3-1 東部に行く|ヒョードル・フウラ
「お帰りなさいませ、旦那様」
東部の領主館で僕たちを迎えてくれたフウラは僕に微笑みかけたあと、気まずそうな視線を僕の斜め後ろにいたエレーナ嬢に向ける。
「案内を頼むよ」
フウラの肩に手を置いてそのガチガチの肩をほぐす様に力を込めると、フウラは僕に感謝を視線で送ってエレーナ嬢の前に立つ。
「お久しぶりです、エレーナ様。お部屋にご案内しますね。私の見立てで恐縮ですが服もご用意してあります。ご自由にお使いください」
「……ありがとうございます」
エレーナ嬢の緊張する姿に「おや?」と思ったが、前回のときは一人でどうにかしなきゃいけないという気持ちで虚勢を張っていたのだろう。気が抜けてよかった。優しい目をしてエレーナ嬢を見るレオにも嬉しくなる。
「良かったな、エリー。フウラ夫人のセンスは社交界でも評判らしいぞ。フウラ夫人、私からもお気遣いに感謝する」
「いいえ。我が家には男の子しかいないため、とても楽しく選ばせていただきました」
全員旅装を解いて夕食まで休むことにしたが、暗黙の了解でエレーナ嬢を除く全員が僕の書斎に集まってくる。
「エレーナ嬢は?」
「やはり疲れたのか部屋で寝ている。フウラ夫人、あとで呼びにいってもらえるかな?」
仲間外れにすると拗ねると笑うレーヴェ様にフウラは微笑んで頷き返した。
「今回フウラ夫人も同行するのか?」
「ぜひご一緒させてください。子どもたち、ダミアンとアントンは私の実家に預けてあります」
2人?
「イヴァンは?」
「あの子は……どうしても残って旦那様たちと北部に行くと聞かなくて」
イヴァンは僕の長男で17歳、もう成人している。だから僕に何かあってたときにフウラと共にまだ10歳にもならない弟たちを守ってほしいと言ったのに。
「遊びではないんだぞ」
「申しわけありません、何度もそう説明したのですが」
聞かないというわけか……いや、僕だってイヴァンの立場なら聞かなかっただろう。イヴァンは普段は王都の学校、僕たちが卒業したあの学院に通っている。そこでフウラの過去のことを知ったに違いない。
「東の将軍、ご子息が北部に一人で突っ走らなくてよかったじゃないか」
「レーヴェ様?」
「うちの息子を見ろ。20歳も過ぎてよく考えず離婚訴訟に突っ走っていって嫁さんから絶交宣言を食らったんだぞ」
「父上!?」
レオが驚いた声を上げる。
「まったく……何かするときは周りをよく見て、よく考えなさいと教え育てたはずなのに」
「師としてその教えは受けましたが、あなたに育てられた覚えはありません!」
……笑えないことなのに、なんか笑いそうになる。
「さて冗談はさておき」
冗談じゃなくて、事実だよな。
「ご子息の剣の腕は?」
「剣もそれなりに使えますが得意とするのは弓です。弓ならば砦の弓兵たちに引けを取りません」
風の精霊ゼフィロスの愛し子が守る東の砦には昔から弓兵が多い。もちろんイヴァンの腕前は熟練者の足下に及ばないが、さっきのレオたちのやり取りは父親としてちょっと息子自慢をしたくなる気分に駆られた。
「それならご子息にはエレーナの護衛をしてもらいたい」
「いいのですか?」
「年の近い子がいたほうがエレーナも気が楽だろう。私がエレーナの傍にいるからご子息が剣を抜くことはないと思うが、緊張感を味わうだけいい経験になるだろう」
レーヴェ様の気遣いに感謝して受け入れると、満足そうにレーヴェ様が頷く。
「子どもの気持ちを大事にするのも大人の役割だ。子ども心を親が見くびることはよくある」
「父上が言うと妙な説得力がありますね」
「ほら見ろ。見くびって育てるとご子息はこいつみたいに捻くれるぞ」
そう言ってレオ以外の全員を和ませたレーヴェ様に、僕はフウラと顔を見合わせたあと揃って頭を下げた。
◇ フウラ ◇
「私宛に今朝この手紙がここに届きました」
渡した手紙を読んだレーヴェ様の顔が心底嫌そうに歪む。気持ちはよく理解できる。
サンドラ様の手紙には、レーヴェ様たちがいつ東部につくのか、エレーナ様の目的がなにかなどの探りはあったが、全体の8割以上が「レーヴェ様に会いたい」「レーヴェ様を愛している」という内容だった……イヴァンにはエレーナ様の身辺に十分注意するように伝えなければ。
「食事の前に胃もたれを起こしそうだ……離宮で大人しくしているとは思わなかったが、この勢いでは北部に来るな」
……レーヴェ様、なぜレオネル様にも手紙?
