4-11 それが君の願いなら|レオネル
「アイシャ、最近働き過ぎじゃないか?」
「時間がないんだもの。ちゃんと休んでもいるから大丈夫よ」
アイシャは書類から顔を上げない。
「いま必要でない仕事も前倒しで片付けていると聞いた」
「時間がないの。できるときにやっておかないと。子どもが産まれたら忙しくなるからね」
俺もレオンを育てたからある程度は分かる。
「ほら、私の仕事の邪魔をしないで。暇なら婆やの仕事を手伝ってあげて」
「少し休憩しないか?」
「休憩している時間はないの。さあ、行った、行った」
まただ……最近のアイシャの口ぐせは『時間がない』。
状況的には、まあ、別におかしくはない。元々忙しいところに妊娠と結婚が舞い込んできたんだ。でも妊娠は日程をどうこうできないが、結婚は籍だけ先に入れて式をあとにすることもできる。
まずは出産で、次に結婚式のほうがいいのではないかと言ってもみたが、「それなら別に式はあげなくてもいいわ。レオは2番目の奥さんと盛大なお式をあげているものね」ときた。口喧嘩が勃発し、売り言葉に買い言葉で今にいたる。
思い返せば、アイシャに誘導された感じがする。
アイシャは誰かと比べてどうこういう人間じゃないし、そもそも『盛大なお式』を開きたがるところが変だ。でも変とは言い切れない。エレーナだってお年頃。いつか結婚するエレーナのために、花嫁姿に夢を持ってもらおうというのもおかしなことではない。
でも、何かが変だ。
アイシャは焦っている……なぜ、時間がないから。
自分で時間をなくしておいて?
そんな馬鹿な話はない。
そっちじゃない。
多分……そう言うことだと思う。
アイシャが言ってくれないから勘だけど、多分、そう。ハハッ……『言ってくれない』だって。我侭化、俺。アイシャが俺に言うわけがない。アイシャは自分を裏切った俺を許していない。
そう、俺との再婚も理由は明白。子どものため。
アイシャの腹に俺の子がいる喜び。傍にいることを許された嬉しさ。……この幸せをなくしたくなくて、俺は気づかない振りをしていたんだ。
「婆や殿」
「今日もいらっしゃっていたのですね。どうしたのですか?」
「アイシャの腹にいるのは双子だな?」
婆や殿の表情が強張り、持っていた皿が落ちて割れた。
「あ……「危ないから動かないでくれ。俺が片付けるから」……どうして?」
箒を探す前に大きな破片を拾おうとしゃがむ。
「10代の子どもたちと一緒にされてしまっては困る。食い過ぎだとしてもあそこまで膨れないだろう。いつ分かったんだ?」
「……つい最近でございます」
「気を使わなくていいぞ?」
俺の言葉に婆や殿は息を呑み、ゆっくり息を吐く。その吐く息には諦めと、そして安堵があった。
「違和感があり可能性としてアイシャ様にお伝えしてすぐ、アイシャ様から閣下に求婚なさったと聞きました。そしてアイシャ様は私に申しましたの、『これで大丈夫』と」
……『だから何も言わないでほしい』、そういうことか。
出産は命がけだ。
出産によって女性が命を落とす例も少なくない。しかし、だからといって女性に子どもを産むなと言えない。子どもは生産力、彼らがいなければ確実に国は滅びる。
捨てていい命があるわけではないが、選ぶときはある。そうなると天秤の問題。国にとって不可欠な女性が妊婦の場合、万が一のときは子どもよりも母体が優先させられる。
もちろん、そんな法律はない。
しかし世論、場合によっては家族が、母親の命を奪って生まれた子だと子どもを責める。お前が生まれてこなければよかった、と責めたてる。
アイシャは魔物の多い北部を守れるスフィンランの愛し子、彼女の代えはまだいない、いまはまだ唯一無二の存在。
アイシャの前回の妊娠についてはいろいろ言われたが、身分だなんだとかがほとんどで、誰もアイシャが出産で命を損ねるとは思っていなかった。出産において絶対はないが、20歳で健康で体力もあるアイシャは一般的に見て出産で命を落とすリスクが低かった。
しかし今回は双子。
これが知られれば、多く者が眉をひそめる。自分を大事にしろといって親切面で堕胎を薦める者も出てくるだろう。
自分の子を殺す、それはアイシャには絶対にできないこと。死んでもやりたくないこと。
でも、アイシャはあの裁判で自分の主張が通らなかったというトラウマがある。アイシャがどれだけ言葉を残しても何ら意味はないと、自分が出産で死んだら産まれた双子が国全体から怨嗟の声を浴びると分かっていた。
だからアイシャは俺と結婚することを選んだ。そのとき双子を守れる数少ない人間の中で、権力もその責任もある俺が一番適任だからだ。
「無理に話させてすまなかったな。アイシャには俺が責めて白状させたと言っておく」
「その必要はありません。もうそろそろ大丈夫な時期なので」
……大丈夫、か。この言葉がこんなに嫌な音で聞こえたのは初めてだ。
「もう後戻りできないんだな」
「いま処置しても3人がお亡くなりになるだけです」
「……分かった」
よし、腹はくくった。
それならやることは1つ、ある意味分かりやすくて結構じゃないか。
「婆や殿、ちょっと来てくれ」
首を傾げる婆や殿を連れてアイシャの書斎に戻る。
「話は全部聞かせてもらった」
「三流の探偵みたいなこと言うのやめてよね……分かったわよ。いつまでも隠しておけるわけがないしね。そういうわけだから、あとはよろしくね」
「ここで丸投げされて堪るか」
「……はあ?」
短い言葉に込められたとてつもない怒り。純粋な殺意に近い、ビリビリしたものも感じるのだが、突き刺しそうな目で睨みつけてくるこんなアイシャを見て嬉しくなる俺はマゾに違いない。
だって、怒るということはまだ大丈夫。
アイシャは死のうと思っていない。投げやりに「あとはまかせた」と言われたなら自信がなかったけれど、アイシャの「あとはまかせた」には俺ならという期待が間違いなくあった。
アイシャは俺に期待してくれた。
「婆や殿、双子を産んだ母親が全員死んだわけではないな?」
「と、当然でございます!」
「よし。それならアイシャはいまから模範的で理想的な妊婦になれ!」
「……はあ?」
怒りじゃなく、今度は完全に戸惑っている。
「万が一のとき俺たち全員が『仕方がない』と完璧に受け入れられるように、婆や殿がアイシャの妊婦生活を徹底的に厳しく管理してくれ。食事、休憩、運動、睡眠、仕事量、とあれこれ。全部婆や殿に采配を任せる。仕事は周りに振りまくれ。もし何かあっても、あのときこうしていればと俺たちが絶対に思わせないようにしろ」
よし、アイシャは反論できない。
「それがアイシャ、お前の義務だ!」
万が一をいまから想像するな。
笑え、俺!
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