2-10 貴族たちの情報戦|王妃レア
「王妃様、変なところはありませんか?」
心配そうにワンピースのスカートを直す仕草をするエレーナ嬢に思わず口元が揺らぐ。あのお茶会では気圧されるほどの迫力があったけれど、こうしてみると十代の少女だ。
一時期、陛下とアイシャ様の仲を疑ったことがある。
公爵とお付き合いする前にアイシャ様が陛下の婚約者候補だったこともあったから。陛下にそう言うと「ないない」と笑い飛ばされたけれど、恋情はなくても陛下にとってアイシャ様は特別な方だとエレーナ嬢とこうして接するようになって分かった気がする。
とにかく、なんか可愛い。
見ていて飽きないともいうのか、次に何をするのかしらとワクワクする自分がいる。
「大丈夫よ、とても似合うわ。さあ、行きましょう」
エレーナ嬢はずっと砦暮らしだったみたいだけれどアイシャ様が「身につけて損はない」と礼儀作法を叩きこんだらしく、王妃のお茶会のお客様としてお招きするのに全く問題はない。何しろ度胸があるので伸び伸びと動く体はそれだけでとても綺麗に見える。流石、衆人環視の場で先代国王陛下相手に啖呵を切ったアイシャ様の娘だと思う。
アイシャ様とは年齢も少し離れているし、あの方はご令嬢ではなかったから茶会も夜会も将軍の誰かの付き合いで来る程度だったから私はお会いしたことはない。
会って話してみたかったな、と最近よく思う。
「スフィンランの将軍、アイシャ様の娘のエレーナ嬢よ」
招待客を厳選した王妃主催の茶会でエレーナ嬢を紹介すれば今回のお願いの80%は終わり。
エレーナ嬢を見るご夫人たちの目が色めき立ち、エレーナ嬢の思惑通りの展開に内心苦笑する。この子にとって私たちの行動は盤上遊戯を見ているような感じなのかもしれない。
エレーナ様の読み通り、この人たちは家に帰りアイシャ様の娘がウィンスロープ公爵によく似ていることを夫に語るだろう。
巷を騒がせる有象無象の噂より、実際にエレーナ嬢を見た貴族夫人の証言は重みが違う。妻から夫へ、いままで噂でしかなかったエレーナ嬢の存在が事実となって国の中枢に広がっていく。国の仕事に関わる彼らの行動の幅は広く、情報を収集する術にも広げる術にも長けている。貴族たちのわくわくは止まらない。
エレーナ嬢たちが何もしなくても情報はどんどん独り歩きしていく。彼らと同じ罪人の私、15年前のことが蒸し返される恐怖を知っている。
◇
「王妃様、紅茶のお味はいかがでしょうか」
今まで飲んでいた紅茶の茶葉はサンドラ様から勧められてガルーダ商会で購入していたもの。今日の茶葉は違う、自分で選んだもの。
私は王妃だけれど辺境伯の娘だったので中央貴族の中ではサンドラ様のほうが強く、15年前のことがあってサンドラ様に逆らえなかった。
自分が私室でこうして飲む紅茶の茶葉さえも私は自分で決めることはできなかったのだけど、もうそれはお終い。
「美味しいわ、これからはこれでお願い」
サンドラ様の力は確実に弱まっている。
ふふふ、エレーナ嬢たちにとって私は復讐する価値もない存在。それに気づいたときは、15年前から何も変わらないちっぽけな自分を指摘された気がして笑ってしまった。
でもエレーナ嬢を私を協力者に選んだ。
あの少女が「王妃だから」で選んだとは思えない……母アイシャ様のご友人のヴィクトル様が選んだから、という理由だったに違いない。
ヴィクトル様の名前をもう穢すことはしない。
「お茶会で聞いたのだけれど、公爵家の主治医を買収したのはサンドラ様だったそうよ。嫁が気に入らない姑の話はよく聞くけれど、ひどい話よね」
私の側にいる専属侍女は全員中央貴族の娘。
立ち振る舞い、望まれる振る舞いをよく分かっている。