「性格を書きうつしたような手紙ですね、ギトギトに脂ぎっています」
レオネル様は向かいのマクシミリアン様に……情報共有というより、しつこい胃もたれを共有させようとしているようにしか見えない。
サンドラ様のことはよく知っている。レーヴェ様の仰る通りシツコイ方。目をつけた相手は徹底的に逃がさずネットリ・ベットリとこびりつく。
「そう言えばアイシャ様が邪悪と性悪を迷惑という名の油で揚げた感じと言っていた気が」
思わず漏れた言葉に全員の顔がこちらを向く。
「アイシャって揚げ物の油を切らずに皿にのせるから、アイツが揚げ物担当のときは胃がやられたなあ」
「他の者のエビフライが絹のシャツを着たエビなら、アイツのエビフライは綿たっぷりの布団をかぶったエビだったな」
私の知らないアイシャ様の想い出だけれど、『なんか文句ある?』と不貞腐れるアイシャ様が私の頭に容易に浮かぶ。私も確かにアイシャ様の友だちだったのだ。アイシャ様に会いたい。会って謝って、許してくれるまで謝って、許してもらえたら……。
◇
「エレーナ様。夕食の時間になりますが、準備をお手伝いしますか?」
扉を叩いて声をかけると、中から「キャッ」とエレーナ様の悲鳴が聞こえた。さっきのサンドラ様からの手紙を思い出し、慌てて中に入ると尻もちをついたエレーナ様がいた。両手には二種類のワンピースを持っている。
絨毯の上に投げ出された足の先には、ちょっとヒールが高めかと思ったけれどエレーナ様に似合いそうだから買った靴が転がっていた。
「あ、あの、ちょっと……転んでしまって」
ベッドの上に並んだ沢山の服、この光景は私にも覚えのあるもの。いえ、いまだって旦那様とお出かけする日の朝はこんな光景になる。
「こちらと、こちらでお悩みですか?」
「はい……普段着ないデザインだから悩んじゃって……」
寂しそうな目。私はアイシャ様じゃないけれど―――。
「アイシャ様ならエレーナ様にはこちらが似合うと仰ると思いますので、私はこちらをおすすめしますわ」
「……どうしてですか?」
「アイシャ様はレオネル様にドレスを贈られるようになる前は淡い色の服をわざと着ていらっしゃいましたの。ドレスを贈られるようになってレオネル様の臙脂色や黒色のドレスを着ているときはとても嬉しそうでしたわ。でも口では重苦しくて似合わない、レオネル様はセンスがないと憎まれ口をたたいて」
エレーナ様を鏡の前に立たせ、彼女が右手に持っていた臙脂色のドレスをあててみる。室内用だから華美なデザインではないが、アイシャ様とレオネル様の特徴を併せ持つ美しいエレーナ様が着るととても華やかだ。
「髪はまとめますか? アイシャ様はよくリボンで一つに結んでいましたが……ふふっ」
「どうしたのですか?」
「髪はおろしていたほうが好きだとレオネル様に言われたあと、アイシャ様はわざとリボンで一つ結びにしていましたの。それをレオネル様がいつも奪って、奪われたとアイシャ様は私に愚痴るのです。好きだと自覚した途端にレオネル様はやたらと積極的になられて、本人は無意識のようなのですが見ているこちらが恥ずかしくなるくらいの直球で。アイシャ様も素直じゃないから、リボンを盗られたことを怒ってみせるのですけれど、奪われるリボンがいつもご自分の目の色ですから素直と申しますか……」
わざと言葉を切ると、両親の恋物語をもっと聞かせてとエレーナ様は目で強請ってきた。ふふ、娘っていいわね。
「レオネル様は手先が器用で、不器用なアイシャ様を揶揄いながらアイシャ様に代わって彼女の髪をよく結っていらっしゃったわ。丁寧に結うものだから三つ編み一本にかなり時間がかかって、それでもアイシャ様は文句を言わなくて」
エレーナ様の髪をゆっくりと三つ編みにする。
「お話、もっと聞きたいです」
「え?」
「母様と3人で……全部終わったらミシュアの樹で、3人で一緒にケーキを食べませんか。母様を揶揄いながら……」
「ええ、そうしましょう」
……目の前の黒髪が歪んで見える。
アイシャ様……いいえ、アイシャ。
私はそのとき「ごめんなさい」と言うわ。
だからあなたは「許さない」と言って、ショートケーキをホールで強請って、笑って?
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