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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
番外編

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鬼の襲来③

 いろいろ話せて満足したのか、悠ちゃんはそのあと喜色満面の表情で意気揚々と帰って行った。


 思いがけない嵐のような来訪にやれやれと一息ついてふと気づくと、なんだか先輩の様子がおかしい。


 話しかけてもどこか上の空だし、何より私の顔を一切見ない。目も合わせない。


 挙動不審極まりない。



 先輩がこんな不可解な雰囲気を纏うのは珍しいもんだから、滅多に見られない光景をついついまじまじと眺めてしまったりして。



 ……いや、でも怪しい。

 なんかあったな、これ。



 ソファに座って無心にスマホを弄る先輩の隣にわざとらしく密着して座り、私はできるだけ涼しい声で言った。


「ねえ、先輩」

「ん?」


 スマホから視線を移さずに生返事する先輩の顔を、勢いよく両手で挟んで自分の方に向けた私はにんまりと笑う。


「どうしたの?」

「へ?」

「悠ちゃんが帰ってからおかしいじゃん。何か言われたんでしょ?」


 私の言葉でキョロキョロと所在なさげに目を泳がせた先輩は、しばらく視線を下に向け、それから真っすぐ私を見た。

 そして盛大にため息をついたあと、聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。


「……やきもち」

「は?」

「やきもちだよ。お前、昂生のこと好きだったんだろ?」


 先輩は、不貞腐れて拗ねたように目を伏せる。



 ん?

 


 数秒が、経過する。



 瞬時には何を言われたのか本当に理解できず、何度か瞬きを繰り返して、ようやく先輩の放った言葉が意味を成す。



「……悠ちゃんがそう言ってたの?」

「うん、まあ」

「それで?」

「直接聞いて確かめたわけじゃないけど、乙葉は多分ずっと昂生のことが好きだったんだって言われて……。昂生だって満更じゃなかったはずなのに、高校に入って雅に会って、そっちを選んじゃったんだろうなって」


 先輩は悠ちゃんが勝手に置いて行った爆弾発言を説明しながら、目に見えてどんどん不機嫌になっていく。




 可愛い嫉妬を見せていじける先輩を不謹慎にも愛しいと感じながら、私はなんだかほのぼのとした気分になっていた。



 やきもちを焼かれるって、なんかこう、ちょっとうれしい。くすぐったい。



 これは確かにクセになりそうだな、なんて思いつつ、そんな「やり方」をしていた人がいたことを思い出す。

 そして、あのとき先輩が言った言葉も。



「あのね」


 私は先輩の両頬に手を添えたまま、自分の目と声と表情に精一杯の「愛しい」を込めた。


「昂ちゃんのこと、好きだったかって聞かれたら多分そうなんだろうけど……でもそれって憧れみたいなものだったのかなって思うの。その証拠に、昂ちゃんに雅さんを紹介されたとき、そりゃびっくりしたしショックだったけど、でもそれだけだったっていうか」

「どういうこと?」

「いきなりだったからね、確かに動揺はしたんだけど、わりとすぐ立ち直れたなあって。次の日から雅さんも一緒に登校するようになって、めっちゃ可愛がられるようになったからそういうのすっかり忘れてたし。でもさ」



 私は思い出す。


 もう3年も前のことなのに、今でも鮮明に思い出せる、壊れそうに痛々しい記憶の断片。



「先輩が瞳子さんを好きだったって聞いたときは全然違った。何も考えられなくなったし、逃げて帰ったし、帰ってからもずっとそのこと考えてたし。答えが出るまでずっと考えて、答えが出てもやっぱりいろいろ考えちゃって、苦しかった」


 そこまで言ったら、先輩は私の両手を掴んで自分の頬から離し、そのまま自分の方へ引き寄せた。

 バランスを崩した私は、弾みで先輩の胸にぽすんと収まる。

 そして先輩の腕が、私の背中に回る。


「ごめん」

「ふふ、それはもういいの。それよりも、昂ちゃんを好きな気持ちと先輩を好きな気持ちは最初から全然違ってたってことを言いたいの」


 抱きしめられたまま見上げると、不機嫌そうだった先輩の表情が少しずつ緩んでいく。


「……俺は俺のことを好きなお前しか知らないから、俺以外のやつを好きだったって聞いて、なんかこう、ショックだったっていうか……そんなの普通にあり得ることだって頭ではわかってるけど、なんか受け入れられなくて……俺だけの乙葉だと思ってたのに、俺じゃないやつを好きだった乙葉が信じられなくて、そんなふうに思う自分も心が狭すぎて嫌だなとか思ったりして」


 先輩は、弱々しく笑う。

 

 私はたまらなくなって、もう一度先輩の頬に手を伸ばした。



 やきもちって、焼いてもらうとやっぱりちょっとうれしい。

 愛されてると実感できるから。


 でも、やちもちを焼くのは苦しい。

 それがどんなに無意味なことだとわかっていても、嫉妬の炎は自分の意志とは関係なく無限に燃え上がって我が身を焦がすから。




 あのクリスマスイブの日、瞳子さんに向かって先輩は「嫉妬させることで愛情を確認するようなやり方、俺はしない」と言っていた。


 嫉妬するのは苦しいから。

 そんな苦しい思いを、私にはさせたくないから。


 でもそれは、私だって同じだ。



「先輩がさっき悠ちゃんに言ってくれたのと、私も同じ気持ちだよ。先輩だけが好きだし、私には先輩しかいないし、一緒にいればいるほどどんどん先輩のこと好きになっていくし、これまでもこれからも私は先輩だけのものだよ。それじゃダメ?」


 迷子のように心細そうな目をした先輩が、自分の頬に添えられた私の手をそっと握る。


「……ダメじゃない」


 そう言って、うれしさや恥ずかしさや安堵感が入り混じった笑顔を見せた。




 それにしても。


 私が昂ちゃんに対して抱いていたのはイケメンな幼馴染への単なる純粋な憧れだったなんてことは、恐らく悠ちゃんだって気づいていたはずなのだ。


 だっていちばん近くで見ていたんだもの。

 気づいていないわけがない。


 それなのに悠ちゃんは、わざとあんなふうに、先輩が誤解したりショックを受けたりするような言い方をしたに違いない。


 自分の目で見極めてやろうと乗り込んできたくせに、先輩の揺るぎない覚悟と圧倒的な愛情にぐうの音も出なかったことへの意趣返しのつもりなんだろうけど。



 私の大事な先輩にこんな顔をさせた悠ちゃんを、いつかこっぴどい目に遭わせてやろうと私は決意した。覚えてろよ、悠ちゃん。




「なあ、乙葉」


 少し機嫌を直したらしい先輩が、めまいがしそうなほど艶っぽい表情で握っていた私の手に口づける。


「な、なに?」

「乙葉が俺だけのものだって、確かめてもいい?」

「は?」


 知らないうちに完全にいつもの調子を取り戻した先輩は、またいつものように私を翻弄する。


「今日ちょっと、しつこいかも」


 なんて蕩けるような甘い目で見つめられたら、もう私だって、何も言えない。


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