1.月は見えずとも夜を照らす|マクシミリアン
「アイシャ?」
どうしてここにいるのかと思いながら名前を呼べば、振り返ったアイシャが大きく口元を緩めた。
「マックス……シミリアン伯爵令息」
「気取るのはやめよう、お互いに鳥肌が立つ」
「言えてる」
同意するようにアイシャが笑う。
「どうして城に?」
「古竜討伐の功労者だから夜会に出ろとヴィクトルに言われてその準備。北部で作りたいんだけど今回は短納期だから難しいと言われちゃって」
不備も不思議もない内容だが、アイシャが言うと素直に受け取れない。俺が疑い深いのではない。疑うに十分な行動をアイシャがしてきたのだ。
「討伐した古竜がボスみたいだったから、あれに勝った私はあの一帯のボス扱い。中級の魔物も私が近づくと逃げるし、暇だから参加することにしたの」
暇、そんな理由……アイシャ、魔物にも一目置かれる存在になったのか。本当に恐れ入る。
「新たなマールウッド伯爵がご夫婦で参加でしょう? 東部でバカンスを過ごすのは私の昔からの憧れだし、折角だから挨拶できたらと思ってるの」
……ああ、そういうことか。
「ありがとな」
「突然気持ちの悪いな」
母さんがアイシャを貶めた一人であることは社交界に拡がり、責任をとる形で父さんから爵位を譲られた大兄さん夫婦へ風当たりは厳しい。アイシャは国民に人気があるし、その報復の恐ろしさを今回知らしめられた貴族たちは自分たちに非難が向かないようマーウッド伯爵家を生贄にしているのだ。
「緊張しちゃうからマックスが紹介してくれる?」
アイシャが大きめな声で明るく言う。城で働く者は貴族が多い。彼らからの噂を聞いた者はうちとの付き合い方を変えるだろう。
「お兄様には一度ご挨拶したことがあるけれどね」
「ああ、そうだったな。大兄さんも喜ぶよ」
「マックスと違って落ち着いた紳士で、とても素敵だったわよね。奥様一人を大切にする誠実なところもあなたと違って好素晴らしいしいし」
あの……もういいよ?
うちの擁護じゃないよね、それ、俺の悪口だよね。
「あとは……「母様」……エレーナ」
エレーナ嬢のお陰でアイシャの悪口が止まった。
「マックス小父様、お久しぶりです」
「元気そうだな。今日は一段と可愛い格好して何があるんだ?」
褒めた服装を披露するようにエレーナ嬢が可愛くくるっと回る。美形2人のいいところをとり、妖精のようなアイシャよりも小悪魔風に仕上がった美少女。見た目詐欺な母に似ず中も外もとても可愛いらしくてよい。
「いまから母様と城下町に行くの」
「そうか……って、二人で行くのか?」
「そうよ。母様がいれば護衛もいらないでしょう?」
ねーって微笑み合う可愛い母娘。目の保養になるな……いやいや、違う違う。
「スフィンランの将軍が街に行ったら騒ぎになるぞ、人気あるんだから」
「エレーナのバッグにいれて連れていく数匹以外はお留守番させるからバレないわよ。魔法がなくてもゴロツキくらい余裕だから」
「なにもかも大丈夫じゃねえよ!」
『大丈夫』と親指を立てるアイシャに突っ込む。だって全く大丈夫じゃない。
アイシャはいちゃもんつけてきた奴は「やリ返されただけじゃない」と笑って手加減なくぶちのめすタイプだけど、俺はアイシャみたいのがいて声をかける男のほうの気持ちのほうが分かる。つまりアイシャは存在そのものが歩く災害、警ら隊のご迷惑。
「スフィンランを隠しても姿形でアイシャだとバレる。今回の件で姿絵もあちこちに出回っている」
「私って人気者ねえ……でも困ったわ」
「どうした?」
「夜会に着るドレスなんてないから買いにいかなきゃならないのよ」
夜会は1週間後、急いだほうがいい。服飾師を城に呼ぶか?
「折角だからエレーナと色々お店を見て回りたいし……」
「しかしなあ」
「王都は15年ぶりなのよ? ずっと避けていたし」
……そう言われると弱い。どうにかするしかないかあ。
「申しわけありません、お話しが聞こえてしまいまして」
王妃?
「「「王国の月にご挨拶申しあげます」」」
立ち聞きした無作法を謝罪する王妃様に俺とアイシャは騎士の礼を、エレーナは淑女の礼をする。
「マックスと、アイシャたちもここにいたんだ」
「あら、ヴィクトル」
「よ、ヴィクトルに」
「こんにちは、王の小父様」
「……何で王様のほうが扱いが雑なの?」
ヴィクトルは不満気だが俺は何も言わない。俺は。
「尊敬……母様の思い出話のせいか、剽軽の振りした腹黒小父様?」
「わかるわ。私、腹黒系って苦手なのよ。陰湿はタイプは嫌いではないんだけど」
母娘の敬意の欠片もない悪口。この二人、母娘。にヴィクトルは苦笑しかできないようだ。
「……それよりも、レア。いい方法があるんだろう?」
「は、はい。アレキサンドロスという蝶の魔物から作られる毛染め粉というのがありますの。髪色を変えてお化粧で雰囲気を変えればスフィンランの将軍様と気づかれにくいのではありませんか?」
なるほど。
「アレキサンドロスの鱗粉、確か南の隣国で製造されているものですよね」
「まあ、まだ一部のご夫人しか知らないことですのに将軍は早耳ですわね」
……これは、褒められたのか?
