2-12 間違いばかりだ|レオネル
「静かだな、サイス。気絶しているのか? 痛みを遮断する処置をしていたと聞いたが、そうとう暴れたようではないか」
「薬の効果はほぼ切れたようです。実際にいま痛みで気絶していますし、私に対して怯える様子も見せはじめました。いいタイミングでお越しですな」
「気絶しているなら出直そうか」
「いいえ、起こします」、
同情めいた声で報告したくせに、起こすといったサイスは脇にあるに火鉢の中から鉄のこてを取り、壁に磔にしていた初老の男の裸の胸に強く押し当てた。その動作は慣れていて、躊躇もない。
「ぎゃああああああああっ」
つんざくような悲鳴が肌が焦げる嫌な音を消したが、不快な臭いは消せない。
「お目覚めですか?」
「う、うぅ……よ、よせ……もう、やめて……くれぇ」
恥も外聞もなく涎を垂らしながら泣きわめく男、ウィンスロープ公爵家の主治医だったロンダールにサイスは首を傾げてみせた。
「後ろめたいことは何もないから痛みを感じないと仰っていたのでは?」
「そ、それは……」
「そんな与太話を信じるわけがないでしょう。神様が脳を弄っていない限り永遠に痛みがないなどあり得ませんからね。薬なら切れるのを待つだけ、持久戦は得意なんですよ」
サイスが笑うとロンダールの顔が恐怖のためか大きく引き攣る。
「そうそう、俺のような薄汚れた血の下賤の輩とは話したくない、でしたっけ? 丁度良かったですね、閣下がいらしてくださいましたよ」
ロンダールが俺を歓迎するとは思えない。逃げるなど考えないように捕獲するときに両脚の腱を切ったのはこの俺だ。その痛みは薬で誤魔化せたかもしれないが恐怖は覚えているだろうし、痛みを感じ始めた今は切れたまま何も処置していない腱は痛むはずだ。
「ぼ、坊ちゃま」
咄嗟に「坊ちゃま」と呼ぶくらいロンダールは幼い俺の傍にいた。父上のようになれと言うサンドラを諌めてさえくれた。
息子に父親のようになれと言うことは、世間的にみればおかしいことではない。しかしサンドラのそれは父上そのものになれというもの。所作、言葉遣い、剣の振るい方。俺を見て「こんなのはレーヴェ様ではない」とサンドラは気が狂ったように騒ぎ、俺に手を上げることもあった。
そんなサンドラからロンダールは俺を守ってくれた。
「俺はお前をいまも恩人だと思っている」
口から零れた俺の言葉にロンダールの顔が喜びに変わり、俺は手枷の嵌まった左手に触れる。
「お前の言うことだから信頼した。あの子が俺の前に現れる瞬間まで、俺はお前の言ったことを疑ったことはなかった」
「坊ちゃま……痛っ」
左手の指を握り、力を込める。
「あの子の存在がお前の嘘を証明した。いまの俺が望むのは1つだけ、俺をこれ以上失望させるな」
指をへし折ると甲高い悲鳴があがり、ロンダールは痛みにのたうつ。はりつけている鎖が大きく揺れて金属の擦れた音が鼓膜を打つ。
俺とアイシャの泥沼裁判の終わりは突然だった。
証言台に立っていたアイシャが腹を押さえて蹲り、痛みを訴えながら気を失った。それが俺がアイシャを見た最後。すぐにヴィクトルが休廷を命じ、裁判所の者たちがアイシャを休憩室に運び込んだ。自分たちがアイシャを見てくる、そう言ったロンダールとハンナに俺はアイシャを託してしまった。
―― 出血しているぞ。
証言台の下、アイシャから流れた血に気づいた誰かの声で裁判所内は一気にざわついた。
アイシャの腹の子が流れたとロンダールが俺に報告したのは、それから2時間後のこと。ロンダールの白衣には夥しい量の血がついていた。
裁判所に響いたロンダールの言葉に痛まし気な顔をしたのは極一部。面白がる者が大半、不義の子なのだから丁度いいなどと言う者もいた。
……アイシャはそれを聞いたのだろうか。
