活性化につながるため、軍事施設ではあるが公共の施設でもある砦は近隣住民を雇うことが多い。『必ず』ではないのはうちという例外があるから。専属の使用人がいない騎士たちは洗濯や掃除などを国が雇った使用人に任せ、生活面のサポートをしてもらっている。


この使用人の仕事は平民の若者に人気がある。貴族家出身の騎士たちの目に留まれば王都にいって彼らの屋敷で働けるかもしれないし、女性の場合は安定した収入のある騎士を結婚相手としてロックオンしている。


そして最もロックオンされるのが将軍。


愛妻家として有名なヒョードルでさえ「妾にしてください」って突撃してくる使用人がいたとフウラが青筋立てて教えてくれたから、独身のレオやマックスは尚更だろう。


「レオなら専属になりたがる女性使用人が多かったでしょ」

「否定はしないさ」


おお、やっぱりね。


四将軍の一人で、貴族としても王族の親戚といえるウィンスロープ公爵家の当主。しかも文句のつけようがない美形……少々不幸体質だけど、人生のスパイスとして楽しめないことはない。



「再婚を発表すれば減るかと思ったがなぜか増えた」

「実は男に興味があると思われていたレオが、やっぱり女性に興味があるのだと分かったからじゃない」

「なんだ、それ?」

「アイグナルドの将軍の男色疑惑」


レオが思いきり大きな溜め息を吐く……これだから不幸体質になるんじゃないかしら。


「一番入り込みやすいのがオープンにしている執務室だから、ルネの奴が何回か裸もしくはほぼ裸の女に抱きつかれるという被害に巻き込まれてな。黒光虫のようだと一昨日ブチ切れた」


「あのルネがブチぎれるなんて、相当ね」

「お前じゃあるまいしな」

「レオも相当だけどね」


「ちなみにルネのブチ切れは一昨日で3回目だ」

「まとまった休暇をあげたら?」

「またルネに書類仕事を押しつけようとしているだろう」

「部下の副業内容に目くじら立てるなんて狭量な上司ね」


「そういうわけで、お前とエレーナの姿絵をくれ」

「どういうわけか分かったわ。女除けにするつもりね、いいわ」

「助かるよ。できるだけ着飾ったやつがいいな、ピカピカな二人の絵を見て勝てると思う猛者はそういないだろう」


悪びれなく私を利用した上に注文までつけてきた。

でも褒められたからいいことにしよう。



「モテる男を夫にするのは大変だわ」

「夫にしたことあるんだから分かっていただろ」


「まあね~」

「それにな、3、4人なら喜べたかもしれないが黒光虫に例えらえるほど湧いてでられると迷惑でしかない」

「ああ、黒光虫は厄介よね」


黒光虫とは寒い暑いも関係なく国中にいる全長5~10センチメートルほどの黒い艶のある虫。カサカサと這って移動し、ときに飛ぶアレを苦手とする者は大変多い。


「ついでにお前だけの姿絵もくれ」

「え、嫌」

「え、何で?」

「いかがわしい目的で使われたくないもの」


「あのな、いい年して思春期のガキみたいなことをするか」

「思春期はやっていたの? あmそういえばその頃の誕生日にマックスから肌色多めの絵本をもらっていたわよね」


「いまさらそんなもん要らない。ちゃんと知ってるし」

「……は?」


慌てさせようとしたのに、なに、この余裕。


「酔った状態で始めたこともあるけど、記憶はちゃ~んと、始まりから終わりまでしっかりあるぞ。どこもかしこも、お前のことならそんな他の女の姿絵で補完する必要もないくらい覚えてる」


「……レベルアップしている」

「10年以上騎士団生活してきた俺を舐めるなよ」


気づいたときには手が伸びてきていて、逃げる間もなく捉えられる。


「うひっ」


耳に触られ、思わせぶりに撫でられて、耳の穴に指を……この男、どこでこんな卑猥なことをっ!


「ちょっと!」


掌底で目の前の胸を突いて距離をとる……危ない、ぞくっとした。


「だめか?」

「当たり前でしょ」

「なんで?」


な、なんでだと?

