2-14 少女の願い|マクシミリアン
「東の小父様、美味しいケーキを奢っていただけませんか?」
エレーナ嬢に呼び出されてお強請りされたのは、王都で人気の洋菓子店『ミシュアの樹』に連れていってほしいというものだった。
「母様が東の小父様は甘いものがお好きだと言っていましたわ」
「確かに好きだけど……」
レーヴェ将軍でもレオでもなくて、俺?
ミシュアの樹のケーキがアイシャは大のお気に入りで、レオネルとよく行っていた。喧嘩をしたあとあの店で仲直りすることも多かった。
「小父様、私とデートしてくださいな」
「デート!?」
エレーナ嬢は無邪気に言ってくれるが、俺は血の気がひく感覚に襲われる。冗談でもデートとかいうのはやめて。今日が俺の命日になっちゃう。
「嫉妬の炎で火葬されるのは嫌だな」
「大丈夫ですわ、アイグナルドは骨も残さず灰にするのが得意だとお爺様に教えてもらいました」
最近王都では樹木葬が人気と聞きましたと可愛い笑顔で物騒な事を言う。
「と、とりあえずデートというのはやめよう? 俺みたいなオッサンに、ね?」
普段は絶対に自分をオッサンなどと言わないが今回はそれで逃げを打つ。
「小父様の見た目は20代半ば、見た目10歳差ならありでは?」
首を傾げたエレーナ嬢が楽しそうに笑い、その笑顔がアイシャのものに重なる。なるほど。俺たちはデートなんて間柄ではなかったが、ときどきアイシャが「デートしよう」と言って菓子屋に連れていくことがあった。
「一張羅に着替えてくるから少し待っててくれるか?」
ヴィクトルに馬車を用意してもらい、馬車に揺られながら王都をガイドする。城の周りは観光スポットだらけだし、俺たちは5人でよく城下町にきていたから話題に事欠かなかった。
エレーナ嬢に強請られるまま思い出話をしながら店に着けば、事前に連絡していたので店主が用意してくれた個室に向かう。
「デートで来るんですか?」
「デートで俺がつかうのは違う店。この店はアイシャとレオがよく一緒に来ていたからな」
素直じゃない二人は第三者がいると必ず憎まれ口から喧嘩に発展する。そして翌日どちらからも相手の愚痴を聞かされるのだから、最良の選択は「二人がいるところにはいかない」になる。
「おすすめのケーキは?」
「イチゴのショートケーキ。アイシャはとりあえずこれを食わせておけば機嫌がいいとレオが言っていたことがある」
エレーナ嬢は迷わずショートケーキを注文し、すぐにきたケーキに目を輝かせる。
「その嬉しそうな表情、アイシャにそっくりだな」
「この吊り目のせいで母様にあまり似ていると言われないから嬉しいです。もっと食べていいですか?」
「もちろん、ここは俺が奢るから」
レオとよく似た吊り目を指差してエレーナ嬢は笑い、一口食べて感動したように「んー」と震えたと思えば入口に待機していた給仕を手招きする。
「ここから、ここまでお願いします」
「もっとってそういう意味? 全く、人の奢りだと思って……うわ、いま俺レオと同じことぼやいた。アイシャは細いくせによく食ったもんなあ」
「母様の辞書に太るって単語はないですものね。それだからか平気で私に太るぞって言うんです、成長期だから栄養が必要なのに」
15歳の女の子がまだ成長期?
