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33. もう知ってしまった

 夜の脱出に備えて少し仮眠をとったあと、しばらくしてレグルスがやって来た。

 湯気のたった(たらい)とタオル、着替えを抱えていて、まるで使用人のようだ。


 彼はエステルの世話を焼きたいようで穏やかな笑みを浮かべていたが、その笑顔のままで信じられないことを言い出した。


「エステル、服を脱いで。夕食の前に体を拭いてあげる」

「……っ」


 どうしようもない嫌悪感で思わず顔が歪みそうになったが、エステルはすんでのところで我慢した。

 これから隙をついて逃げ出すのだ。レグルスにはできるだけ油断していてもらいたい。


 かと言って、彼に肌をさらすなど絶対にしたくなかったので、適当に嘘をついて誤魔化すことにした。


「お気遣いありがとうございます。ですが、式を挙げるまでは肌を見せたくありませんので……」


 恥じらうように伏目がちに微笑むと、レグルスは「それなら仕方ない」と納得してくれたようだった。


 今のはなんとか切り抜けられたが、これからまた無理なことを言われるのではないかと気が気ではない。一刻も早くレグルスから逃れたかった。


(魔石のペンダントがないから、逃げても聖女の力のせいで居場所が分かってしまうだろうけど、それでも夜闇に紛れれば見つけにくいはず……。問題は足枷だわ)


 どうすればこの邪魔な足枷を外せるだろうかと考えを巡らせていると、レグルスがまたエステルの名を呼んだ。


「エステル……僕の愛しいお姫様」

 

 レグルスがエステルの左手を取り、薬指を愛おしげに撫でる。


「エステルのための指輪も用意してあるからね。ああ、深夜になるのが待ち遠しいな。式が終わった後も、朝までずっと二人きりで過ごそうね。僕たちは夫婦になるんだから」


 これが想いを通わせ合った相手であれば、きっと恥ずかしくも嬉しい言葉なのだろう。

 しかし、レグルスはそんな相手ではない。


 エステルは怖くて震えそうになるのを懸命にこらえた。


「……私も早く時間が経ってほしいです」

「エステルも? 嬉しいな」


 エステルの言葉を都合よく解釈したレグルスが、愛しい婚約者の薬指に口づける。


 エステルは歯を食いしばって耐えたが、レグルスの口づけは一度では終わらなかった。

 薬指から手の甲、手首へと移動してくる。


 その気持ち悪さに耐えきれずに腕を勢いよく引くと、レグルスは驚いたようにエステルを見つめた。


「エステル……?」

「あ……今のは、まだ体を拭いていないので、レグルス様が汚れるとよくないと思いまして……」

「僕のことを気にしてくれたの? 可愛いね」

「そんな……。体を綺麗にしたいので、外に出ていていただけますか?」

「分かった。僕は夕食を持ってくるよ。二人で一緒に食べよう」


 やっとレグルスが出て行ってくれそうで安堵していると、彼が「あ、そうだ」と呟いた。


「そのネックレスはどこかで買ったのかな? 前は持っていなかったよね」

「あの、これは……」

「挙式用のドレスには似合わないから外そうか。それに、こんな安っぽいものはエステルには似合わないよ。僕があとでもっと高価なものを持ってきてあげるから」


 レグルスはそう言うと、エステルの首からネックレスを奪い取り、無造作に掴んだまま部屋を出ていった。



 軽くなった首元に手をやり、エステルがぽつりと呟く。


「せっかく、ミラとアルファルド様が、プレゼント、してくれたのに……」


 声が震える。

 今まで温かかった首元が、急に寒々しくなった気がする。


 この部屋に来てから、悲しい涙ばかりが溢れてきて止まらない。

 どうして自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。


 母親に見捨てられたときも、興味のない聖女の座につかされたときも、王族と結婚しなければならないと言われたときも、反抗することなく受け入れてきた。


 レグルスからは恐怖心から逃げ出してしまったけれど、以前のエステルなら一度捕えられてしまえば、きっと二度目の逃亡など考えなかっただろう。


 これが自分の役割なのだと、きっと諦めていた。


 だが、もう知ってしまったのだ。

 エステルをエステルとして見てもらえる喜びを。

 愛され、大切にされる幸せを。


 あの森の隠れ家で、知ってしまった。


 だから、もう勝手な型にはめられ、偶像にされることに耐えられなくなってしまったのだ。


 もしかすると、前より弱くなったのではなく、エステルも凍っていた心が溶かされたのかもしれない。



 エステルはレグルスが持ってきたタオルを掴むと、もうすっかり(ぬる)くなった湯につけ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いた。

 それから、レグルスに触れられたところも全部。左手は特に念入りに。


(わたしは聖女でも、お姫様でもない。ここから逃げて、エステルとして生きるんだから……!)



