1-4 大人しい子が怒ると怖い|レオネル
アイシャがその本性を現したのは17歳の夏。
騎士団主催の模擬戦の会場だった。
「いい加減にしてくれませんか?」
呆れと軽蔑が籠るアイシャの静かな声に、先ほどまで卑猥な野次で賑わっていた模擬戦会場は静まり返った。その模擬戦は国王が命じて騎士団が主催したもの。若い貴族の出会いの場でもあるため大勢の観客が見つめるその先でアイシャは大きな溜め息を吐いた。
場末の酒場にいる娼婦たちが着ていそうな露出度の高い衣装を着ていたが、アイシャは女神のように見えた……ただ、めちゃくちゃ怒っていた。
「人が我慢していれば調子に乗って」
アイシャはヒールを鳴らして俺に近づいてきた。石の床をカツカツと叩く高いヒールはどう見ても戦闘には不向きだなんて、そんなことを俺は考えていた。
「それ、貸してください」
最初は言っている意味が分からず、「は?」と間抜けな声で聴き返すのが精いっぱい。
「そ・れ。どう見ても邪魔な飾りでしかないそのマント、貸してください」
俺も邪魔に思っていたから黙って緋色のマントを外してアイシャに渡した。
俺はあんな格好で模擬戦に出たアイシャをこの場に相応しくない姿だと批難したのだったが、格好に関しては俺もアイシャのことは言えない。サンドラの用意したウィンスロープの威光を見せつけるための衣装は大きな宝石がくっついているし、無駄にひらひらとしていて動きづらかった。
「ありがとうございます」
アイシャが器用にマントを体に巻いたことでようやく俺の体の力が抜けた。深い襟ぐりからのぞく瑞々しい肌の艶かしさに、俺は目のやり場に困っていたから。
「まずは公子様。私の趣味だと思われたら嫌なので言っておきますがこの衣装は学院長が愛人に用意させたものですから。その愛人はあそこにいる趣味の悪い紫色のドレスを着た女性」
アイシャに指差された女性が顔を青くし、悲鳴があがったのでそちらを見れば学院長が隣にいた奥方に扇子で連打されていた。
「……わざとか?」
「全裸よりはマシ程度の衣装を用意された腹いせです。これも借りますね」
アイシャは俺の腰に差してあったギラギラと煌びやかな短剣を手に取った。実用性のない飾りでしかない剣だが、剣は剣。
「なっ!」
俺が制止する間もなくアイシャは自分の長い髪を無造作に掴むと肩より上の位置で切り落とした。バッサリと景気のいい音が聞こえてきそうなアイシャの暴挙に会場のあちこちで悲鳴が上がった。
「何をしているんだっ!」
「短い髪は品がないと言われたから伸ばしていたけれど、こんな下品な衣装を喜ぶ奴らの品性って何?」
鼻で笑ったアイシャの声に会場は鎮まり、アイシャは絹糸のような髪をペイッと投げ捨てた。景気がよ過ぎて俺のほうが驚いて、風がその髪を浚うのを呆然と眺めることしかできなかった。
「もう、うんざりなの」
「……え?」
「口ごたえしても怒られるだけだから黙っていたけれど、私にも感情はあるし口が利けないわけではないの。面倒だから黙っていたの。面倒なの、誰も彼も。それなのに黙っていれば揃いも揃って好き勝手なことをしてくれちゃって」
アイシャは嘲笑を込めて吐き捨てた。常に周りの言うことに静かに従っていたアイシャの急変に理解が追いつかなかった。理解に戸惑った。そのくらい笑うアイシャは異様なほどの凄みがあった。
「字が読めないって笑ってくれたけれど今は読めるわ。剣も持てないっていつの話をしているの、今では一人で上級の魔物を倒せますけど? 礼儀作法も言われるままに身につけたけれど、貴族の品性というのがこの程度なら頑張った甲斐は大してないわね」
微笑みながらアイシャは美しいカーテシーをしてみせた。会場のどこからか「不敬だ」という声が飛んだが、アイシャはそれも笑い飛ばした。
「敬意がもてないんだから仕方がないでしょうが。そもそも孤児だと私に言いますけど、それは私を孤児にした奴らにいって。おくるみに包まれた赤ん坊が自力で孤児院にいけるわけがないでしょう?」
アイシャの軽蔑した目が俺にも向いた。
「男漁りのためにこんな格好をしている? 見当違いも甚だしい。要らないわよ、男なんて」
「アイシャ、余の前で不敬ではないか!」
「不敬の罪で国外に追放でもしたらいかがですか?」
王の言葉もアイシャは笑い飛ばした、鼻で。
「私は別に構いませんよ、文字が書けて計算ができればどこでもやっていけますし、異国でだってなんとかやっていけますよ。ここにいる皆さんより言葉も通じる気がします」
そうか、とアイシャはわざとらしく手を叩いた。
「不敬罪は処刑でしたっけ。私を殺したら、スフィンランたちは怒るでしょうね。大精霊を怒らせられない、だから大精霊の愛し子たちは国王陛下と同等以上の扱いを受けられるんですものね。孤児の愛し子は例外のようなので、怒らせたときの大精霊の報復も例外だといいですね」
アイシャの言葉に応じるようにスフィンランたちに殺気が宿る。そして手始めとばかりに観客たちの持っているグラスの中のワインが一斉に凍りはじめた。国王の持っていたワイングラスも中が凍り、グラスにヒビがいる。
「ひっ……い、愛し子が王である儂に対してなんて無礼を」
「それなら私ごときに頼らずご自身で魔物を討伐してはいかがですか? そういうの、ノブレス・オブリージュって言うのですよね」
「お前は愛し子の責任を放棄するのか?」
「孤児にそういう崇高さはないと言ったのはあんたらでしょうが。ノブレスじゃない孤児にそんなもの期待しないで下さいませ」
「命を惜しむか!」
「え、惜しまないんですか? もしかして王侯貴族って命が2つ以上ありますの? それなら尚更、みなさんが魔物討伐にいってくださいよ」
アイシャがわざとらしく驚いてみせると王の顔が怒りで赤く染まった。そんな王にアイシャはまだ言い足りない様で追撃を始める。
「私を愛し子として扱わなかったのは皆様ですよ? 心当たりはあるでしょう? それなのに力は貸せ? ずいぶんと虫のいい図々しい話ですこと」
「この国を守らないというのか?」
「はい。私にそんな義務はないですし、自分の命をかけて守りたい家族も名誉もありませんし」
にこっと笑ったアイシャの目が冷たくなった。
「守ってほしいなら、それ相応の礼を見せなさいよ。私にも、騎士たちにも。こっちは命がけでやってんのよ、金なり物資なり提供しなさいよ。特に私は希望して騎士になったわけではないの、望んで将軍になるわけでもないの。なりたくないわよ、そんなもの」
「お前のような小娘に、この儂に、頭を下げろと言うのか?」
「その小娘の力が必要でないなら要らないわ、あなたの平身低頭にそんな価値はないし」
「貴様っ……「父上、おやめください。彼女の言い分は間違っていませんよ」……な、なんだと?」
ふんっと笑うアイシャと怒りつつも何も言えないでいる王の間にヴィクトルが割り込んだ。
「我々は彼女にお願いする立場です。それは彼女に対してだけではない、我々に代わって死地に向かうこの場にいる騎士全員に対しても言えることです」
ヴィクトルの言葉に一時会場は水を打ったように静まり返った。
もう用はないとばかりに、アイシャは肩を竦めると後ろにある扉から出ていった。俺は急いでアイシャのあとを追ったが彼女の姿はどこにもなかった。
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