俺が彼女の流産を丁度よかったなどと思っていると思ったのだろうか……。
「アイシャが流産したなどと言ったのは誰の指示だ?」
「は……はひ……ひっ」
違う指を握ってみせるとロンダールは悲鳴を上げる。
「誰の指示だと聞いている」
「お、奥様の指示です!」
俺が手を上げると、ルネがロンダールに治癒魔法を施した。これで喋れば助かるとロンダールは思ったらしい。何もせずとも口を開いた。
「お、奥様に指示されましたが、あの出血量なら流産は時間の問題でした」
「嘘をつくな。それならばなぜあの子が生まれている?」
「嘘ではありません。坊ちゃまはあのときアイシャ様を見舞いもしなかったではありませんか!」
「……っ!」
ロンダールの言う通りだ。
あのあとアイシャはこれ以上裁判を続けても無駄だと言い、特例ではあるが本人が立ち会うことなくあのまま判決が出た。裁判は俺の主張が全面的に認められる形で終わった。
俺はそのまま南部に発ち、アイシャは最低限の荷物を持って屋敷を出て北部に発った。
「そもそもあの子どもが坊ちゃまの御子のはずはありません」
「あの子は俺の子だ」
あの子にそう言うことはできないけれど。
俺は色々間違えた。
そのどれも取り返しがつかないことで、だからもう間違えたくない。
「……そんなはずはない!」
「いい加減に……「そんなことは許されない!」……なんだと?」
ロンダールが狂気に血走った目で俺を見た。
「女神キャスルメインの血に下賤な血が混じるなど許されるわけがない!」
ロンダールがガチャガチャ鎖を揺らして激昂する。
女神キャスルメインの血。
貴族がその青き血を自慢するときに使う言葉。
「馬鹿か……」
「馬鹿はお前だ! 女神の血脈をあんな女の腹で育むなど何を考えている! 孤児の器で女神を産むなど烏滸がまし……ぎゃあっ!」
喚くロンダールをサイスが鉄の棒で殴りつけ、ルネがロンダールの首を掴んで壁にそのまま押し付ける。
「汚い口でアイシャ様を語るな!」
「ルネ、やめろ」
「アイシャ様を悪く言うことは許せません!」
「だからといって慣れないことをするな、アイシャがお前に望んだのはそんなことではないだろう?」
その言葉にルネの目に涙が浮かび、その手をサイスがロンダールから外す。
「村の虐められっ子のルネが慣れない真似をするから」
「煩い! ついでに言っておくけど、その気持ち悪い口調をやめろ!」
「八つ当たりすんなよ」
「八つ当たりくらいさせろ!」
幼馴染というルネとサイスは兄弟のように仲が良い。
ルネとサイスが南部に来たのは俺がカレンデュラと再婚した頃だから、裁判から2年くらいたっていた。
南部の砦は常に人手不足だから基本的に来る者拒まず。ただ騎士だけは俺が背を預けることもあって一応自分で面接していた。正直志望動機など何でもいいのだが、話のキッカケには丁度いい。そのくらいの気持ちで二人にも志望動機を聞いたのだが、二人の答えは「恩人に頼まれた」と珍しいものだった。
その恩人が誰かは聞かなかったが、魔物によって消滅した北部の村の出身なのだからすぐにアイシャだと分かる。でも俺は15年間ずっと気づかない振りをしてきた。
「頭を冷やしてこい」
俺の言葉に頷くとサイスはルネの腕を掴んで立たせ、腫れ始めたルネの拳に手を当てて治癒魔法を展開する。サイスとルネの周りにいる精霊たちが嬉しそうにくるくる回る。
精霊の加護を持ち治癒魔法が使える者は珍しくどこにだって働き口はある。それなのにアイシャは南部に寄越した。
俺はお前を助けなかったのに。
助けてと目で訴えたアイシャの手を俺は取らなかったのに。
……ごめん。
本当にごめん。
俺はいつだって間違いばかりだ。
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