59 溺愛体質
「海だーーー!」
いちばん楽しみにしていた大我さんがはしゃぎながら海に飛び込む姿を目の端に捉えながら、私は優雅にパラソルの下に座っている。
先輩が買ってくれたかき氷を食べながら。
「乙葉ちゃんのかき氷、綺麗な色ね」
「ふふ、そうですか?」
梓さんも一緒に、パラソルの下でアイスティーを飲んでいる。
あの合宿の日から、10日ほどが経った。
何事もなかったとは言い切れない顛末を聞いて、私はつい「甲斐を八つ裂きにしてやる!」と荒ぶったりもしたけど、「お前じゃ八つ裂きにできないし返り討ちに遭うだけだよ」と先輩に冷静に突っ込まれて終わった。
まあ、私なんぞが何か出来るなんてはじめから思ってないけど。それだけ頭に来たということを言いたかったのよ。
すごく心配になったけど花梨さんに直接連絡するのは憚られて、私は先輩を通して梓さんとやり取りするようになった。
梓さんは花梨さんのいちばん近くにいて、花梨さんの心が少しずつ元気になっていくのをずっと見守っていた。そのやり取りの過程で、私の呼び方も「水無瀬さん」から「梓さん」に変わっていった。
「でもいちばんびっくりしたのはあれですね」
私はそう言って、トイレに行こうとして立ち上がった花梨さんを眺めた。
後ろから「いいからちょっと待てって」とか言いながら、夏目さんが急いで追いかけていく。
「先輩から聞いてはいたんですけど。ちょっと想像できなくて」
「実際に見てどう?」
「いや、信じられないというか、なんというか。人間って、ああも変わるんだなあと」
「ふふふ、そうよねえ」
何やら訳知り顔で、楽しそうに梓さんが笑う。
あの合宿のあと、夏目さんが率先して花梨さんのガード役というか「甲斐避け」役を買って出てくれたらしい。
一緒の講義のときはもちろん常に寄り添い、別々のときは教室まで送って行ったり、帰りも家まで送って行ったり。
「そこまでしなくても大丈夫」と気兼ねする花梨さんに、「お前の大丈夫は大丈夫じゃない」とか言ったりして。
なんか、めっちゃ聞き覚えのあるセリフなんだけど。
そのおかげもあってか、あれ以来甲斐さんの姿は全く目撃されていないそう。
情報通の大我さんによれば、合宿のときに逃げられた上、夏目さんが謎の宣戦布告をしたあとぴったりガードしていて隙がないから、諦めて別の女子に言い寄ってるとか何とか。その言い寄るの、何とかなんねえのかと思うけど。早く地獄に堕ちればいいのに、とか思ってしまう。
それにしても、夏目さんはただ「甲斐避け」として花梨さんにつき従っているわけではないらしい。
「はじめは罪悪感ていうか、責任感みたいなものがあったんだろうけど」
「いや、あれはさ、多分違うよ」
最初から私の横にずっといて、私と同じように同じ色のかき氷を食べながら黙って会話を聞いていた先輩が口を挟んだ。
「わりと早くから、自覚はあったんじゃないかな」
「そうなの?」
「正確にいつからかは知らんけどな。どちらかというと、俺はあいつも溺愛体質だったんだなってことに驚いてるけど」
そうなのだ。
夏目さんの充分すぎるほどの手厚いガードは、結局のところ花梨さんを溺愛するゆえなのだ。
だから四六時中、甲斐さんから守るためと言ってそばにいるらしい。
といっても、2人はまだつきあっているわけではない。夏目さんは告白したけど、花梨さんが「罪悪感でつき合ってくれなくてもいいから」と断ったみたい。
梓さん曰く、「花梨ちゃんは夏目くんの気持ちをまだ信用しきれてないのよね」とのこと。
「夏目くんは溺愛体質というよりツンデレ属性なのよ。いつまでも甲斐くんを言い訳にしてないで、藤野くんみたいに素直に愛でればいいものを」
「ツンデレなんですか?」
「そう。花梨ちゃんに対して『ツン』なんかいらないと思わない? お互い素直じゃないんだし、それだと衝突するだけじゃない。だから私、『花梨ちゃんがずっと好きだった人はすごく優しい人だったみたいよ』って教えてあげたの。その人に勝ちたいなら、ひたすら素直に優しくするのがいちばんの近道だと思うんだけど」
「え、夏目さん、なんて言ってたの?」
「真面目な顔して、『わかった』って言ってたけどね。でも下手よね。藤野くん、やり方教えてあげた方がいいかもよ」
「は? やり方?」
先輩が面食らって、むせた。ゲホゲホ咳き込むから、「大丈夫?」と言いながら背中をさすってあげる。
「私も買って来ちゃったー」
私たちとは違う色のかき氷を手にした花梨さんが、こぼれるような笑顔で戻ってきた。
後ろには当然のように夏目さんが張りついている。間近で見ると、ちょっと面白い。この構図。
「なんの話してたの?」
「夏目さんが意外にも溺愛体質だったという話です」
「ぶはっ」
変な声を上げる夏目さん。
強がりで、不器用で、でも誰よりもピュアな花梨さんを幸せにしてくれるなら、私も何も言わない。
しかし私の目は厳しいのです。溺愛され歴がそれなりに長いので。
「でも、まだまだ初心者、はっきり言って溺愛レベルは低いです。先輩を見習ってください」
「は?」
「例えばですね、今日花梨さんの水着を見て、何て言ってあげました? ちなみに先輩は一瞬絶句して、『俺の乙葉が世界一可愛い』と言ってくれました。しかも耳元で」
「おま、それ、言うなよ」
むせたダメージからまだ完全には回復しきってない先輩が、慌てて切れ切れの声を出す。
「夏目さんは何て言いました? 花梨さん」
「え、特に何も……」
みんなの目が信じられないというように見開き、期待を含んだ視線が一気に夏目さんに集まる。
「夏目さん、照れるとか恥ずかしいとか言ってる場合ですか? もしもあのとき、花梨さんが甲斐さんの毒牙にかかっていたらどうしてたんですか? なりふり構っていられる余裕なんかないと思いませんか?」
唐突な私の有無を言わさない猛攻に、梓さんは吹き出すのを抑えながら小さく拍手をし、いつの間にか戻ってきていた大我さんと先輩はお互い目配せしながら面白そうに笑い、夏目さんと花梨さんは2人とも同じように顔を真っ赤にしている。
耳まで真っ赤になった夏目さんは、「ば、な、なんだよ…!」などと逃げ場を求める必死な目をしてあちこち見回していたけど、最後には諦めたように項垂れた。
「わかったよ。みんなの前で言うのは恥ずかしいから、花梨にだけ言うよ」
そう言って、花梨さんの耳元に手を当てて何かささやいた。
花梨さんも耳まで真っ赤になったのは、言うまでもない。
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