2-11 忠誠心と裏切りと|レオネル
屋敷の正面玄関前で馬から降り、駆け寄ってきた軽鎧姿の騎士たちに馬とコートを預ける。騎士たちは元の位置に戻り、ただ一人、ルネだけが残った。
「何か話したか?」
ルネは俺の秘書官。普段は南部の砦にいるが、しばらく王都に滞在するという俺の報告を受けると俺が特に信用している騎士たちを集めて王都に来た。
「いいえ」
「それはすごいな、サイスの尋問にそこまで耐えられるとは」
「他の者たちは驚いておりますが、サイスは薬の使用を疑っております。感覚を断つ作用のある薬に心当たりがあるようですから」
「腐り切っても医師ということか」
公爵邸の裏庭に行くとそこは軍隊の野営地の様相。
「屋敷の中で寝泊まりすればいいだろうに。使用人は全員解雇したから一人もいないが、お前たちなら自分のことは自分でできるだろう?」
「贅沢は敵。こんなふかふかの布団で寝たら二度と地面でなんて寝られなくなります」
「そんな繊細な奴らか?」
ベッドで寝たくなったら娼館に行くらしい。なんとも言えない理由だったが、小遣いがわりにルネに数枚金貨を渡すとそれを見た奴らから歓声があがった。
「処分を任された酒も食い物も全て高級品。今回の出征は大当たりですよ」
「金が足りなかったらドレスでも宝石でも家宝以外は何でも売っ払え」
「……家主が盗賊の親分になってどうするのです」
ルネの呆れた声を聞きながら向かうのは、裏庭の端にある古びた小屋。一見すると物置のようだが、扉についているのは庭師たちの道具を守るにしては些か頑丈な錠。開けて入れば、小屋の中には降りる階段だけしかない伽藍洞。
階段には二重の防音壁があり、2つ目を解除して中に入ると叫び声やうめき声が聞こえてくる。
「前から疑問なんですが、なぜ防音壁が2つもあるんです?」
「悪人の叫び声が怖いと言った夫人のために当時の当主が作ったそうだ」
「閣下の元嫁様と違ってデリケートな方だったんですね」
ルネの言葉に俺は笑った。
「しかし空き部屋があまり増えていないな。横領犯たちは国に渡したのではなかったのか?」
「もちろん渡しましたよ。囚人を囲うのもお金がかかりますから。閣下に扶養家族が増えるかもしれませんからね」
「あっちのほうが金持ちだがな」
「カルーダの奴らから莫大な慰謝料をもらいますしね」
「閣下!」
俺とルネの会話に割り込んできた女の喜色に満ちた声に不快感がせり上がる。視線を向ければガシャガシャと鉄格子を揺らすハンナ。この女はアイシャの侍女で、アイシャの月のものを偽り懐妊期間を俺が南部にいた時期に偽った。
ハンナは俺の乳母の娘、それなりに信用していた。だからアイシャの専属侍女にした。それなのにハンナは俺を裏切った、しかもその理由が俺への愛だ。
媚びた表情を向けるハンナ。
自分はとことん女運がないと溜め息が出る。
「なぜ私を出してくれないのですか?」
「なぜ出られると思うんだ?」
「嘘を吐いたのは私だけではありません」
確かにハンナの言う通りだ。アイシャが男と出かけたと嘘を吐いた侍女もいたし、花宿での逢引きに協力させられたと嘘を吐いた馬丁もいた。
しかし奴らはハンナと違い早々にこの地下牢を出ていった。別に奴らを許したわけではない。ただ俺が氏刑で裁ける人数には限界があり、優先順位をつけただけ。
「あんな小者たちを閣下が気に掛ける必要はありません」
「何をしたのか?」
「彼らの周りにいる方々、家族、親族、近所の方々に彼らがアイシャ様を虐めて泣かせたと言っただけですよ」
……ふむ。
「虐められて泣くような女じゃないぞ?」
「見た目だけは守ってあげたい可憐な清楚系じゃないですか」
見た目詐欺なんだよな。
「レオネル様!」
アイシャを思い浮かべたところでハンナの声が割り込んで苛立つ。
「何度も申しているではありませんか。アイシャ様の月経を間違えただけです。間違いなど誰にでもあること、それなのに罪になるのですか?」
「女主人の月経は後継ぎに関わること、本来ミスなど許されない。ただお前の言う通りミスは誰にでもある、ある程度は仕方がない」
「それなら……「ミスならなぜアイシャの月経を記録したものが2つある?」……え?」
俺の言葉にハンナの喉からヒュッと音が漏れる。
2つの異なる月経記録。1つは正しい記録。もう1つは俺の南部滞在期間に懐妊するように日付の計算付きで記入された月経記録。
「体調不良の理由は後から気づくことも多い。なんでも記録しておきなさい、それが乳母の教えだったな。ご丁寧に何度も計算し直して、『間違いなどではない』証拠をちゃんと残してくれて助かったよ」
「2つとも手癖の悪さで5年前に解雇された洗濯場の下女が持っていました。彼女はこの2冊の記録であなたを脅していたのですね」
「ど、どうして?」
「そう聞くことは自白と同等ですが、まあ良いでしょう。推薦状なく解雇されて貧民層に堕ちた恨みでしょう。彼女、二束三文であなたを売りましたよ」
「きちんと金を払っていれば黙っていたかもな。金払いの悪さが裏切り者を呼ぶいい例だ」
ハンナがルネを睨む。
「私は貴族です!」
「……それで?」
「貧民層の女やそこにいる庶民上がりの男よりも私のほうが閣下の役に立ちますわ」
「何を根拠に?」
「愛しております! あなたの公爵夫人に私こそ相応しい者などいませんわ!」
狂ったように笑い出したハンナに溜め息が止まらない。
「俺も父と同じく気が狂った女に好かれやすいらしい。眠らせろ、帰り道も煩くては堪らん」
ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。