61 いつまでも
春。
一陣の風に煽られて、桜の花びらが勢いよく舞い上がった。
「どうした?」
窓の外を眺める私の少し冷たくなった肩を、先輩の手がそっと包む。
ほんのりと温かさを感じながら、私はそこにあるのが当たり前になった先輩の顔を見上げて小さくつぶやいた。
「桜が綺麗だなって」
先輩はいつものようにふっと笑って、やれやれと言いたげな顔をしながら私の耳元でささやく。
「今日のお前の方が綺麗だよ。って言わせたいのか?」
「言ってくれないの?」
自分でもだいぶあざといなと思いつつ、先輩の方を振り返ってその胸に手を置いた。
先輩は私の手を取って「はあ」とわざとらしくため息をつきながら、自分の頬に押しつける。
その瞳が、愛しくてたまらないと言っている。
「俺はいつまでもこうやってお前に翻弄されながら生きていくんだろうな、奥さん」
「ふふ。先輩ったら」
「お前、いつまで俺のこと『先輩』呼びなんだよ。いつになったら普段でも伊織って呼んでくれんの?」
揶揄うような声が、隠すつもりのない色気を含んでいるからドキッとする。
「普段でも」ってわざわざ言わなくても。
「相変わらずいつでもどこでもいちゃいちゃするよね」
冷やかすような聞き慣れた声が、親族控室の方から瑠々や桐生くんを連れて入ってきた。
「きゃー、乙葉ってば綺麗! なんか感動しちゃう」
「ふふ、ありがと」
「先輩、今日はおめでとうございます」
「ありがとう。わざわざ早めに来てくれたのか?」
「2次会でもゆっくり話せるとは思ったんですけど。その頃にはへべれけになってそうで」
瑠々は隣県の大学に入学したあと、そのまま大学院に進学した。
瑠々が言うには心理学業界ではそれが主流らしく、大学院を修了したあと資格試験にも合格しないと心理職としての就職は難しいとのこと。
まだまだ先は長いけど、と言いながら会うといつも楽しそうにキラキラした笑顔を見せてくれる。
桐生くんは地元の大学を卒業したあと教員採用試験に一度落ちて二度目で合格し、今年から晴れて中学校の先生をしている。
初めて担任を持ち、悪戦苦闘しているらしい。
ちなみに、桐生くんは椎名さんとはすでに別れてしまっていた。
椎名さんが他県の大学に進学し、しばらくはがんばったけど「続けていける自信がない」と桐生くんから別れを切り出したらしい。「離れたら気持ちも離れる」という呪縛からは逃れられなかったみたい。
でも、この翌年椎名さんがこっちに戻ってきて、椎名さんを忘れられなかった桐生くんとまたつき合い始めるなんて、このときの私たちは知る由もない。
結局、桐生くんと椎名さんの気持ちは、距離なんかが邪魔できるものではなかったみたい。
数馬くんは順調に、少しずつ社会復帰を果たしている。
あのあとも最初に始めたスーパーのバイトをずっと続けていて、今度バイトの昇格試験を受けることになっている。
瑠々が大学に行ってしばらくしてから、数馬くんはふと自分の心の中の物足りなさに気づいたらしい。
しょっちゅう一緒にいた友だちがいなくなった寂しさだとはじめは思っていたけれど、たまに帰ってくる瑠々がどんどん綺麗になっていくさまを目の当たりにし、ほかの男に取られるかもしれないという焦燥感を自覚して、それを桐生くんに話したら「自分で何とかしろ」と塩対応されたと嘆いていた。
「忍にはもう相談しない」とため息混じりで私と先輩に報告してくれた数馬くんは、バイトの昇格試験に合格したら瑠々に告白するそうです。
「そろそろお時間になりますので」
式場のスタッフに促され、招待客を迎えるためにエントランスへ向かう。
「ほんとに綺麗ねえ、乙葉ちゃん。やっぱりこっちのドレスにしてよかったわね」
「ほんとにね。こんな綺麗でいい子がうちに来てくれるなんてねえ」
お義父さんとお義母さんは相変わらず朝から全肯定の嵐である。
うちのお父さんはこんな日だというのにやっぱりどこか不機嫌だった。
お父さんは最後まで「まだ早い」と散々ごねて、最終的にお義父さんとお義母さんの説得でようやく折れたという経緯がある。
お母さんはかなり早い段階でそんなお父さんに呆れてしまい、「せめて藤野さんたちに迷惑かけないでちょうだい」と言ったきりあとは他人のフリを決め込んでいるらしい。
ちなみに、将吾はそんなお父さんを冷ややかな目で見ている。「大人げない」とでも思ってるんだろう。
「乙葉ちゃーん、おめでとう!」
「伊織もおめでとう」
昂ちゃんと雅さんは、あの頃と全く変わらない優しくて煌びやかな笑顔でやって来た。
無敵の美男美女カップルが正装なんかすると、ますます眩しくてうらやましい。
2人は隣県の大学でしっかりと医学を修め、今はこっちに帰ってきて研修医をしている。
そのうち結婚するつもりだけど、お互いに忙しくてもう少し先になりそう、と雅さんはこの前苦笑しながら話していた。
当然のことながら、この2人も安泰である。むしろ、ほかの人がつけ入る隙なんてないでしょうね。
「伊織ー、おめでとう」
「2人ともおめでとう」
「わざわざ悪いな、こっちまで来てもらって」
「乙葉ちゃん、おめでとう。ほんとに綺麗」
「おめでとう、2人とも」
今や地元公務員の星として活躍中の大我さんと、バリキャリ街道を邁進している梓さん、花梨さんと夏目さんも元気そう。
夏目さんと花梨さんはいよいよ今年の夏に結婚予定である。
2人は就職してわりとすぐ、一緒に暮らし始めていた。その頃は私たちもまだ東京にいたから、時々4人で会って近況を報告し合っていた。
夏目さんの愛のおかげで花梨さんがますます綺麗になったこともあってか、就職先で何やらまた一悶着あったらしい。
でも愛のおかげで進化した花梨さんは、「今度は返り討ちにしてやったわ」と得意げに話していた。
何をしたかは、怖くてちゃんと聞いてない。
2人の結婚式には、今度は私たちが招待されている。
「乙葉、ずっと立っててつらくないか?」
「大丈夫だよ。先輩は? つらくない?」
「こんな綺麗なお嫁さんが隣にいるのに、つらいわけないだろ」
先輩はあれからもずっと、蕩けるほどの愛情で私を甘やかし続けている。
だいぶ昔、先輩は「俺だけを見て俺だけに溺れさせたい」と言っていたけど、自分がとっくにそうなっていると気づいたのはいつだっただろう。
「ねえ、先輩は」
ふと聞いてみたくなって、私は先輩の耳元にそっと顔を近づけた。
「先輩は、私に溺れてる?」
答えを聞こうと見上げたら、真っ赤な顔で慌てて口元を押さえる先輩が見えて。
「当たり前だろ」と甘くつぶやく優しい声が聞こえた。
ブックマークありがとうございます!
無事に完結しました。
みなさまありがとうございました!




