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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
卒業後

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side伊織 ⑪

 宴会が一旦お開きになって、3人ともひどく疲れた顔で部屋に戻ってきた。


 スマホを確認した夏目が「水無瀬からLINE来てるから電話していいか?」と言うから、俺と大我は固唾を飲んでそのやり取りの成り行きを見守る。


「早乙女が落ち着いたから、自分でちゃんと話したいって。こっち来るって言ってるけどいいよな」

「あ、ああ、いいけど」


 しばらくすると、早乙女と水無瀬が緊張した様子で遠慮がちに部屋に入ってきた。

 俺たちは何となく気を遣って、少し距離を取って座った。



「あの、さっきはほんとにありがとう。見つけてくれて」


 早乙女の声はもう震えていなかった。でも、いつものような元気はない。勢いもない。


「む、無理してしゃべらなくてもいいんだよ」


 早乙女の顔色をうかがいながら、恐る恐るといった様子で大我が声をかける。

 早乙女は「大丈夫」と微笑んで、


「あのね、結果から言うと大したことはなかったの。だからそれをみんなにちゃんと言いたくて」


 と何があったのかを話し出した。



「梓とトイレに行って、先に外に出たら甲斐くんがいたの。多分、私たちがトイレに行ったのを見てついてきたんだと思うのよ。そこで『この前のことだけど』って言われて……あ、この前待ち伏せされてたことは、梓からもう聞いたのよね?」

「え、俺聞いてない」


 大我が「待ち伏せ」という言葉の深刻さにドン引きしている。


「あ、そうなんだ。この前ね、帰り際に待ち伏せされて『つきあって』って言われたんだけど、断ったのよ。でも『なんでダメなんだ?』とか『試しにつきあってみようよ』とか『いいじゃん1回くらい』とかしつこくて。梓がたまたま来たから、逃げられたんだけど……。それで、さっきも『考え直して』とか『俺の部屋に行こうよ』とかやっぱりしつこくて……断って逃げようとしたら『今更もったいぶるなよ』って腕を掴まれて」


 早乙女は無意識なのか、左腕を右手で押さえた。


「びっくりして、振り切って逃げたの。会場に戻りたかったんだけど、甲斐くんが目の前にいたから反対方向に逃げるしかなくて。走って逃げたら、さっきの部屋を見つけて、鍵がかかってなかったからほとぼりが冷めるまで隠れようと思ってた」


 「ね、大したことないでしょ?」と笑う早乙女を、誰も笑うことなんかできなかった。


「みんなのおかげで、何もなかったから。ほんとに、ありがとう。せっかくの飲み会だったのに振り回してごめんね」

「大したことないなんて言うな」


 突然、怖いくらいの怒りと苛立ちを乗せた夏目の声が響いた。


「大したことなくないだろ? 怖かったんだろ? あいつがヤバいやつだって、俺知ってたんだ。でもほんとかどうかわかんないからって高を括って油断してた。お前がこんな目に遭ったのは俺のせいだ。ごめん」

「夏目くんのせいじゃないよ。それに、見つけてくれたじゃない? 探してくれて、うれしかった」

「当たり前だろ。もう絶対、あいつのこと近づけさせないから」


 予想以上に真剣な表情の夏目の声は、少し掠れていた。


 それから「ありがとう」と「大丈夫」を何度も繰り返して、早乙女と水無瀬は自分たちの部屋に戻って行った。




「あいつ、やっぱりヤバかったんだな」


 大我が備え付けのベッドに横たわり、天井を見ながら独り言のようにぼそりとつぶやく。


「夏目が言ってたのって、高校の頃の話だろ? ストーカーしてたとかいう」

「ああ。お前も知ってたのか?」

「聞いたことはある。一つ年下の元カノと別れたあとつけ回したり待ち伏せしたりしてたって」

「え、俺、同じクラスの子って聞いた」


 3人とも、無言になる。

 多分、今考えてることはみんな同じだ。


 俺たちは3人同時に盛大なため息をついた。


「その話は知ってたけどほんとかどうかわからないっていうか、あんまり本気にしてなかったんだよな。早乙女のことがあったから鵜呑みにしないようにしようって思ってたのもあるし」

「鵜呑みにはできないけど、無視もできないってことなのかな。火のないところに煙は立たないって言うし」

「それにさ、俺正直言って、早乙女だったら大丈夫じゃね? って、俺たちが何とかしなくても自分で何とかできるだろって思ってたんだよ。あいつ、強いじゃん。だからさ、甲斐のこと蹴散らすくらい何ともないだろって」


 大我の言葉に、俺たちは押し黙った。


 早乙女が思っていたより嫌なやつじゃないと知ったとはいえ、これまで自分たちが抱いてきたあいつのイメージはそう簡単に覆ったりしない。

 高飛車で、勝ち気で、男慣れしている早乙女なら大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたことを痛感させられる。


「なんで俺、あいつが強がってるって気づいてやれなかったんだろう」


 夏目の呻くような言葉の余韻が、部屋にいつまでも残っていた。




 次の日、早乙女は少し元気を取り戻した様子で現れた。

 一晩寝たら、だいぶ気持ちも落ち着いたらしいと水無瀬が教えてくれた。


 午前中はそれぞれのゼミの4年生の発表を聞く会が催され、毎年恒例の合宿は昼過ぎに解散になった。



「あれ? 夏目くんは?」


 夏目の不在に気づいた水無瀬の声に、俺と大我は首を傾げる。

 しばらく4人で待っていると、顔を紅潮させた夏目が走って戻ってきた。


「どこ行ってたんだ?」

「ちょっと落とし前つけてきた」

「は?」

「甲斐に会ってきた。いい加減にしろって言ってきた」

「なんだそれ」


 呆気にとられる大我の声に、みんなが頷く。早乙女だけは、表情を強張らせた。


「早乙女につきまとうのも待ち伏せするのもやめろって言ったらなんだかいろいろ言い返されたけど、『うるせえ、もうお前の好きにはさせねえからな』って言ってやった」


 ちょっと誇らしげに胸を張る夏目を見て、なんでお前が甲斐に宣戦布告してるんだ? とは思ったが。



 俺は帰るのが実はちょっとだけ憂鬱だった。


 帰ったら、この合宿の顛末を乙葉に話さなければならない。

 結果として大きな被害を免れたとはいえ早乙女が怖い思いをしたことは否定できず、乙葉はきっと、怒るだろう。


 「阻止してって言ったのに!」と可愛く怒る乙葉を想像して、俺は早く帰りたいような帰りたくないような、複雑な気分になった。



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