2.三日会わねば別の人|レオネル
「二人とも、何しているんだ?」
南部で起きたトラブルの報告を受けていたため、少し遅れた俺は夜会にひっそり紛れ込んだ。大々的に紹介されて注目を浴びるのは煩わしい。
ヴィクトルから今日は全員参加していると聞いて、会場に目を走らせてあの銀色がいないことに強張っていた体の力を抜く。まだ会場入りしていないらしい。
あの朝の別れが俺たちの終わり。
そう俺に分からせるように、北の砦を出る俺を見送るアイシャはあっさりしていた。この夜会でまた会えることを嬉しいと思ってくれるかもしれないが、それはきっと『友』として。
愛しい人に会えると喜んでいるのは俺だけで、本当に未練がましいと思うけど、これが一生続くことは仕方がないなって思っている。あんなあくの強い女に惚れた俺が悪い。
ま、いつか慣れはするだろう。
ただ当分は無理だな。
傍を通った高齢の女性の白い髪にドキッとするくらい、いまの俺は緊張している。
「あの人だかりはどうした?」
シャンパングラスを受け取ると同時に、給仕の者に人だかりの原因を尋ねる。
「東の将軍様のお連れの方が、とても美しい方でして、その……」
……なるほど。
人だかりの男の割合が多いのを見るに、今日の連れはよほどの美人か。
マックスは独身なのでその花嫁の座を狙う令嬢は多いが、まだ遊んでいたいマックスは結婚する意思がないことを示すため王都で人気のプリマドンナや歌姫、ときには高級娼婦をエスコートして夜会に参加している。そのやり方に眉をしかめるご夫人も多いが、結婚市場は戦争だ。つまり手段は選ぶ必要なし。
人だかりを避けようとしたらヒョードルがいた。
「やあ、レオ。遅かったね」
「南部で少しな。お前こそ一人でどうした?」
今日はフウラ夫人も一緒のはず。
「フウラは休憩中。アイシャに会うのに緊張しているみたいでさ」
「それでお前は妻の目がないのをいいことに噂の美人のもとにいったと?」
俺が揶揄うとヒョードルは『やめてくれ』というように笑う。
「気にはなったけど遠目から見ていただけだ」
「お前が気になるなんて珍しいな」
「どこかで見た気がするんだよな」
新聞社を経営しているヒョードルの「見た覚えのある人物」なんて星の数ほどいるはず。
「レオこそ興味があるの?」
「いや、興味はない。その美人が戻ってきて騒がしくなる前にマックスと話してくる」
マックスが長兄夫婦と話しているのが見えて、俺とヒョードルはそちらに向かう。
「ご無沙汰しております、ウィンスロープ公爵閣下」
「お久しぶりです、マーウッド伯爵」
ご両親に代わって新たにマーウッド伯爵になったマックスの長兄とその奥方の顔が強張っている。アイシャが理解を示したことで彼らへの風当たりは減ったと聞いているが、俺の反応も気になるってところか。
「普段は南部の乾燥した風を浴びてばかりなので、たまに海風を感じたくなります。東部の浜辺でのんびりする休暇、最高ですね」
俺の言葉にマーウッド伯爵の顔が明るくなった。
思うことがないわけではないが復讐の方向を間違えてはいけない、彼には何の罪もない。アイシャも、そういうことなのだろう。
「心を込めて歓迎させていただきます」
「ありがとうございます。マックスの結婚式に呼ばれる形などが望ましいのですが……それは難しそうですね」
人だかりのほうに視線を遣ったことで彼は俺の言いたいことが分かったのか弟のほうを見る。マックスは兄君に対して肩を竦めるだけですませた。
その瞬間、予告なく人波が揺れて話題の女性が見えた。真っ直ぐな黒髪が印象に残る、確かに美人――。
「アイシャ?」
「「え?」」
どういうことだ?
俺はマックスを見る。マーウッド伯爵とヒョードルが驚いた声を出し、俺に遅れる形で彼らの視線もマックスに向かう。
「ちょっと待て、変な誤解をするな。あと、彼女がそうであることは内緒、絶対に内緒!」
「内緒……どうして?」
「……狩り、するんだって」
……あ、そういうこと。
俺はヒョードルと顔を合わせて溜め息を吐く。
「彼女は俺が街で見かけてナンパした女性、分かったか?」
「……よくそんな素性不明で城に入れたね」
呆れるヒョードルの声を聞きながら、俺はもう一度アイシャのほうを見る。組んだ腕に力を籠める。
「本当に何をやってるんだか」
呆れた口調を心がける。
こうでもしないと嫉妬心がとびれてアイシャに群がる男共を攻撃しそうだ。
……あれはアイシャではない、アイシャではない。
彼女は黒髪、アイシャのトレードマークと言える銀色ではない。アイシャの髪はふわふわとしていて、彼女の髪はびしっと下に向かって垂れている。アイシャ憧れのストレート……どうやったんだ?
