2-15 お手をどうぞ、マイレディー|レオネル・エレーナ
「おや、アイグナルドの将軍ではありませんか。本日はお暇なのですか?」
父上からあの子がマックスとデートに行ったと聞き、マックスを城に戻ってきた直後に捕まえた。
「茶化すな。あの子はどうした?」
「レーヴェ様が迎えにきて、野暮用だってさ」
「フラれたか?」
「男の嫉妬はみっともないぜ、って言いたいけれど俺は橋渡しなの。ほら、あの人にこの手紙を渡してくださいってやつ」
橋渡し?
「はい。あの子からお前に、二人きりのお茶会の招待状」
リボンをつけて渡したほうがよかったかと笑うマックスに苦笑する。
「ありがとう」
「……レオ、あの子はもう限界だぞ」
分かっている。
あの目は俺が責めるたびに温度を失くしていったアイシャの瞳とよく似ている。
まだ15歳、我慢などしなくていいのに。あの子は「助けてほしい」とは言わず、「助けさせてほしい」と俺たちが言うようにしている。まだ15歳のあの子を、俺たちがそうしてしまった。
「アイシャって言葉を辞書で調べたら強情って書いてあるはずだぜ」
「言えてる。そこは似てほしくなかったなあ」
「アイシャと似ているなら、レオになら甘えられるはずさ」
甘えたがっているサインじゃないのか、とマックスが俺の手の中の招待状を指さす。
「あの子はレオを必要としている。そうじゃなきゃあんな風に父親を捜しにきたなんて、父親が必要なんてわざわざ言わないはずだ。あの顔を見せるだけで慰謝料だって養育費だってぶん取れた」
限界がきたのか「じゃあな」と言い捨ててマックスが立ち去る。その肩の震えに気づかないことにして、俺は壁に寄り掛かって招待状を開く。
「南の温室か」
懐から時計を出して時間を確認する。招待状に書かれている時間はいまから30分後。男の身支度は10分もあれば十分。俺は馬をつないでいる厩舎に向かった。
「こんにちは、南の小父様」
南の温室は国王の私的空間。ここならば護衛も傍に置かず完全に二人きりになれる。
「これは?」
「東の小父様のお薦めです。食べてくれますか?」
ショートケーキとクラッカー。思い出深い組み合わせに「喜んで」と胸に手を当てて礼をして、持ってきたバラの花束を渡す。
「贈り物は慣れていなくて、花といえばバラしか思いつかないんだ」
「私が小さい頃に目で見た花ってバラだけだったんです。砦には母様が作った温室があって、そこで母様は王都から持ってきた白バラだけを育てているんですよ」
王都から持っていった白バラ?
―― 花を贈るといったら鉢じゃなくて普通は花束なんじゃない?
何で鉢植えなのか重いだろうとと文句を言うアイシャに、その何倍も重い槍をぶんぶん振り回す女が何を言っているんだと言い返した覚えがある。
持っていったのか……だめだ、目の奥が痛い。
◇ エレーナ ◇
「アイシャは植物を育てる才よりも枯らす才があったのになあ」
茶化すような言葉だが、小父様の口から自然と出た母様の名前は想像以上に衝撃的だった。小父様は最初の不意打ちのときに母様の名前を呼んだけれど、その後は口に出すのが禁忌のように『アイツ』と言うだけで母様の名前を呼ばなかった。
小父様に何か心境の変化があったのか。
何も読めない赤い瞳に苛立ったが、慌ててその感情を抑えた。
「どうぞ」
誰かに引いてもらったイスに座るのに漸く慣れてきたのに、その誰かが小父様だとこんなに緊張するものなのか。小父様はイスに座って、私がショートケーキを食べ始めてもクラッカーは手つかずのまま。
まるで甘いものが好きな誰かさんのために来てやったんだぞって態度。この人は母様の前でもいつもこんな態度だったのだろう……だって慣れた感じがする。
「小父様は甘いものがお嫌いなのですか?」
「暑い夏の日にシャーベットを食べる程度かな。アイシャに会うまでケーキ屋に足を踏み入れたこともなかったよ」
小父様の目が何かを懐かしむように細くなる。どんな思い出か分からないけれど、いまこの人の頭の中には母様がいる。
「騎士になったとき、初任給でアイシャにそのケーキを奢ったときが最初だ。アイシャの奴、3つも食べたからなかなか厳しい出費だった」
メニュー表の値段を思い出して苦笑する。小父様たちが語る母様は遠慮を知らずとても図々しい。
「遠征で王都を離れたとき、予定の2ヶ月が3ヶ月になるって上官から聞かされたアイシャはショートケーキを食べに一旦帰らせろと騒いだんだ」
