3-16 終わりにしましょう|アイシャ
………………………………やってしまった。
この状況に思わず頭を抱えたくなるが、少しでも動いたら自分を抱え込んで寝ている男を起こしそうなのでやめた。当然のことだが、ずっとこうしているわけにはいかない。息をひそめて問題を先延ばしていることは分かっている。
でも、もう少し状況整理……言い訳をまとめるのに時間がほしい。
闘いのあとの高揚感で。
お酒のせいで。
大人だから言い訳が直ぐに思いつく。
でも本当にそれですませていいのかと私の良心が訴えてくる。
謝る?
誘ったのは自分のほうで、この人は最初は拒んでいた。酔った女をこれ幸いと抱くような男じゃないもんなあ。
いや、もしかしたら恋人がいるのかも……うわあ、最悪。恋人がいてもおかしくない男。2回の離婚歴があるが、それでもこの男はとても人気がある。
でも恋人がいて私を抱くかなあ。
一途ではあるのよね、離婚歴が2回あるけれど。
抱いた理由は、私が強請ったから? 罪悪感? 同情だったら最悪なんだけど。
もしかして世間では離婚歴のある女との睦み合いはノーカウントなのかも。結婚はもう懲り懲りという大人の女性と関係を持っていた同級生を何人か知っているし。私もそう思われているとか? よりにもよってそんな腰の軽い女だと思われる原因になった元夫に?
いや、ちょっと待って。
腰の軽い女、その通りじゃない。だっていまこんな状態なんだもん。15年も会っていない男なんて「はじめまして」と変わらない。実際に恋人がいるかどうかもわからなくって、寝取ってしまったんじゃないかって悩んでる。
いや、寝てもとらなければセーフ?
そんなわけないよね、私なら嫌だ。浮気の線引きは人それぞれだというけれど、これはね。
「どう考えたって浮気だ」
何もなかった……わけないよね。記憶もあるし、体にも痛みや違和感などばっちり感覚がある。
「浮気って?」
「ひええっ!」
突然聞こえた声に反射的に間抜けな悲鳴が出る。いつの間に起きたの? 起きちゃったの? さっきまで心臓の音はバクバクだったのに、いまはガタガタガタガタいっているよ。
「なあ……」
ドッコン、と心臓が轟く。ひいっ、なにこれ! なんで私のお腹を触るの? 思わせぶりに撫でないで! ドココココココココって心臓が揺れる、連打されているみたい。一生の心拍数って決まっているらしいよ、私の寿命はこの男のせいで明らかに縮まった。
「誰かいるのか?」
ん? 誰かって? いまここに二人きりじゃなかったら、この「事後です」って状況は超恥ずかしいんじゃない?
「随分と久しぶりのような感じだったけれど、付き合い始めとか?」
なんのこと?
「それともかなり淡白なのか?」
淡白って……ああ、そういうこと。
「何を言って……」
「教えてくれ」
ぎゅうっと力を込めて抱きしめられて、何も言えなくなる。
「憶測で判断したくない」
狡い男。それを、いまになって言うの?
目の奥がツンッと痛くなったけれど、プライドで抑える。
「いないわ。あなたは?」
嘘を吐いてもいいけれど、吐いて何の得がない。
「いない」
「それなら良かった、女の恨みは怖いもの」
……彼女たちはどうなったのだろう。エレーナが現れたことで自分たちの嘘が明るみになったはずだ。
「ねえ……」
やめた。この状況で聞く話でもない。
「なんだ?」
「なんでもない。あとで自分で調べるから」
「……ああ」
この人だってこの状況で母親とか元妻の話をしたくはないだろう。
「エレーナのことなんだけど、ありがとう」
「どういたしまして」
体に絡まる男らしい太い腕に力が籠る。ちょっと苦しいけれど、我慢してやるか。
「可愛い子でしょう?」
「ああ。君によく似ている」
「あら、私って可愛い?」
「可愛いさ。昔も、いまも、世界で一番君が可愛い」
……驚いた。
「お世辞の一つも言えるようになるとは」
「やっぱり君は2番だ。1番はエレーナ」
不貞腐れた声に「はいはい」と笑う。
「ねえ、苦しいわ」
「ごめ……」
腕の力が緩んだところで、姿勢を変えてレオと向い合せになる。レオの赤い目の中の私はちゃんと笑っている。
「アイシャ、俺は」
レオの唇に指で触れて動きを封じる。封じられてくれる。ありがとう、分かってくれて。
「ちゃんとお別れしましょう」
レオの顔がぎゅっと歪む。その不満げな表情でもう十分だ。
「君は本当に俺の予想を裏切らないな」
「いい意味で? 悪い意味で?」
「両方で」
それなら良かった。
「俺が嫌だと言ったら?」
「あなたは優しいからそんなこと言わないわ」
レオの目が大きくなる。私の言葉で驚くあなたのこの顔、大好きだったよ。
「クソッ」
困ったなあ。
「レオ?」
分かっているくせに、分からない振りをしないでよ。
「狡い女」
「嬉しい、狡い女になりたかったの」
そんな形でも、あなたの記憶の中に残りたかったの。
「さようなら、大好きだったわ」
大好きよ。
「窓の外を見たまま100を数えて」
「さようなら、愛していたよ。悪いけれど50のうちに出ていってくれ」
ひどいわ。
素直に窓の外を見たレオに笑って、レオがゆっくり数えるのを聞きながら周りに散らばった服を簡単に身につける。これでも軍人、準備は早いんだから。
「41、42、43……」
世界で一番憎らしくて愛おしい男の声を聞きながら部屋を出た。
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