4.雨降らせて地を固める|レオネル
「怖い女」
いま会場の中央で父上と踊るのはいつもの姿になったアイシャ。深い紺色のドレスを靡かせて、軽快な音楽に合わせてステップを踏む姿は楽しそうであり品もある。
曲が終わり、なんとなくボーッとアイシャがきた。
「よろしければ踊ってくれますか?」
アイシャの言葉に会場がざわついたが、それ以上に俺の心臓がドクドクと煩い。
「仕方がないじゃない。2回続けて同じ人と踊るのはマナー違反だし、ヒョードルとヴィクトルは奥さんがいるから独身の私と踊るのはよくないし、マックスと踊ったら令嬢たちに嫉妬されて刺されそうだもの」
マックスの「おい」という突っ込みが遠くに聞こえる。
「踊らなければいいじゃないか」
相手が父上であっても、アイシャが王家主催のこの夜会で踊れば俺たちが和解したことは皆に分かる。それで十分のはずだ。
「踊るのは好きなの、ほら」
「おい」
アイシャはウダウダと言うなとばかりに俺をダンスホールに引っ張り出す。そして流れ出したのはワルツ。
「……15年、踊っていないぞ」
俺の言葉にアイシャが目を見開き、楽しそうに笑った。
「あなたはダンスが下手だものね」
「そうだな」
こうなったら楽しむか。
俺たちが踊りはじめると、ヴィクトルとヒョードルもそれぞれ奥方を伴って踊りはじめる。マックスは……令嬢たちに「私が」と迫られて困っているから放っておこう。
「少しだけ上手になった?」
「君が下手になったんじゃないか?」
あ……右足をおく予定のところをもう半歩右側にずらす。次の瞬間、ガンッとヒールがタイルを叩く音がした。危なっ!
「チッ、紳士が避けるな」
「淑女が舌打ちするな」
ステップを踏む、通常より大きくまたは小さく。一瞬遅れてアイシャのヒールが高い音を立てる。
「相変わらず手に汗を握るダンスだね」
「そう思っているなら止めろ、ヒョードル」
近づいてきたヒョードルが俺に笑う。彼と踊るフウラ夫人はアイシャと目を合わせ、ちょっとぎこちない笑みを向けながら口を開く。
「あなたのワルツは優雅さが足りないわ」
突然の夫人の言葉に俺は驚いたが、アイシャはちょっと驚いたあと嬉しそうに笑った。
「昔もあなたにそう言われたわ」
「ごめんね」
「もちろん許すわ。ワルツの相手が悪いからだもの」
「おい」
抗議しようとした俺の足のすぐ隣にアイシャの足が振り下ろされる……床を踏み抜く気か、この女。
「ほらね」
「閣下しかあなたの相手ができない理由が分かったわ」
◇
「ああ、疲れた」
「俺もだよ、魔物とダンスを踊るほうがよほどマシだ」
「でも、楽しかったでしょう?」
思わず苦笑いが浮かびかけたとき、俺たちの間に男が割り込んできた。誰だと思ってみると……ミゲル子爵? なぜここにコイツが? こいつ、目が見えないのか? 周りの目、『まじかアイツ』って自殺志願者を見る目だぞ?
「スフィンランの将軍様、よろしければ私とも踊っていただけませんか?」
「嫌よ」
気持ちいほどの、バッサリ。嫌なことはバッサリ『嫌だ』と言うのがアイシャ。気遣い、忖度、一切なし。しかしコイツ、どうして自分が踊ってもらえると思っているんだ?
「あの、なぜでしょう?」
メンタルが鋼か?