「恐ろしい話ですわ。姑の問題は、私たちにとっても他人ごとではありませんわ、ねえ?」
専属侍女の中で最も家格が高い侍女、エレーナ嬢を最初に呼び出すときの失態で公爵様たちに目を付けられた彼女が私のパスを受け取り、あっという間にサンドラ様を批難する。
もともとサンドラ様は『元王女』とか『先代公爵夫人』であることを笠にきて横暴に振舞っていた。彼女に悪い感情を持つ者は多かったから煽りやすい。侍女の言う通り、この先政略結婚をする可能性が高い彼女たちは嫁姑との問題を不安に感じている。
不安は伝染しやすい。
「それにね、例の手紙の筆跡鑑定師、ミゲル子爵のご友人だったそうなの」
「まあ、ミゲル子爵って……」
「ウィンスロープ公爵閣下と離縁なさったあとにカレンデュラ夫人が再婚なさった方ですよね」
カレンデュラ夫人がウィンスロープ公爵に執着していたことは誰もが知る話。その彼女が子爵と不倫し、それが公になってウィンスロープ公爵と離縁したときは騒ぎになった。
カレンデュラ夫人の性格を考えれば、そんな危ない橋を渡って子爵と不倫するわけがない。
脅されていたのでは。そのネタはなんなのか。「筆跡鑑定師とミゲル子爵が友人」という一つの言葉から、カレンデュラ夫人が繋がったように貴族たちの好奇心はどんどん罪を明らかにしていく。
貴族たちは新たな情報に騒ぐだろう。
だってみんな騒ぎ続けなくてはいけないから。
別に彼ら全員があの裁判に出たわけではない。でも面白がってアイシャ様の不貞を噂し、アイシャ様を不当に貶めた。罪の深さとしては浅いかもしれないが罪がないとは言えないグレーゾーン。それに罪悪感を覚えているわけではない。そんな性格をしていたら噂などしない。
ただ、彼らはエレーナ嬢たちの復讐の対象になるのが怖いだけ。
ちょっと面白おかしく事実を軽く曲げた程度。そんな気持ちで流した噂が、エレーナ嬢たちの復讐の鎌をひっかけてくるかもしれないと思っている。だから「あいつのほうが悪い」という様に情報をばらまく。 そして『あいつ』として生贄になりやすいのは当然ながらあのサンドラ様とカレンデュラ様だ。
清廉潔白とは程遠い方々。
真実も嘘も関係なく彼女たちを貶める噂が流れ始めている。
その勢いはどんどん増していくことだろう。
「サンドラ夫人はまだ兄である猊下の離宮に滞在中?」
「猊下はそれとなく出ていくように言っているそうですが出ていく気は全くないようです」
知って驚いたが、サンドラ様は自分が周りから嫌われているということを知らなかった。
先々代の父王に溺愛されたことと王女とか公爵夫人とかその地位に気兼ねして『お友だち』でいただけ。今回の騒ぎでサンドラ様は『お友だち』にどうにかしてとお願いをした。お願いされた『お友だち』によればうるさく騒いだだけだったようだけど、彼女たちの返答はサンドラ様よりもエレーナ様たちのほうが怖いだった。
弱肉強食、分かりやすい。
常にちはほやされて苦境に立ったことがないサンドラ様は打たれ弱く、早々に王都を逃げ出そうとしたが行き先はない。
最初はウィンスロープ公爵領にいったようだが、公爵領に領主館はない。何代も前のご当主様が将軍職と領主の兼業は無理だと議会に申し出て、ウィンスロープの領地は議会制で運営され元領主館はいまは会議堂になっている。
突然サンドラ様がきて「滞在する」と言ったとき、彼らは「どこに?」と首を傾げたらしい。会議堂は客を泊めることはできるが事前予約制。行けば歓迎されると先触れなく公爵領に行ったサンドラ様が予約などするわけがなかった。
結局サンドラ様は王都に蜻蛉帰りし、異母兄である先代国王の猊下を頼って離宮に逃げ込んだのだった。