なんで……なんで……。


「……結婚前だから?」

「成人して10年以上、元夫婦ですでによく知っている関係でも結婚前は清く正しくなのか? 今さら?」


レオの目が私のお腹に向かう……確かに。清くも正しくもなかったからいまレオの子を身籠っているのよね。



「まあ、いまは勘弁してやる」

「は?」

「妊婦に襲いかかる趣味はないし。さて、バカな話をしていたら肩こりが悪化した。温泉に入ってくる」

「……そうして」


……疲れた。

私もまたお風呂に入ろうかな……あ、忘れてた。



「使う前に掃除してね。石造りだから火魔法で殺菌できるから」

「分かってる」

「あと言い忘れたんだけど、あの棟にはおそらく大量の黒光虫がいるわ」

「……は?」


レオが扉にかけていた手を慌てて離した。


やっぱり。


「まだ黒光虫が苦手なの?」

「まだって、この苦手が治る気は全くしない。それで……それは、本当か?」

「確かめてはいないけど、多分」

「多分? なぜ? どうしてそう思う?」

「黒光虫を追い払う香を焚いたのよ」


チェッコリ商会の新商品、黒光虫の忌避剤。隙間が多い石造りの砦でもよく効くように煙を焚く香にして、実証実験では「黒光虫をしばらく見なくなった」と評価がいい商品。


「なんだ、その香。それくれ。いや、売ってくれ」

「チェッコリ商会で取り扱っているわ」


王都に出荷した分は飛ぶように売れて完売と聞いているけれど、本店ならまだある。本店はこの砦の比較的近所だし、レオなら明日の朝一番にいくだろう。本当に黒光虫が大っ嫌いだから。


「お買い上げありがとうございます」


在庫を全てを買い上げるだろうな。ヒョードルたちもマクシミリアンたちも大量にお買い上げしてくれたし。輸送費がかからなくて助かるわ。香のレシピは絶対に門外不出にしなきゃ。


「それで、その香を焚いたのか?」

「1ヶ月前に私が焚いて、2週間ちょっと前にヒョードルが家族ときたときにあっちの棟で焚いて、10日くらい前にマクシミリアンが元近衛隊長ときたときにそっちの棟で焚いたの」

「なるほど、逃げ場はこっちの棟しかないな……だから、つまり……この先には黒光虫がたっぷりと……」


レオが扉をジッと見る。


「ひっ……いま、なんか音がしなかったか」


いざというとき内部を守るこの分厚い扉を超えて聞こえるわけがない、幻聴だ。 



「マックスが使っていた棟を借りる」


あ……足早に移動したレオネルがそっちの扉を開けようとしたけど開かないわよ。ほら、ガチッて音がしたでしょ? ちょっと、なんでって顔で私を見ないで。そりゃ理由を知っているけど。


「そっちの棟はマールウッド伯爵家と東部の騎士隊が年間で貸し切ることになったの。同じくあっちの塔も西部の貸し切り」

「なんでそっち……俺のところまで香を焚いておいてくれなかったんだ」


レオががくんと項垂れた。


「そういうわけだから、レオはレーヴェ様の部屋を使ってちょうだい」

「は?」


……そんなに不思議がること?


「もともとそうするつもりだったの。レーヴェ様も丁度いいと仰っていたわ」


こっちとレーヴェ様がリフォームして使っていた部屋に案内する。温泉付きなので丁度いいだろう。


「なんか父上を追い出してしまった気がするな」

「気にする必要はないわよ。向かいに移っただけだし」

「え?」

「そっちの部屋はいまレーヴェ様がリフォーム中だから入らないようにしてね」

「は?」


何かおかしかったかしら?


「生まれてくる子どもが男の子かもしれないでしょう? 男の子ならそれなりに成長しても一緒にお風呂に入れるし、それだとこれまでのお風呂じゃ手狭だと思ったみたい。もっと広い風呂付きの部屋を作るんですって」

「爺ライフを満喫しているな。最近王都の貴族の男たちの間で職人に依頼せず自分で隠れ家を作る趣味が流行しているが、まさかそれを父上がやっているとは思わなかった」


ありがたいけど、と言いながら部屋に入ろうとしたレオを呼び止める。


「なに? 一緒に入る?」

「馬鹿……」


なに言ってんのよ……本当に、馬鹿。


「ありがと」



 ◇ レオネル ◇


「……そりゃ、分かるか」


遠ざかるアイシャの後ろ姿、その耳が赤くなっている。


同居している家族が家に帰るときでも先触れを出して報せるのが貴族。それをせず訪問するなんて相手を困らせる失礼な振る舞いだが、不意を突くからこそ本音も分かるというもので。


「素直じゃないのはお互い様か」



今日からエレーナは学院の寮で過ごすから、思い出深い砦に一人で残ることになったアイシャが心配だった。


もちろん永遠の別れではない。申請が必要だがいつでも帰宅できる。でも、これまで支え合ってきた母娘が生活の拠点を分けることに不安や寂しさがあるのは当然。特に残されるアイシャのほうは寂しく思っているだろう、そう思って突撃した。