「随分と雰囲気が変わるね、目元の化粧のせいかな」
黒髪ストレートに合わせたのか、吊り目に見えるあの目。瞳の色はそのままだが、垂れ目気味の目がつり上がっていると確かに随分雰囲気が違う。確かに化粧の技術には感心するが――。
「あいつ、馬鹿なのか?」
アイシャと知らず、アイシャと話す見覚えがよくある男に呆れる……というより、あの下心満載の目。消し炭にしてやろうか。
「いや、レオがすごいんだよ」
「知っている俺でも別人に見えるぞ」
男はアイシャに話しかけ、アイシャも応え……何か面白いことでも言ったのか、男の言葉にアイシャが笑う。それに気をよくする男。男は手を差し出し、アイシャをダンスに誘った。
アイシャは少し驚いたあと、嫣然と微笑む……なんだ、あれ。あんな風に笑うなんて、俺だって数えるほどしか見れたことないぞ。俺は組んでいた腕に力を籠めた。
あー……殴り飛ばしたい。
鼻の下を伸ばして、周りから羨まし気に見られることにご満悦なあの男を殴り飛ばしてやりたい。
「見事に釣れたね」
「自分が獅子の口に案内されているとも知らずに」
……アイシャの狙いは分かっている。それでも、アイシャの腰にあの男の手が触れるとムカムカとした気持ちが増幅する。触るなと大声で叫びたくなる。
その資格はないというのに。
夫婦ではなくなったし、恋人でもない。俺とアイシャはもうなんでもない関係、『同僚』もう少し頑張れば『仲間』。
きっと俺、これからこんな場面を何度も目にするんだろうな。今回は違うとしても、いつか本当に男と仲睦まじく踊るアイシャを見るのかもしれない。
楽団が音楽を演奏する、よりにもよってワルツ。
―― ダンスは好きよ。
アイシャは踊るのが好きで、アイシャが俺以外の男と踊るのを見たことがないわけではない。でも踊るのは必ずテンポのいい楽しむことが目的のダンス。ワルツは俺としか踊らなかった。
―― ワルツを踊りながら愛を囁かれたらイチコロだと思うの。
アイシャの期待に応え、引き寄せるタイミングを狙って耳元に唇を寄せて愛を囁く。そうするとアイシャは笑って俺を人気のないところに連れていった。
……今回はそうではいとしても、そんなところを見たくない。
「人が多くて酔った」
誰の答えも待たず窓のほうに向かい、途中で給仕からウイスキーの水割りを受け取ると、誰もいないことを確認してベランダに出る。
怖い。
アイシャが王都にくることはこれから増えるかもしれない。アイシャとこれからは会える。エレーナとも。それを単純に喜べないのは、アイシャが誰かに出会うかもしれないから。
同僚なら、友だちなら、アイシャの再出発を喜ばなければいけない。
でも喜べない。祝うなんてできない。
「あら?」
ヒールが石のタイルを叩く音と同時にアイシャの声がして、振り返ると黒髪の女がいた。見慣れない黒髪に会場の光が弾ける。いつもの銀色が恋しい……もちろん、そんなことは言えないけれど。
「よお、アイシャ」
女の中で唯一のいつも通り、夜明けを告げる朝焼け色のアイシャの目が大きくなる。
「どうしてわかったの? あ、声ね」
「まあ、ね」
声など聞こえなくても一目で分かる……なんて言うのは気恥ずかしいから、頷いてアイシャに誤解させておく。
「黒色のドレス、相変わらず似合うな」
「ありがとう。元夫だった男が束縛が酷くて黒とか赤ばかり着せられたのよ」
「嫌なら白とか着ればよかっただろう?」
「そんな色のドレスを着たら幽霊のように見えるって元夫に言われたことがあるの」
もしかして俺の言葉で黒いドレスを着てるわけ?
「北部にはね、幽霊の格好をして幽霊と遊ぶ日があるの。先祖とか地域への感謝とか言うけれど、嫌よ、幽霊なんて怖いわ」
なるほど、幽霊たちが仲間だと間違えて寄ってこないように白とか淡い色は着ない、と……怖いもの知らずに見えるが常識と物理攻撃がきかない理由で幽霊が苦手だからな。
常識と物理攻撃がきかない……お前じゃん、と思うけど黙っておこう。
「おい、後ろ……「ひっ」……え?」
アイシャの背後にあの男が見えたから後ろを指させば、アイシャは短く悲鳴をあげて俺の腕にしがみついた。
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