「足が痛いんですの」
あんなステップを踏み続ければな。
「それでは一緒に休憩を……」
……馬鹿はいいなあ、めげることを知らない。そしてアイシャは遠慮を知らない。
「カレンデュラ夫人にまた睨まれて裁判を起こされるのは御免ですわ」
誰もが言いにくいことをズバッという女、それがアイシャ。
「まあ、冗談はさておき」
冗談じゃねえだろ……でも、さておかれちゃったから、会場中がさておかなきゃならなくなったぞ。
「いまは商会の設立でいろいろ大変で、こうして昔仲間にいろいろ相談が必要なんですの」
「商会設立……その話は本当ですか? 本当に設立するのですか?」
アイシャが『なぜこの方、こんなに焦っているのかしら?』って表情で首を傾げる。中身が雌獅子だと分かっているのに可憐な雪兎のように見えるのが怖い。この女、怖い。
「ええ、北部では既に何人もが知っていることです。私の商会とっても商会長という肩書きだけ。私は魔物の討伐で忙しいので、運営のほうはすでに代理の者を立てて全てを任せております」
「それでは、販売先などもその代理の方が?」
「ええ、全てを任せております」
「その代理の方というのは……「子爵様」」
アイシャはにこりと笑って人差し指を唇の前に置く。あざと可愛い仕草に周りがポーッとする、もちろん子爵もだ。
「それは内緒ですわ」
「そ、そうですよね! 分かりました。安心しました」
「よく分かりませんが、お役に立てたなら何より」
「お疲れのところを申しわけありませんでした、失礼いたします」
いまにも背を向けて駆けだしそうな子爵をアイシャが「ダンスは?」と問いかける。
「所要がありまして、御前を失礼いたします」
「ええ、さようなら」
ひらひらと手を振ったアイシャが視線はそのまま、唇だけ動かして『分かっていない奴ほど分かっているというのはなぜ?』と呟く。噴き出したくなるのを必死に抑えた。
「君には詐欺師としての才能があると思う」
俺の言葉にアイシャは笑うだけ。本当に怖い女だ。
「それにしても妙な名前を……」
「エレーナが昔に腰振って踊りながら歌っていたの、可愛かったからそれで登録しちゃった」
え?
「チェッコリ商会って本当にあるのか?」
「あるわよ。ただ、扱うのは魔石じゃなくて野菜だけどね」
野菜?
「砦の近くの村で野菜を北部の地でも育ちやすいように改良していたの。改良した野菜については全て特許を取得しておきたいし、王都に輸送するにしても村の人たちが一人一人送っていたら輸送費が馬鹿にならないでしょう? それなら村人全員を商会員にして商会を立てたの。他の村にも商会加入の誘いをかけているみたいだし……それを詐欺師が知っても何もおかしくないの」
……なるほど。
「マックスはどうなる?」
「所詮ナンパ相手だし、美人局なんてそこかしこである普通のことだわ」
「閣下」
ベランダに現れたサイスに呼ばれたが、なぜかアイシャもそれに応える。……ん? なんでサイスの奴、『あなたではありません』って顔で俺を見るんだ?
「ちょっと、サイスは私に報告にきたのだから邪魔しないで」
「なんで俺の部下が君に報告をするんだ?」
サイスを見ると、サイスはスッと目を逸らす。
「サイス、こんな奴に構わないで報告をして」
「はっ」
いや、構えよ。
「ミゲル子爵の馬車はドストル・キリンジャーの屋敷に向かいました」
……ドストル・キリンジャー?
「キリンジャーは王都でも悪名名高い金貸しです」
「金貸し……ああ、時間指定が9時にホテルだから銀行で借りれないのか」
「笑っちゃうくらい予想通りね」
「さすが、アイシャ様です」
「いや、サイス。お前は何をやっているんだ。アイシャ、サイスに何をさせているんだ」
「「副業です/よ」」
「副業?」
「何で驚いているの、頭が固いわね。いまは副業なんて当たり前の時代よ。必要なときに呼んでほしいと言われたから手が足りないときに力を借りようかと思って。報酬はちゃんと払っているし、時代はアウトソーシングよ」
なんだ、それは……。
「今回のことで、1人でできることには限界があると痛感したの。だから上手に人を使っていこうかなって思ったの」
そうか……アイシャが……副業……これから俺の部下で長期休暇を申請する奴には事由を尋ねようと思う。
閑話休題(全4話)はここで終わりです。次回から新章が始まります。
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