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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
番外編

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鬼の襲来② side伊織

 突然やってきた昂生の兄・悠生さんは、乙葉に促されるまま椅子に座った。


 心なしか、俺を見る目が怖い。

 いや、心なしかというより、もう完全に、明らかに、鬼のような凄味のある目で俺を睨んでいる。


「悠ちゃん、コーヒーでいい?」


 キッチンに入ってきた乙葉は、そんな悠生さんの様子にも、この部屋に俺がいるという場違いさにも全く動じていないようだった。


「先輩、コーヒー取ってくれる?」

「あ? あ、はい」

「ありがと」


 乙葉は、まるで花がほころぶような笑顔を見せた。


 俺の乙葉はこんなときでも可愛いすぎる。



「いいのか? 俺がいても」


 部屋の中を興味深そうに見回す悠生さんの目を盗みつつ、俺は声を潜めて乙葉に尋ねた。


「今更じゃない? もうバレちゃってるし、別に悪いことしてるわけじゃないし」

「いや、そうだけど……」

「それに、悠ちゃんは多分確かめに来たんだと思う」


 そう言って、乙葉は確信めいた表情をしてゆったりと微笑む。

 


 コーヒーを淹れる準備をする乙葉を眺めながら、俺はかつて昂生から聞いた兄・悠生さんの話を思い出していた。


 乙葉を実の妹のように可愛がり、過保護とも言える態度で溺愛していたという悠生さんは、もしかしたら乙葉の顔を見に来るついでに俺のことをも品定めに来たのかもしれない。



 なんだ、そうか。


 魔王の次は、鬼ということか。


 そういうことなら、受けて立ってやろうじゃないか。




 コーヒーを淹れ終わった乙葉と一緒に、俺は悠生さんの向かい側、つまり乙葉の隣に堂々と座った。

 たったそれだけのことでも、悠生さんは眉を上げ、不服そうな顔をしている。


 俺は、去年魔王に対峙したときと同じようににこやかな笑顔を貼りつけ、先制攻撃に打って出た。


「改めて、悠生さん。はじめまして。藤野伊織です。昂生からも聞いてるかもしれませんが、乙葉とは3年くらいつきあっています」


 鬼は「ふん」と鼻で答えたあと、面白くなさそうに乙葉の淹れたコーヒーをすすった。


「しょっちゅう、この部屋に来てるのか?」

「そうですね。俺の部屋がここの向かいなので、お互いの部屋を行き来してる感じですね。乙葉を1人にするのは心配だし、何より俺が一緒にいたいんで」


 俺の先制パンチに、悠生さんはあからさまにたじろいだ。

 まさか、ここまで公然と、真正面から惚気られるとは思わなかったのだろう。



 俺にとって、乙葉への桁違いな愛情を表現することなど朝飯前だ。というより、息をするように乙葉を愛でることが俺の生き甲斐だし、それを自分の思うまま遠慮なく他人に誇示することに対して恥ずかしさの欠片もない。



 乙葉を見ると、平然とした様子を装いながらも顔は真っ赤だった。


 俺の圧倒的な甘やかしにだいぶ慣れてきたとはいえ、こういうところは出会った頃のままだ。素直な反応が可愛すぎて、悠生さんの前だというのに欲望の赴くまま抱きしめたくなってしまう。



 そんな甘い雰囲気に飲まれそうになったのを振り切るように、悠生さんの刺々しい声が飛んできた。


「お前、乙葉と結婚するとか言ってるらしいけど」


 おまけに忌々しそうな目つきで続ける。


「本気なのか?」

「本気じゃなきゃ、そんなこと言いませんよ」

「でもこれからどうなるかわからないだろう? 今はそういう気持ちでも、時間が経っていろんな人に出会って、だんだん気持ちが変わっていくことだってあり得るだろう?」

「あり得ませんね」


 俺はきっぱりと言い切った。


 確かに、未来のことを「絶対」という言葉の下に断言することはできない。


 でも悪いけど、こういう(くだり)は去年とっくに経験済みなんだよな。



「悠生さん」


 俺は自分の強い覚悟を突きつけるように、悠生さんを見返した。


「俺たち、つきあって3年くらいなんですけどそのうち丸2年は遠距離だったんです。離ればなれで過ごしてみて、俺はほんとに乙葉のことが好きだと実感したし、俺には乙葉しかいないと思いました。それに2年経っても3年経っても、好きな気持ちは変わらないどころかますます大きくなってるんです。多分こんな気持ちになれるのは乙葉だけだと思ったから、結婚しようと言いました」


 悠生さんは、むすりとした表情のまま大きくため息をついて、ゆっくりとコーヒーをすすった。


 重い沈黙が、容赦なく蓄積していく。



「君のことは、いろんな人から聞いてたよ」


 ゆっくりと口を開いた悠生さんが、唐突に俺の呼び方を「お前」から「君」に変えるもんだから俺はどうにも唖然とするが、なんとか気づかないフリをした。


「昂生はもちろん、雅ちゃんとか望月のおばさんからもね。おじさんはあんまり話したがらなかったけど」


 そう言って、悠生さんはどこか諦めたような、それでいて何かを堪えるような、寂しげな目をして遠くを見つめた。


「おじさんやおばさんが認めてるんだったら、たかが兄もどきの俺がとやかく言う権利なんかないのはわかってるんだ。でも、俺はもう、乙葉が泣くのを見るのは嫌だからさ」

「悠ちゃん……」


 震える声で、乙葉がつぶやく。

 その声に突き動かされるようにして、俺は思わずテーブルの下の乙葉の手を握っていた。

 驚いて俺を見上げた乙葉の目は、じんわりと涙で潤んでいる。


「君が乙葉を泣かせないと、傷つけないと約束してくれるなら、俺はもう何も言わない。乙葉を幸せにしてやってほしい」

「わかりました。泣かせないし、傷つけません」


 俺は自分の気持ちを奮い立たせるように、しっかりと答えた。


 もとから、そのつもりだ。


 乙葉を傷つけたくない。むしろ傷つけるものから守りたい。

 悲しい思いで泣かせるなんてこと、絶対にしたくない。


 その思いは、これまでも、これからも揺らぐことはない。




 涙ぐんでいたのをごまかすように、空になった悠生さんのカップにコーヒーを継ぎ足そうと席を立った乙葉の背中を見ながら、悠生さんは独り言のようにつぶやいた。


「それにしても、乙葉は昂生が好きだったのにな」




 ……は?




 思いがけない言葉に、俺は不覚にもまぬけ顔になって呆然とした。


 そんな俺の様子を見た悠生さんは、面白いものでも見たかのように質の悪い顔をしてニヤリと笑っている。


「あれ? 聞いてなかったのか? 乙葉はずっと昂生のことが好きだったんだよ」


 

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