「とりあえず風呂だ、風呂」


独り言を不必要なほど大きな声で言い、荷物を置いて手早く服を脱ぐ。浴室に入ると薄っすら薄荷の匂いがした。これが黒光虫除けの香の臭いか……全部買っていこう。


火魔法で浴槽を殺菌し、魔導具を起動して湯を張る。アイグナルドたちが我先にと飛び込んで遊びはじめた。まだ湯は少ないが、じきに溜まるだろう。


体を清めて浴槽に入ると瞬く間に強張っていた筋肉がほぐれる。


慣れない服装で体が凝っていたこともあるが、アイシャに迷惑がられるかもと緊張もしていたし、今もやはり緊張はしている。だって二人きり……いい年して、今さら二人きりで何を緊張しているのか。


元妻で、これからまた妻になって、しかも子どもまでいるのに。


「相手は妊婦、妊婦……俺の子どもがいる、大事な妊婦……」


疚しいことは考えないようにすればするほど、温泉の熱が必要以上に強く感じて、茹りそうになったから風呂から出た……せっかくの温泉、なにやってんだ。



濡れた体を簡単に拭き、湿ったバスタオルを腰に巻き付けて部屋に戻る。

涼しい空気が心地いい。



 コンコンッ コンッ


……アイシャ?


「なんだ?」


懐かしいノックの音に反射的に扉を開けて、気づいたときには遅かった。目を見開いて驚くアイシャと、その瞳に映る上半身裸の自分。


「……せめて下は履いてから扉を開けるべきだと思うわ」

「……そうだな」


照れるのも情けないから、全力で何でもない振りをして脱衣所に戻る。ズボンをはいて、よし。



「悪かったな。それで、どうした?」

「りんご酒があるんだけど、飲まない?」

「りんご酒? そりゃ、もらえるならありがたいが……飲んでいいのか?」


アイシャの腹に目をやると、持っていたバスケットを掲げてみせる。中には瓶が2本。


「わたしにはジュースがあるから」


はい、と差し出されたほうを受け取る。ちょっと温くなってる……もしかして、緊張していた?



「なあ、ジュースもあるならこのまま一緒にここで飲まないか?」

「……そうね」


アイシャの顔に一瞬浮かんだのは安堵。やっぱり素直じゃない……分かってる、信頼されていないから素直に甘えてもらえないだけ。忠告してくる心の声が実に苦い。



「それじゃあ、乾杯」

「何に?」

「子どもたちの成長に」


普段は飲まないりんご酒の甘酸っぱい香り。甘い香りがするわりにサッパリした喉ごし。美味い。



「北部はりんごの名産地だもの、エレーナもこのりんごジュースが好きよ」

「そうなのか」

「エレーナったら荷物に大量のジュースをいれようとして、落ち着いたら送ってあげると約束したの」


アイシャの瞳がゆらりと揺れる。手を伸ばしてもアイシャの頭は逃げなかったから、そのままポンポンと軽く頭を叩いた。



「……子離れは難しいわ、心に穴があいたような感じ」


いままでエレーナの生活はアイシャの生活の中にあった。でもこれからはエレーナの生活とアイシャの生活、それぞれ違う場所で築かれていく。でもそれを理屈で分かっていても、そうかと簡単にはいかないのだろう。


「ねえ、レオ」

「ん?」

「今夜は一緒に寝ない」


……え?


手からグラスが滑り落ちる。幸いにもグラスは空で、足元は毛足の長い絨毯だったからグラスが割れることはなかったが……え?


「ね、……寝るって、え?」

「……変な反応しないで。ただ寝るだけよ……だめ?」


いや……いや、ダメとか嫌ではなく……恥ずかし気なその表情、いや、反則だろ、それ……。


「ねえ、いいでしょ?」

「……一応聞くが、酔っていないよな?」

「素面で誘ってる」


……マジか。


「今日って俺の誕生日?」

「私の記憶では違うはずよ」


やっぱり違うか…………寝る、か。


「……イヤなの?」

「そんなわけない」


頭を振って気持ちを切り替えて、アイシャの前に立ってそのままその華奢な体を抱き上げる。声をあげたアイシャの唇に唇を当てる。便宜上の家族というには親密だけど、恋人というには淡白な軽い触れ合い。


……甘えてもらえた。



アイシャをベッドに寝かせると、俺もその隣に転がる。アイシャの体を抱き寄せたが、アイシャは嫌がらず俺に身を寄せる。


「……温かい。レオって子ども体温よね」


男のプライドが反射的に「誰が子どもだ」と反論しかけたが……。


「懐かしい」


そう言われてしまうと何も言えない。


「……今日だけだぞ」

「うん、明日になれば大丈夫。今夜だけ―――」



甘えさせて、という言葉は聞こえないふりをした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。

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