2-3 貴婦人を釣りあげる|王妃レア
「王妃陛下、エレーナ様をお連れしました」
遣いにやった侍女が連れてきた少女を見て、疑いようもなくウィンスロープ公爵家の子どもだと理解した。
少女がイスに座ったタイミングで遣いにやった侍女から報告を受ける。
少女がウィンスロープの公爵たちの庇護下にあること。スフィンランの元将軍、レーヴェ様からアイシャ様の名代として丁重に扱うよう釘を刺されたこと。
「それと、根拠はありませんがあのことに気づかれたかと思われます」
ハッとして侍女のほうを見ると彼女の顔色が悪い。そのまま視線を少女に映すと、少女はキョトンとしたあとニッコリ笑ってみせた。相手はまだ10代の少女だというのにゾッとした。
「王妃様は南部辺境伯家のご出身なのですよね」
この少女に知られているということに加えて『南部辺境伯』という言葉。顔が強張りそうになるのを堪え、「そうよ」とにっこり笑って肯定する。テーブルの上に置いてある扇子をとって広げようかと思ったけれどまだ大丈夫。
「お爺様が南部辺境伯様とはお友だちで、とてもお世話になったと言っていました」
お爺様、ね。この子はウィンスロープ公爵の娘であることは否定しているみたいだけれど、その父である先代公爵とは懇意にしているみたい。
「お爺様って感じではないのですけれど、10代の私から見れば50代の自分は爺だろうと仰るのです」
あくまでも一般的に高齢者を指す呼称だと言うが、今朝この子はウィンスロープ公爵を朝食の席に招き3人で家族のように仲良く食事をしていたと報告を受けている。どの情報を信じるべきか。
「王妃様、南部はどういうところなのですか?」
「暖かいところよ」
話題が変わった。
「砦からの砂漠の景色は美しいと聞きました。それを見ながら飲むお酒が最高だって、お酒を送ってくれる南部辺境伯様とは味の好みが一緒だったそうです」
「そうなの」
「南部辺境伯様は必要なものを欲しいときに直ぐに提供してくださる義の方だと、素晴らしい方だとお爺様は仰っていました」
「お父様が聞いたら喜ぶわ。南部の砦を支えることは南部辺境伯家の誇りだもの」
なぜだろう。この子の口が紡ぐ言葉一つ一つが15年前の私の罪を刺激する気がする。
この子は知っている。
どこまで知っているのかしら。
それに、この子以外に誰が知っているの?
先代公爵様は知っているだろう。
それなら、公爵様は?
侯爵様がご存知なら……もしかして陛下もご存知なのでは?
私は南部辺境伯家の次女に生まれ、年齢と政局のバランスを鑑みてヴィクトル陛下の妃候補にあがった。
―――初めまして。
陛下のことは夜会とかで何度も見ていた。でも遠目から見るだけで、初めて近くに見て言葉を交わしたのは妃候補たちが前王妃様に招かれたときだった。
初めて目を合わせたあの瞬間、私は陛下に恋をした。
初恋だった。私はいつか家のために父が選んだ方と結婚すると思っていたから、それまで誰にも恋をしたことがなかった。この方の妃に絶対になりたい、そう思った。
そう思ったのは私だけではなかった。
頬を紅潮させて陛下と話す他の妃候補たちを見て、陛下の魅力に惹かれているのは自分だけではないと直ぐに分かった。陛下の妃になるのは彼女たちに勝たなければいけない。
南部辺境伯家は他の候補者に比べて血筋の点では劣ったがあまり気にしていなかった。
陛下の親友であるウィンスロープ公爵がスフィンランの愛し子ではあるが孤児のアイシャ様を娶ったからだ。愛し子は王族と同等に扱われるが、孤児である事実は消せない。筆頭公爵家が孤児を嫁として迎え入れた以上、他の貴族が血筋を問題視することはできなくなった。
私が陛下の妃候補になった背景にあるのは王家と軍部の繋がりの強化。奇しくもアイシャ様が愛し子の将軍だけに防衛を押しつけるなと言ったおかげで、王家は軍部とのつながりを見直すようになったのだ。
――あなたを妃候補の筆頭に推してあげる。
軍部とのパイプを太くする利点を陛下にどうアピールして妃候補筆頭になろうか悩んでいたとき、ウィンスロープ前侯爵夫人で元王女のサンドラ様から茶会の誘いが来た。サンドラ様はあまり評判の良い方ではないが、その身分の高さから社交界を牛耳っていた。彼女の言葉に逆らえる貴婦人はいないとまで言われていて、彼女の推薦があれば確実に陛下の妃になれると思った。
―― その代わり南部の砦に送る物資や兵士について詳しく教えてほしいの。
そんなことかと当時は思った。
その情報なら辺境伯家のあちこちにあるリストを見れば簡単に分かる情報だ。私はあっさり入るその情報をサンドラ様が指示した人に渡した。私は何も知らなかった。いや、欲に駆られて真実を見誤っていた。
―――うちに間者が入り込んだ。
父が私たち家族と全使用人を集めてそう言った。本当なら1ヶ月前に終わるはずだった砂漠の蛮族との応戦が終わらない理由があちらに情報が漏れていたからだったことがこのとき分かった。
父は国の信頼を損ねるわけにいかないと使用人の前で頭を下げ、執事長から下女に至るまで全員解雇し、新たに人を雇うまで不便をかけると家族にも謝った。父に抗う声も上がったが、父は南部の砦が落ちたらこの南部を皮切りに国が砂漠の蛮族や魔物に蹂躙されると説き、たとえ味方であっても辺境伯家内で知った情報は漏らしてはいけないのだと言った。
自分の罪を知った日、私は眠ることができなかった。
塞ぎこむ私を父たちは仲の良い使用人がいなくなったからだと誤解したが、その間も情報を漏らしたのが私だとバレるのではないかと怖かった。しかしバレることなく時が過ぎ、辺境伯家は直ぐに何事もなかったかのように従来通りの雰囲気に戻った。
そうよ、いまさらバレるわけがない。
そう思うのに目の前で楽しそうに笑う少女の姿に不安がどんどん膨らむ。だってこの少女はその存在で『いまさら』を蒸し返そうとしているのだから。
王都に来てまだ日も浅いのにあちこちであの裁判のことが囁かれている。アイシャ様と侯爵様に似ている容姿の少女、ただそれだけで『アイシャ様が夫以外の男の子どもを妊娠していた』という裁判の結果は覆えされた。
私は裁判で嘘の証言をしたわけではない。
でも私は罪を犯している。私があんなことをしなければウィンスロープ公爵はもっと早く砂漠の蛮族たちを平定させて、アイシャ様のお腹の子が夫以外の子だと疑われることすらなかったかもしれない。
王都の民たちの間でアイシャ様の人気は高い。多くの国民が「誰がどんな罪を犯したか」を夢中になって推理している。きっと誰かが私の罪を暴く。そして私の罪を知った陛下はどう思うのか。
「なにか私にお手伝いできることはあるかしら?」
お願いを聞いてあげる。
だから黙っていて。
誤字報告ありがとうございました。
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