3-15 狡い言い訳は大人の証|レオネル
アイシャの部屋が分からない。
眠ってしまったアイシャを抱き上げて建物に入ったまではいいが……この砦に人がいないことを忘れていた。周りに精霊たちいるが教えてはくれない。何匹かに聞いてみたが「言っている意味が分からない」というような顔をして楽しそうに飛び去っていく。
戸惑う俺を動かしたのはアイシャのくしゃみだった。
とりあえず俺の使っている部屋に連れていき、そのあと宴会場に戻ってあの子に聞こう。……部屋に連れていく。元夫婦だからいいだろう、疚しい思いは一切ないし……いや、こんな言い訳している時点で疚しさがないか?
分からない。
部屋に来たまではいいがどこに寝かせるか。
少し小さいけれどソファに寝かせる?
俺が使ったが横になれるベッドに寝かせる?
「寝相が悪いから」
アクロバティックなアイシャの寝相ではソファから落ちる、だからベッドに寝かせるんだ……本当に、誰に何を言い訳しているんだか。
成人してから約20年。結婚も2回して子どもだっているというのに、10代のガキのように緊張している。あのときもアイシャで、いまここにいるのもアイシャだから。恋心はいろいろ言い訳を見つけてきて面倒だ。
きっと、過去に引き摺られている。
4人揃って飲むのは久し振りだった。勝利に沸いた気持ちでそのまま全員同じテーブルに着いたが、徐々に熱が引くと気まずさが勝った。それでも酒の力を借りてポツポツと共通の話題である思い出話を始め、少しずつだけど全員の表情が緩んできて、笑い声も1がり始めた。
「楽しかった……本当に、楽しかったよ」
分かっている、これが最後。これからは以前夫婦だった2人。未練はない顔でアイシャに接する。アイシャに恋人ができたり、再婚したりするときは笑って祝わないといけないのか……恋しい女の友だちってポジションは最悪じゃないか?
嫌だなあ。
溜め息をつきながらアイシャをベッドに寝かせる。使用済みの掛布では悪いから、砦内は温かいから掛布がなくても大丈夫だろう。
ん?
いま、何か言った?
もしかして気分が悪いのか?
「アイシャ、大丈夫……うわっ」
強い力で腕を引っ張られて、姿勢が崩れる。慌てて取られた腕を奪って、アイシャの顔の両横に腕をついて華奢な体を押し潰すのを防ぐ。
危ねえなっ!
腕にかかる自分の重みに、これがアイシャにかかったらと想像してゾッとする。
「アリー!」
あ、しまった。思わず昔の呼び方で―――。
「何を笑っている?」
「あははははは」
返ってくるのは笑い声……悪戯が成功してなによりですね。アイシャが口を開けて、楽しそうに笑う。戸惑うと同時に、胸の奥がジンッと痺れる。だめだ、過去に引き摺られるな。昔のようにもうこのまま抱き合うことはできない。
「危ないだろうが、この酔っ払……っ」
息を吸う、そして吐く。意識して呼吸をしながら、腕に力を込めて上体を上げる……嘘、だろう? いや、嘘じゃない。首にかかる柔らかい腕、愛しい重み。これは確かに現実で―――。
「レオ」
甘く蕩けるようなアイシャの声にゾクゾクッと情が体を駆ける。
アイシャじゃなければ簡単に振り払えた。いや、そもそもアイシャじゃなければこんな状況に陥らない。
「……アイシャ、やめろ」
「どうして?」
「お前……どうしてって」
「いいじゃない、しましょう?」
なっ!
「いいわけが……っ」
アイシャの頬が膨れた瞬間、首の力がアイシャの腕の力に負ける。力づくで下げられた顔に吐息がかかった直後、唇に柔らかいものがふれる。色気のない、ただの勢いだけの口づけ。技巧も何もなく、ただ重なっているだけの、初めての口づけのほうがマシな口づけ。
それなのに……駄目だ、脳が茹だる。
くらくら、揺れる。
アイシャの指が髪に潜り込む。この感触が好きだった。俺が顔の角度を変えると、アイシャも顔の角度を変える。唇を開くと、アイシャも唇を開く。
後戻りができなくなるぞ、と頭のどこかで声がする。
「アイシャ……」
後戻りする気があるのか、と頭のどこかで笑う声がする。
首に絡まる腕に力がこもり、アイシャの頭が宙に浮く。この銀色の髪に指を埋め、隙間なく重なりたいという欲を必死に抑える。まだ大丈夫。いまなら、大丈夫。
重なる唇の角度が息継ぎもかねて変わったタイミングを狙い、唇を離してそのまま額に口づける。
「……レオ」
「闘いのあとだから、我慢できなくなる」
アイシャの顔が歪み、これで終わりと思ったら腰にアイシャの脚が絡まりぐるんと視界が回る。見上げる格好になって、押し倒されていることに気づく。
「アイシャッ」
「煩い」
俺の頬をアイシャは両手で覆い、力づくで上を向かされて口づけられる。ぬるりとした舌の感触に体が震える……なんでこんなに頑張って我慢しているんだ?
頭の中でプチッと理性が切れる音がした。
俺も悪いけれど、アイシャも悪い。
熱のこもった吐息が耳に触れる。唾液の交じり合う淫らな水音が鼓膜を刺激し、脳を焼く。空気を求めて唇を離し、繋ぐ銀糸が切れる前にまた重ねる。上下を入れ換えるたび視界が変わる。
でもいつも真ん中にはアイシャの顔がある。
「んっ」
これほどの幸せがあるだろうか。
アイシャの白く細い首筋に顔を埋めて思いきり息を吸う。懐かしい甘い匂いに泣きたくなる。唇で触れた柔らかい肌に軽く歯を立てて、唇を強く押しつけて強く吸う。紅い所有印を残す刺激にアイシャが切なげな声を漏らす。
愛してるなんて言えない。
俺だけのものでいてほしいなんて、言えるわけがない。
夢で見たアイシャの涙が忘れられない。
あの涙が、この時間に深い意味を持たせるのを拒む。
闘いの高揚感のせいだから。
酒を飲んだせいだから。
大人になった俺たちは簡単に言い訳を見つけるんだ。
「アイシャ」
まだ夜は始まったばかり。
「目を閉じて」
この夜の終わりを告げる夜明けの色は見たくない。
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