2-7 鐘を鳴らしたら元には戻らない|マクシミリアン
「母さん、ただいま」
部屋の入口で声をかけると、ソファに座っていた母さんがパッと顔を上げる。
「マックス、どうして私の手紙に返事をしない……え、ウィンスロープ公爵?」
「お久しぶりです、夫人」
レオに気づいた母さんが顔色を変える。やっぱりそうなんだな、と気分が落ち込む。
「お久しぶりですね、南部はいかがですか?」
「最近は落ち着いていて、この隙に折角なので東部に遊びにきました」
「そうでしたか。さあ、中に入ってくださいな」
執事に茶の準備を指示する母さんをジッと見る。ここまできても「まさか」という思いが捨てられない俺に気づいたのか、レオが俺の肩に手を置き「夫人」と母さんに呼び掛ける。
いや、ここでレオに甘えてはだめだろう。
「レオ、俺が言うよ。気遣ってくれてありがとな」
俺の顔をジッと見たレオは頷き、後ろに下がる。
「母さん、サンドラ様とどのような取引をしたのですか?」
「……なんのこと?」
母さんは笑って首を傾げる。
「サンドラ様が私のことを嫌っていることはよく知っているでしょう?」
「それでも、アイシャのことではお二人の利害が一致したはずです」
アイシャの腹の子の父親だと名乗り出たのは3人。アイシャの副官、ガルーダ商会長、そして学院の騎士科の男子生徒。男子生徒とアイシャにつながる線にいるのは母さんだ。
当時アイシャは学院で短期であったが講師をしていた。その講師に推薦したのが俺の父マーウッド伯爵だったのだが、父さんに確認したらアイシャを強く推薦したのが母さんだったという。
男子学生本人は学院を卒業後に騎士となって東部の砦に配属され、そして魔物クラーケンの討伐のときに殉職している。本当に魔物と戦っていて亡くなったのだろうか。死人に口なしではないが、あまりに出来過ぎた状況に俺が知っているはずの母さんが別人に見える。
「利害って? アイシャ様が公爵閣下と離縁したとして私に何の関係が?」
アイシャの副官のことを証言したカレンデュラ元夫人はレオの妻となるという目的があった。ガルーダ商会長のことを証言したフウラ夫人はヒョードルとアイシャの仲を嫉妬したという理由がある。
行動には理由があるが、その理由に俺はずっと気が付いていて目を背けていた気がする。
「母さんはずっと俺に強い騎士になれって言ってきたよね」
「そうね」
「マリナの愛し子になってからは強い将軍になれって」
「母さんはいつもあなたを応援しているわ」
「嘘だ。母さんは俺にがっかりしたんじゃないか?」
母さんの目を見れなくて、俺は背中に背負っている大剣を見る。
両手で握り全身を使って振るうこの剣の攻撃力は高いが、素早い魔物を一撃で倒すことは難しい。それなのに俺がこの剣を使っているのは味方を守るため。敵と味方の間に切りかかり、敵が引いた瞬間に結界を貼って隊列を組みなおし負傷兵の治療にあたる。
「前線で剣や槍をふるうレオネルやアイシャの後方支援ばかり得意で、剣の名手だった母さんにはそれが物足りなかった?」
「マックス、私は……」
「アイシャに筋力では確かに負けていない。でも俺とアイシャは強くなりたい理由が違う。『強くならなければ死ぬでしょ』と笑うアイシャみたいな気持ちで剣をふるったことは一度もない」
「あの子は孤児よ」
「……それが母さんがアイシャを認めなかった理由?」
「だって騎士とは崇高で気高い血の……」
「血なんて、そんなアイシャがどうにもできないことが騎士として認められない理由なのか?」
母さんが所属していた近衛騎士団は騎士たちの中でも血を重んじ、選民意識が強い者が多いことは知っていたけれど、孤児であることが母さんがアイシャを排除しようとした理由なのか?
「サンドラ夫人が王家にある精霊魔法の本をあなたに渡すと約束してくれたの。確かにマリナの精霊魔法は支援系が多いけれど、その本には大規模な攻撃魔法があるって」
「……母さん」
「あなたは優しい子だし、この二十年大規模な魔族の襲撃がないから使う機会がないのよね。分かっているわ、あなたがあんな孤児なんかに負けるわけないわよね」
「母さん!」
母さんが俺の肩を強く掴む。指が肩に食い込んだことも痛かったが、狂信的な母さんの目に打ちのめされる。
「そんな本知らない。俺、そんなの読んだ覚えはないんだけど」
「そんなはずはないわ。だって約束したのよ」
「息子である俺の言葉とサンドラ夫人の言葉、どっちを信じるわけ? しっかりしろよ、そんな便利な本なんてあるわけないだろう。母さん、どうして分からなかったんだよ」
そんなはずはないと頭を振る母さんに無力感を味わう。
もう何を言っていいか分からない。
「マックス……」
「……父さん」
父さんが母さんを俺から放し、俺の肩を労わるようにポンポンと叩いた。気張っていた気持ちが緩んだ。
「アイシャは頑張ったんだ。剣なんて持ったこともなかったのに愛し子になっただけで北部に送られるから、死にたくないから毎日頑張ってた」
父さんの手が俺を宥める様に肩をさする。
「手も血豆だらけで、全身あざだらけで……それでもめげずに頑張っているから俺も負けてられないって頑張ってきたんだ」
「分かっている、どんな魔法を得意とするのかは精霊次第。お前が結界や治癒を得意とするのは、お前の優しい性格を精霊たちはよく分かってくれているんだ」
父さんは俺の肩をポンポンと叩くと、レオの前に膝をつく。
「近日中に家督を長男に譲り、私と妻は領地に下がります」
「伯爵、全ていまさらです。私は何も言いません、全て伯爵にお任せします。ただアイシャは奥方に憧れておりました、あのような夫人になりたいと。恥ずかしながらうちにはアイシャが目標とする女性貴族がいなかったので」
「……勿体ないお言葉です」
父さんがふと楽しそうに口元を緩めた。
「アイシャ様が先代国王陛下に気持ちのよい啖呵を切った日をよく覚えていますよ。閣下、エレーナ嬢のことは私の耳にも届いております。北部で何か起きたのでしょうか」
「私たちはそう思っています。アイシャならば娘に代行させず、自分の手で関係者を張り手して回ったでしょう」
「それでは閣下は往復ビンタでもすみませんね」
「グーパンチでも甘んじて受け入れる所存です……そうであってほしいものです、心の底から」
最後は祈る様に呟くレオの前、父さんの隣に俺も膝をつく。
「我がマーウッド家は北方将軍ならびに北部への助力を惜しまないことを約束しましょう。資金でも物資でも息子達でも、遠慮なくお望みください」
タイトルは"You can't unring a bell."(鐘を鳴らしたら鳴らしたことは元に戻せない:差別的な言動が一度行われたら、それを取り消すのは難しい)ということわざ・格言からきています。
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