3-11 夢は思い出と欲からできている|レオネル
池に飛び込むとまず襲ってきたのは凍えるような冷たさ。震える唇を噛んで抑えようとした瞬間、サラに沈んだ体がドプッと粘度の高いものに飛び込んだ感覚に襲われる。
何かを探るような不快な感覚。絡まってくる糸のような魔力を探り、俺は一本だけ太い魔力に触れると服を一気に脱いだような感覚に襲われる。ずるっと何かから引きずり出されるような感覚。ぞわっとして思わず目を瞑ると―――。
「レオ」
この世の誰よりも愛しい女の甘い声。
「レーオ」
揶揄うような楽しそうなアイシャの声。やっぱりこれかと思う。夢は願望。思い出と欲からできている。夢だ、夢。でも喉が詰まって何も言えない。
「起きているんでしょ?」
笑い声が耳をくすぐって、腰に柔らかい裸の肌が触れる。自分も服を着ている感覚がなくて、肌と肌が直接触れる感触にそわっとしたため慌てて目を開けた。
ベッドの上、俺の隣にアイシャが寝転がっている。視界の角度と、左半身だけに触れる布団の柔らかさから俺も寝転がっているのが分かる。なんつー夢だ。
「おはよう」
「……ああ」
「あなたって意外と朝弱いわよね。これを知っているのは私だけ?」
それなら嬉しい。そう言うようにアイシャが楽しそうに笑い、細い指で俺の髪をすく。
「まだ寝惚けているの?」
「いや……」
甘い声で、優しく甘やかす。目が覚めただけなのに、額に口づけのご褒美をくれる。毒々しいほど甘美な夢。
「どうしたの?」
アイシャが笑って俺に伸し掛かり、顔を覗き込むと銀色のカーテンが俺の視界から外の景色を奪う。この光景を知っている。世界に二人きりでいるようなこんな幸せに満ちた錯覚を俺は味わったことがある。こんな朝が俺は永遠に続くと思っていた。
「レオ?」
ずっとここにいたい。
夢と分かっているのにそう思ってしまう弱い自分を戒める。これは過去でしかない。これは夢だ。それが分かっている。
ドリーマーは俺を捕らえただけで集中できていない。氷魔法をぶっ放している『氷アイシャ』を思い出し、あれが原因だと察した。つまり今がチャンス。
「ごめん」
手を腰に伸ばせば、何もないはずなのに手は剣の柄に触れた感触を脳に伝える。
「ごめんな」
覚悟していてもアイシャの瞳に涙の膜が張るのを見るのは辛い。
「レオ、私と一緒にいて。お願い、私をまた捨てないで」
目に見えない剣の柄をしっかり握る。ああ、やっぱり偽物だな。アイシャにそう言ってもらえる権利はとっくに失っている。時間は決して巻き戻らない。
アイシャの体を押しのけて、見えない剣を掴んで大きく振った。
「レオ……」
「ん?」
顔の半分が欠けたアイシャが俺の名前を呼ぶ。パキパキと音を立てて世界がひび割れていく。
「愛しているわ」
パラパラと散っていく世界にアイシャの声が響く。
「アイシャ、俺も……」
俺の言葉を遮るようにアイシャは首を横に振り、俺の唇に指で触れる。細い指が俺の唇に触れた部分からパラパラと崩れていく。
「アイシャ」
名前を呼ぶのを待っていたようにアイシャは嬉しそうに笑って砕け散った。パラパラと降る破片を手のひらで受け止めると水になり――。
『全く、最近の人間ってのはどうなってるんだ?』
知っているような知らないような声がしてそっちを見る。
「……俺?」
『アタリだけどハズレ』
「どっちだ?」
『お前も普通に会話するね』
《俺》が笑う。
『強いて言うなら俺はこの夢の主が思うお前だよ。大嫌いだったり、最愛だったり、お前も色々忙しいね』
「つまりこの状況の犯人ってことだ、なっ」
まだ手に持った感触がある剣で、型も何もなく力任せにぶん回す。
『うわっ』
「余裕で避けておいてそれはないだろ」
「だってさあ」
《俺》が膨れる。
『普通ああいえば、いま彼女は俺のことをどう思っているんだろうとか思わない?』
「俺の顔で軽い口を叩くな」
『あはは、“この子”にもそれ言われた』
《俺》が右手を掲げると目の前にパッと《アイシャ》が現れる。《アイシャ》が俺に微笑みかける。
『レオ、愛し……』
再び剣を振り《アイシャ》の体を胴で真っ二つに切る。15年以上苦楽を共にしてきた愛剣。見えなくてもその長さや重さが手に取るように分かる。
『うっわ、容赦ないなあ』
また《俺》が現れる。アイシャよりも楽だ。
「気色悪いものを見せるな」
『本物かもしれないって思わないわけ?』
「あれは俺の中の彼女だろ? 全く、イヤなものを見せてくれる」
俺に向かって笑ってくれるのを望んでいる。そんな恥知らずな願望をむき出しにされた気がして不快だ。
『やっぱりこっちにしよう』
楽だと思った気持ちを読んだらしい。《俺》は嗤うとまた《アイシャ》になる。
『愛してるって言って?』
「やめろ」
『触れて。愛して。奥まで深く、何も考えられないくらい……んもう』
3回続けて剣を避けられて、アイシャの記憶から剣筋を読まれているのかと思ってアイシャの知らない手に変えたら剣が髪を掠めた。銀色のきれいな髪が舞う。
『短命なせいか人間って切れやすいのね』
《アイシャ》が短くなった毛先をジッと見て、俺に向かってこてんと首を傾げる。
『私が本物だったらどうするの?』
「アイシャはもっと可愛い」
『え〜、ちゃんと模写しているはずなのに』
《アイシャ》がくるっと回ると夜着姿になる。結婚式の夜にアイシャが着ていたもの。宝物に汚い手が触れたような不快感に俺は歯を食いしばる。
『人間の男の好みはいつの世も変わらないわね。胸が好きなんだ。大きいし、形がいいもんね、この子。柔らかくって、弾力もあるし』
「知ってる」
『んもう、全然動じなくてつまらない! あ、そうだ。脱いで見せてあげようか?』
着ているワンピースの肩紐に《アイシャ》が婀娜っぽく指を絡める。その姿に笑いが堪えきれなくなる。
『何?』
「やってみろよ、できるものならな」
挑発的な言葉をかけると《アイシャ》の口元が引きつる。
「お前は俺の意思でできているんだろ? 俺は独占欲が強いんだ、他のやつに見せてやるわけがない」
案の定、《アイシャ》の指は動かない。悔しそうに眉間に皺を寄せる。
『もー、やってらんなーい』
「だから、その顔で喜色の悪い喋り方をするなっ」
大きく振りかぶった剣は《アイシャ》が消えたことで空振りに終わったが、同時に何かを感じて俺は後ろに回転してそれから逃げる。ドンドンッと重厚な音を立てて突き刺さった氷の槍の量と太さにゾッとする。
「ちっ、逃がしたか」
そちらを見れば白いワンピース姿のアイシャ。姿かたちは清楚で可憐だが、氷の槍を背後に何本も浮遊させるその姿は勇ましい。その姿は《アイシャ》と同じだが全く違う。思わず逃げたくなるくらい怒りまくっているのに、それすらも嬉しくなる。
「あんな女が恋しかったって、俺ってマゾだなあ」
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