◇◇◇



 その後、レグルスが持ってきた夕食を二人で食べ、エステルは挙式用の衣装に着替えた。


「やっぱり君には薄紅色が一番似合うね」


 これがミラやアルファルドの言葉だったら、きっと素直に嬉しかっただろう。

 しかし、レグルスに言われても喜ぶ気にはなれない。


 なぜなら、薄紅色は春の国のロザリー姫が着ていたドレスの色だからだ。

 やはり自分にロザリー姫を投影しているのだと感じられて、気味が悪い。


「エステル、こっちへおいで」


 ベッドに腰掛けたレグルスが、エステルを手招きする。

 仕方なくそばに寄り、少し距離を置いて隣に座ろうとしたエステルだったが、ふいに足首に痛みが走って思わず顔を歪めた。


「……痛っ」


 足枷の部分にできた傷をうっかり擦ってしまったのだった。

 足首の傷に気づいたレグルスが目を丸くする。


「こんなに赤くなっていたなんて……。すごく痛々しくて可哀想だね」


 レグルスは可哀想だと言いながら、なぜか嬉々とした表情を浮かべる。


「包帯を巻いてあげたら、君の細くて白い足に似合いそうだ」


 エステルはぞっとした。

 なぜ、傷を負って痛がっている人の前で、そんなことを嬉しそうに言えるのだろうか。


 レグルスはアルファルドのように良心を奪われてなどいないはずなのに。


(アルファルド様だったら、きっと心配して一生懸命手当してくれたはずだわ。……でも最初に、わたしの足に触れてもいいのか悩みそうだけれど)


 焦るアルファルドを想像したら可愛くて、エステルの口元が自然と緩む。

 その様子をまた好意的に解釈したレグルスが、満足げにエステルの髪を撫でた。


「エステル、もうすぐ大神官が到着するよ」


 窓がなくて時間が分からなかったが、そろそろ深夜になるのだろう。


 もうそんな時間になってしまったのと絶望しそうになったが、エステルは考えていた作戦を実行することにした。

 今なら機嫌もよさそうだから、上手くいく可能性も高いはずだ。


 エステルが上目遣いでレグルスを見つめる。


「レグルス様、式のときはこの足枷を取っていただけませんか?」

「足枷を? どうして?」

「神聖な式でジャラジャラと音が立つのは嫌だと思いまして……。一生に一度の式ですから、大神官様のお言葉と、レグルス様のお声だけを聴いていたいです」


 にっこりと微笑んで、そう答えれば、レグルスも幸せそうに笑った。


「たしかに、鎖の音がしては無粋だね。じゃあ、足枷は外してあげよう。初夜のときも邪魔になるしね」

「……ありがとうございます」


 最後に顔が引きつるところだったが、なんとか堪えられた。

 枷さえ解いてくれるなら、理由は何だっていい。


 レグルスが服のポケットから鍵を取り出し、エステルの片足から足枷を外す。


「ほら、外したよ。思い出に残る結婚式にしようね」

「ええ、楽しみです」


 きっと、花嫁に逃げられた式として、ずっと記憶に残ることだろう。


 エステルは薄く微笑むと、やっと自由になった足を動かして、具合を確かめる。

 擦り傷以外は無事だから、これなら走って逃げられそうだ。


(チャンスは一度だけ。レグルス様が大神官様を部屋に入れる隙に逃げるのよ──)


 やがて部屋の外からノックの音が聞こえてきた。


「レグルス様。私です。リゲルでございます」


 レグルスが足枷の鍵を置いて立ち上がる。


「ああ、リゲル大神官。待っていたよ。今扉を開けよう」


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