60 可愛すぎてたまんない
それから。
海から帰ってきてすぐ2人はつき合うようになり、夏目さんもきちんと花梨さんを溺愛するようになった。
会えば口論ばかりしていた2人だったのに、今では夏目さんが優しい目で「花梨、こっちおいで」と言えば花梨さんが真っ赤になって隣に座るという光景が当たり前になっているらしい。
ちょっと、見たい。
いつだったか花梨さんに会ったとき、「初めてあの人より好きになれた人なの」とうれしそうに目を輝かせていたから、きっとこれからもっともっと幸せになってくれると思う。
その年の終わり頃には先輩たち3年生は就活に向けて忙しくなり、私が先輩の大学に遊びに行くことは減っていった。
代わりに私も自分の大学で過ごす時間が増え、週末に一緒に遊びに行くような親しい友だちもできた。
そうして東京での1年目が無事に終わり、2年生になっても変わらない先輩の愛情に溺れながら日々を過ごした。
2年生の後期の講義が終わり、春休みに入ってしばらく経った頃、久しぶりに先輩の研究室のメンバーで集まろうということになった。
久しぶりではあるけど、私がこの人たちに会えるのは多分今日が最後になる。
卒業を控え、それぞれがそれぞれの新たな生活に向けて動き出しつつあったから。
「そっか、乙葉ちゃんももう飲めるのねえ」
「あんまり飲ませんなよ。調子に乗ってガンガン飲みすぎて、あとが大変なんだから」
「え、でもこの前酔った乙葉ちゃんが可愛すぎてたまんない、みたいなこと言ってたよな?」
「夏目、お前も『酔っぱらった花梨が可愛すぎてキュン死するレベル』とか言ってたな」
私と花梨さんは思わず顔を見合わせる。
それなりに溺愛され歴を積んだ私にしてみれば先輩だったらそれくらい言うだろうなあくらいのものだけれど、花梨さんにとってはまだまだ刺激が強いらしく顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた。
それにしても、「高慢」で「性格が悪く」て「男好き」と評判だった人がこうも可愛くなるとは。愛の力は偉大である。
先輩以外はみんな、就職先が内定していた。
梓さんはすんなりと有名な一流企業の内定を決め、花梨さんと夏目さんもそれぞれ志望していた企業の内定をもらった。
意外だったのは大我さんで、地元で公務員になるらしい。あのチャラい人が公務員。意外すぎた。
先輩は、就職しない。何故か?
「まさか伊織が大学院に進むとは思わなかったけどな」
「伊織の行動基準がブレなさすぎて尊敬するわマジで」
「だってもう乙葉と離れたくないから」
1年生の後期が終わる頃、先輩から大学院進学の話を聞かされた。
晩ご飯を食べ終えてソファでまったりしていたら、妙に真面目な顔の先輩が隣に座ってきて「話があるんだけど」と切り出したのだ。
「早く就職して、生活を安定させて、結婚したいとも思ったんだけどさ。1年お前と一緒に過ごしてこの先また離ればなれとか考えられないし、やっぱり大学院に行くことにした」
「大学院?」
全くの想定外だった。
確かに、ほかの人たちが本格的な就職活動に突入する中、先輩だけが何だかのんびりしてるなあとは思っていたけれど。
「おばさんたちには言ったの?」
「もちろん。もう話してあるし、OKももらってる。もともと、大学に入る前から大学院にも行って勉強できたらなあとは思ってたんだよ。それにお前が東京に来ることになっても、先に俺が卒業しちゃえば一緒にいられるのは2年間だけで、また離ればなれになるだろ? いろいろ考えて、こうなることも見越して、とにかく金は必要だと思ったからバイトも始めたし」
「え、ほんとに就職しなくてもいいの? 私の卒業に合わせるってことでしょ?」
「そうだけどさ。でももうちょっとこの分野の勉強したいのも事実だし、俺にとっては一石二鳥ってとこだな。むしろ結婚が遅くなるだろうからさ、それでもいい?」
「私は先輩と一緒にいられるならどっちでもいいよ」
先輩は満足げに目を細めて、私の頬をさらさらと撫でてくれた。
ほかのみんなはもうすぐ卒業してそれぞれの新しい生活に向かって進んでいくけれど、私と先輩はもうしばらくこの生活が続きそうである。
「乙葉ちゃんもそろって全員で会えるのは多分今日が最後だし、みんなに言っておきたいことがあるんだけど」
それぞれがいいペースで酒も進み、笑い声が溢れ、宴たけなわというところで改まった夏目さんがみんなに声をかけた。
「俺たち、結婚することにしたんだ」
予想していたとはいえ、その言葉にみんな一斉に夏目さんと花梨さんの方を見る。
夏目さんは少し照れた様子で、花梨さんはみんなの視線が耐えられないのか曖昧な顔で笑っていた。
恥ずかしすぎて、どうしていいかわからないらしい。
「といっても、今すぐじゃないけどさ。お互い春からは社会人だし、このまま東京にいることにはなるけど、新しい環境にも慣れていかないといけないし、だからそのうちってことにはなると思うけど」
「おめでとう!よかったじゃない」
「よかったな」
「マジかー」
みんなが思い思いの祝福の言葉を贈る中、私は隣に座っていた花梨さんに視線を向けた。
「おめでとうございます、花梨さん」
「ありがとう、乙葉ちゃん。乙葉ちゃんの言った通りだったわね」
「え? 何が?」
「私のことをちゃんとわかって好きになってくれる人にきっと出会えるって、言ってくれたじゃない?」
そういえば、そんなこと言った気もする。
あのときは、それが夏目さんだとは微塵も思っていませんでしたが。
「私たちの結婚式には必ず呼ぶから。乙葉ちゃんたちの結婚式にも呼んでね」
花梨さんがこれ以上ないくらい幸せそうに微笑む。
思えば不思議な縁だった。初めてこの人と話したとき、こんな展開が待ち受けていようなんて誰が思っていただろう。
花梨さんの人生に、幸あれ。