「時々無性に食べたくなるんだって母様は言っていました。そうすると我慢できなくなって、私をお爺様に預けて辺境伯様の領地に出かけるんです」
砦は辺境のさらに辺境にあって、辺境伯領の領都まで馬車では1日以上かかるけど母様の騎竜ならばひとっ飛びで直ぐの場所。それでも帰ってくるのは決まって夕陽が沈んだあと。ぐちゃぐちゃになったケーキを母様と笑いながら直接フォークで突いて食べた。
「竜に乗って運べばぐちゃぐちゃになりそうだが、味は変わらないから構わないんだろう」
この人は母様と同じことをいう。この人にも私と同じ、ぐちゃぐちゃのケーキの思い出があるのだろうか。
「ん?」
優しく問いかけるこの人の瞳は真っ白な北部を赤く染めて沈む夕陽のよう。母様の夜明けの色とは逆なのに母様とどこか似ている。
―― エレーナ。
目の奥が痛い。
「小父様」
「ん?」
「……小父様」
「なんだよ」
少し笑いを含んだ声で応える小父様の優しい表情がゆらりと歪む。
「どうして? どうして分かっているのに何も言わないの?」
「……どうしてだろうな」
揶揄っているのかと、思わず小父様を睨んでしまったがその悲しげな微笑みに文句が口から出る前に止まる。
「言いたい。言ってしまっていいじゃないかって何百回も自分に言い聞かすんだけど、君を前にすると言えないんだよ」
何も言えない。後悔してる。それさえも簡単な言葉過ぎると言うように母様と、そして私の望む言葉をこの人は探しているのか。
「きっとアイシャに甘えているんだと思う。アイシャなら、こうあっさりとつっこみ満載だけどなんか納得してしまういい言葉で纏めてくれるんじゃないかって……アイシャが聞いたら便利屋扱いするなって怒られそうだな」
力なく笑う小父様の目にはさっきからずっと不安が揺れている。そしてその不安は母様に怒られることじゃない。
「アイシャは短気だから、怒るときまって槍でどつきまわすんだ」
この人は怒られることを願っている。
「槍ならいいんだけどな……アイシャは本気で怒ると姿を消すんだ」
ドクンッと心臓が煩い。
「泣き顔を見られたくないからって。いないなって気づいて、俺もアイシャを泣かせたなって後悔するんだ。毎回毎回、それ。毎回毎回、泣かせるたびに後悔するのに進歩がないよな。泣いているアイツに謝るのは大変なのに、なんたって探すところから始まるんだ……謝りたいってのに。アイツは謝らせてもくれないんだ」
「私も母様が泣いているのを見たことがありません」
「プライドが高いんだ」
「困らせたくないんだと思います、きっと嫌われたくないから」
小父様が目を見張る。
「私の前で泣かないのは私が子どもだから。自分が泣いても私を困らせるだけだからって……プリンを食べちゃったときは涙目になっていたけど」
「プリンは2番目の好物だからな。マックスが勝手に食って怒られているのを見た……あのプリンの店、去年閉店したんだよな」
ショックだろうなと言っているけれど、小父様は甘いものが嫌いなんじゃなかったの? 母様のために常にアンテナを張っていたの?
「いいな、母様と喧嘩ができて」
「君はしないのかい?」
「するけれど、本気のはしない。だって母様にとって私は子どもだから。母様は私の前では絶対に泣かないの、泣くときは決まって温室かそのとき一番きれいな夕日が見える場所」
私は竜に乗れないから母様の夕日を見る場所は知らないけれど、偶然母様が温室で泣くのを見たことがある。母様は明かりもつけずに、こっそりと泣いていた。
私には何もできなかった、だって母様が守るべきと思っている子どもだから。だから私は見なかったことにした。せめて母様の泣ける場所を守りたかったから。
「ごめんな」
「なんで私に謝るんですか?」
だめ、言葉が止まらない。
「私に謝られても困る……謝ってほしいのは私じゃない! 謝るなら母様に直接、直接……」
言葉が続けられなくて、続けちゃいけない気がして唇を強く噛む。顔も見られたくないから、せめてもの抵抗で俯く。
「そうだな」
直ぐ近くから聞こえた声に思わず驚いて顔を上げると、イスから立って小父様は身を乗り出していた。頭がポンポンと叩かれる、母様よりも大きな手だった。
「俺はアイシャに会いたい、会って謝りたい」
「……槍が飛んでくるかもしれませんよ」
「それでもいい、怒ってくれるなら……エレーナ、アイシャはどこにいる?」
私も知りたい。
「母様、いなくなっちゃったの」
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