「頭の成長です」
糖分で脳の活性化と気合を入れる。その台詞はアイシャがよく言っていて、そんなアイシャに「太るぞ」と憎まれ口を叩くのは決まってレオだった。
本当に似ている。
アイシャにも、レオにも。
◇
「小父様、これを見ていただけますか?」
エレーナ嬢が小さな鞄から出したのは俺の精霊マリナが愛する東の海を思わせる青色の小瓶。
「どうしてこれを?」
「母様の部屋で見つけました、作り方と一緒に」
「見せてくれ」
エレーナ嬢は俺に小瓶を渡すと、鞄から懐かしいノートを出してきた。
アイシャの実験ノート。
俺とアイシャは魔導具や薬を作るのが好きで、二人でいろいろな実験をした。
「やはりアイシャはこれを飲んだんだな」
アイシャの子どもはあの裁判の日に流産するはずだった。流産しないほうがおかしい状況だったことは確か。でもこうして子どもは、エレーナ嬢は無事に生まれている。
考えられた可能性はただ一つ、学生時代に俺たちが実験で作り出そうとしたもの。
海の魔物の魔石に魔力を入れると回復薬ができる。
海の水の成分が人体の中の水と同じだからとか、人間は海で生まれたからとか理由は諸説あるが、大らかな東部の人間は『そういうもの』で片づけてちゃっかり回復薬の製造を東部の主力産業にしている。
海の魔物の魔石は魔物の残留魔力の影響で青色を帯びているが、唯一人魚の魔石だけは魔力が枯渇しているので無色透明。古文書レベルの魔法薬のレシピに『人魚の魔石に魔力を入れると万能薬ができる』と書いてあった。試したくなるのが科学者の性、後先考えないのは科学者の悪い癖。
俺たちは人魚の魔石を手に入れ、万能薬づくりを試した。
魔力を入れたのはアイシャだ。この辺りも分かっていないが、回復薬を作れるのは女性だけだから。実際に俺は回復薬を作ることができない。なんか弾かれる感じがするのだ。
……確かに、あのときアイシャは何かおかしかった。アイシャは自分は水系魔法が使えないからうまくいかなかったと言っていたが、あいつは……。
【人魚は人間を恨んでいる。理由は分からない。でも恨みの声が聞こえる、何かを返せと言うのが聞こえる。そして声は言った、同じ恨みを持つ者だけに救いを与えると。世界を恨めと。確かめようがなくて困る】
世界を恨む者に救い……あのときアイシャは……。
「記録を残すのが研究者の性なのでしょうか。母様がこの『救い』を飲んだ日、新聞を読んだら裁判所で私を流産しかけた日でした。母様はイチかバチかの賭けに出たのだと思います」
エレーナ嬢が俺をジッと見る。
「小父様、この薬をもう一度作ることはできますか?」
デートの目的はそれか。アイシャも決まって何かお願いがあるときに「デート」と言って誘ってきた。レオに恨みがましい目で見られる俺の立場になってほしいものだった。
でも――。
「すまない、この魔力量を持つ女を俺はアイシャしか知らない」
「……それなら、回復薬は? 海の魔物から出た魔石は用意できます。『ぜひ協力させてほしい』と言った方々におねだりすればいいので」
ガルーダ商会の惨状を聞いて、次は自分か焦る者が多いのだろう。
「どのくらい?」
「遠征部隊3つ分」
遠征部隊3つ……南、東、西の部隊。全員総出……無茶な話だが、できないことはないし、やらざるを得ない状況だ。
誰も彼もエレーナ嬢の要望を拒むことはない。俺は母親、ヴィクトルとヒョードルは妻。そして特大の後悔を抱えているレオ。誰もがアイシャに負い目を感じている。負い目とは弱み……ああ、だからエレーナ嬢は『嘘』を暴いていたのか。
……ただ助けてくれ、そう言ってくれればいいのに。
でもこの子は絶対に言わない、アイシャがそういう奴だ。昔から、そしてきっといまもそれを聞けるのは一人だけ。
「本当に君はアイシャに、嫌になるくらいそっくりだよ」
アイシャ、俺はまだ君に会うことができるのだろうか。
エレーナ嬢が登場してから、この子の中のアイシャの面影に、この15年間ずっと欠けていたものが戻ってくる感覚がしたんだ。ずっと不安定だった土台があるべき形に収まった感じ。
「君、店主を呼んでくれないか?」
「……小父様?」
首を傾げるエレーナに笑い掛け、店員に呼ばれて店主のロシェが俺たちのテーブルにきた。
「あの塩味のクラッカーの作り方を知っているかい?」
「もちろんです。ショートケーキとセットでお持ち帰りができるよう、すでにご用意してあります」
ロシェはエレーナ嬢に微笑みを向ける。
「ショートケーキと塩味のクラッカー。こちらのセットはとあるカップルの仲直りの定番なんです。甘い物が苦手な男性は心底嫌そうな顔で店に入ってきて、彼女が大好きなショートケーキを奢るのです。あんな顔をするほどテイクアウトするなりすればいいのに、賄賂だから仕方がないとかゴチャゴチャと言い訳して……本当に素直じゃない方です」
その男女が誰と誰かなど聡いエレーナ嬢には直ぐに分かるだろう。
「たくさん来ましたか?」
「それはもう。大体週2回、多いときは週に4回。男性は女性のために、嫌な顔をしながらこの店に来るのです。イケメンじゃなければ商売の邪魔だと追い返したでしょう」
「週4回って、喧嘩しすぎ」
呆れるエレーナ嬢の言葉に俺とロシェは顔を見合わせて笑う。
「喧嘩と同じく仲直りも二人でするもの。女性は先に折れて自分をこの店に連れてくる男性に対するお礼と言って手作りのクラッカーを持ってくるようになりました。自分だけ食べているのは落ち着かないとかゴチャゴチャと言い訳をして……こちらも本当に素直じゃない方です」
「料理下手なのに……そのクッキー、ちゃんと美味しかったんですか?」
「素朴な味でしたよ……まあ、少々塩味が強すぎるようには感じましたが」
でもレオにとっては何よりも美味しいものだった。
「エレーナ嬢。ショートケーキとクラッカーをあいつに持っていってやってくれないか?」
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