そんな気はしないが?
「これだから女誑しのひとでなしは。最低ね、もげればいいのに」
「もげっ!? お、お前、王妃様みたいに言葉に衣着せろよ。……王妃様、その毛染め粉は国内での流通数が少ない貴重品では?」
もげる、を連呼している王妃様に話を振る。お願い、忘れて。
「そ、そう……貴重品なのですが、あのシャリーン嬢が先日いくつか入手したと聞きましたの」
シャリーン嬢と言えば、知らぬ紳士はいない王都で一番人気の高級娼婦。
「シャリーン嬢か……マックス、ひとっ走り彼女のとこまで行ってきて」
「はあ? 会えるわけないだろう、半年先まで予約が埋まっている人気者だぞ?」
「真っ昼間だからいまは寝てるはず、起こせばいいじゃない」
無理に決まってる。それどころかあの界隈一帯、もしかしたら王都の店の出禁になる可能性も……。
「手土産に五番街の紅茶専門店で『スフィラ』を買って持っていけば大丈夫。ついでにミシュアの樹のショートケーキも添えれば喜ばれるわ」
「……なんだって? 『スフィラ』って?」
「あの子専用のオリジナルブレンド、彼女の使用人以外で名前を知っているのは私だけだと思うから、店のスタッフやあの子に知っている理由を問われたら『スフィンランに愛されたお姉様に教えられた』と言えばいいわ」
「……なにそれ。お前、シャリーン嬢の知り合いか?」
「あの子、昔から私のファンなの。季節ごとにファンレターをくれるまめな子よ。今回これからエレーナと行こうと思った店も彼女に紹介してもらったの、絶対に似合うって太鼓判を押されたし」
マジか……ということは……。
「これまで俺が彼女に会おうとして会えなかったのは……」
「もげろと思っている男に大事な子を会わせられると思う?」
「……思いません」
アイシャはにーっこりと俺に笑う。
「でも、よく考えたらマックスってあの子の好みだなって」
わ~お! ……って喜べない。俺はアイシャという女を知っている。
「あの子も金払いの良い太い客はいつでも大歓迎って言っていたし」
「……アイシャを姉と慕うだけあるね」
「でも顔は広いわよ。今後相手を選び放題……どうする?」
「直ちに行ってまいります」
シャリーン嬢の屋敷にいくと、執事が「まだお休みです」と『帰れ』という言葉を何十もの衣に被せて対応してくれた。
「これを渡してもらえるかな」
茶の入った袋を見せると執事の対応が即座に変わった。こちらでお待ちくださいと水色を基調とした部屋に通される。誰をイメージしたのかよく分かる部屋……アイシャに監視されているようで怖い。
「お姉様………………じゃない」
扉を開いて見えた満面の笑みが、すんっと真顔になる……すんごいギャップ。驚かない俺、すごい。
「東の将軍様でしたか……」
「すみませんね、私で」
「いえいえ、お姉様だと思ったのが違って元気がなくなっただけです」
ついこの前まで妖艶な美女に見えたのに……駄目だ、女としてもう見れない。アイシャに俺の自信をまるっと持っていかれた。相変わらず女にもモテるな、あいつ。
「アイシャから。近いうちに会いに行く、だそうです」
「まあ」
「とりあえず今は夜会の準備で忙しいそうで、それで折り入ってシャリーン嬢にお願いが」
「お願い? もちろんです、何の御用でしょう」
……犬みたいに可愛いく見えてきた。
「これから王都で買い物をしたいそうなんだけど、あの見た目では目立つので隠すための毛染め粉が欲しいそうです」
「持っていってください。全部差し上げますわ」
話早いし、太っ腹!
「どの色もお姉様に似合うと思いますが、私のおすすめは黒ですわ。あ、そうだ。東の将軍様、今度お会いしませんか?」
「……大変申し訳ないが、シャリーン嬢に対してあんまりそういう気持ちには……」
「それでしたら妹とでも思って、美味しいスイーツを一緒に食べましょう。夜会のあとがいいですね、そうしましょう。お姉様の髪の色と、お姉様がどんなドレスを着たのか教えてくださいませ。そうしたら私、姉妹コーデができますもの」
……図々しいな、『妹』。
「……シャリーン嬢もハイスペックな猫を被っているんだな」
「殿方の好みは千差万別。何千匹を飼いならしてこその一流なのですわ」
……逞しっ。
「月は見えずとも夜を照らす」とは姿を見せずとも影響力は確かにあるという言葉です。
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