side伊織 ⑩
「体目当てってなんだよ」
夏目の表情に、珍しく苛立ちの色が走る。
「今までも飲み会のあとで甲斐くんに言い寄られて持ち帰られて、そのあとつきあったはいいけどすぐ捨てられる、みたいな子が何人もいたのよ。花梨ちゃんにも何度もLINEが来ててあからさまな誘いもあったんだけど、それだけじゃないの。一度、帰りに待ち伏せされて、告白されて、断ったけどしつこくて、たまたま私が見つけたから逃げられたけど」
「ちょっと待て。そんな話、全然してなかっただろ」
「花梨ちゃんが言わないでって言うから。ただでさえみんなに迷惑かけてるのにこれ以上はって」
俺と夏目は思わず息を呑んだ。
俺たちが、心の中では自業自得だ、それくらい自分で何とかできるだろなどと半ばめんどくさがっていたことを、早乙女は見透かしていたんじゃないか?
「やばい。探そう」
水無瀬がもう一度早乙女に電話をかけている間に、夏目は能天気に知らない女子たちと浮かれていた大我を会場の外に連れ出した。
早乙女がやはり電話に出ないことを確認した俺たちは、水無瀬と大我、夏目と俺で二手に分かれて合宿所の中を探すことにした。
「部屋に連れ込まれてたら終わりだな」
「縁起でもないこと言うなよ。それにそれ、犯罪だろ」
「でも俺、前にちょっと聞いたことあるんだよ」
先を急ぐ夏目が、無表情に近いほどの強張った顔になる。
「甲斐って、高校のときにも同じクラスの子のことつけ回したりちょっとストーカーっぽいことしてたって」
「は? なんでそれ早く言わないんだよ」
「いや、だってほんとかどうかわからないだろ? 噂を鵜呑みにするのはよくないって、俺たち早乙女のことで思い知ったじゃねえか」
焦りすぎて動揺しすぎて、夏目の口調が柄にもなく荒れている。
そりゃそうだ。鵜呑みにしてはいけないと自分たちを戒めたのに、それがまさか裏目に出るなんて。
急ぎ足で移動しながら、何度か早乙女に電話をかけるが一向につながらない。
どこに行ったんだ?
無事なのか?
何かの被害に遭ってないか?
俺の心臓はバクバクと嫌な音を立て続けている。
と、そのとき。
「ちょっと待て」
夏目が急に立ち止まった。
「なんだよ」
「冷静になろう」
「は?」
「早乙女と水無瀬はトイレに行ったんだよな? 早乙女が先に出たとして、入り口で水無瀬のこと待つよな? あんだけ言われてたんだし、一人で会場に戻ったりしないよな?」
「あ? ああ、そうだろうな」
「じゃあ、甲斐が接触したのはトイレの前だろうな。待ち伏せしてたのかもな。チャンスとばかりに接触したとして、そのあとどうなる? 騒ぎになったら大変だし、無理やり連れ去るなんてできなくないか?」
「早乙女が抵抗しなければな」
「いや、抵抗するだろ。あんだけ嫌がってたんだし。黙ってついて行くなんてないだろ」
言いながら、夏目は今来た道を戻り始めた。
「どこ行くんだよ?」
「戻るんだよ。伊織、早乙女に電話して」
「え?」
「早く!」
一見冷静ではあるが張り詰めた様子の夏目の気迫に押されて、俺は速足で歩きながらもう一度電話をかける。やはり出る気配はない。
トイレの前まで戻ってくると、夏目はあちこちうろうろしながら「こっちから来たとしたら」とか「でもこっちに逃げれば」とかぶつぶつ言っている。
それからまた、さっき行きかけた方向に速足で歩き出して角を曲がり、しばらく行ったところでさっきは通り過ぎた「管理室」と書かれた部屋のドアの前に立った。
ドアを開けずに中の様子をうかがう夏目に、小声で尋ねる。
「ここにいるのか?」
「わからん。でも、もしかしたら」
夏目は硬い表情で息を潜め、ゆっくりとドアノブに手をかける。
カチャリと冷たい音がして、ドアを開けた。
2人で勢いよく中に入って「早乙女!」と呼ぶと、部屋の隅にしゃがんで小さくなっている早乙女が顔を上げるのが見えた。
俺たちの顔を見てちょっと驚いて、それから少しだけ表情を緩めた。涙ぐんだようにも見えた。
「早乙女、大丈夫か? なんもされてないか?」
「大丈夫。よくわかったね、ここ」
必死に笑顔を作ろうとする早乙女に夏目が手を伸ばそうとして、でも途中で止める。
早乙女の声が、震えている。
「なんか、されたんだろ? だから逃げたんだろ」
早乙女は途端に顔を歪めて、でも何度も首を横に振る。
俺はひとまず早乙女が見つかったことを伝えようと大我に電話をかけた。
水無瀬も一緒にすぐこっちに向かってると話すと、早乙女は心から安心したような顔をして、大きく息を吐いた。
「早乙女、ごめんな。でももう大丈夫だから」
「……うん。ありがとう」
「俺に触られるの、嫌だろ? 水無瀬が来るまで待てるか?」
「大丈夫。あの、夏目くん」
「うん?」
「あの、腕だけ、貸してくれる? 立てなくて……」
「あ? あ、ああ」
夏目の出した左腕を、早乙女の右手が掴む。
何とか立ち上がって一息ついた様子を見せたけど、その右手がわずかに震えていたのを俺も夏目も見逃さなかった。
そのあとすぐ大我たちも来て、俺たちは一旦その部屋から出た。
早乙女は気分が悪くなったことにして先に水無瀬と部屋に行かせ、俺たち3人は何事もなかったかのように宴会の会場に戻ることにした。
誰一人、言葉を発しなかった。
何があったかはわからないけど、早乙女の震える右手が脳裏に焼きついて離れない。
甲斐の監視という役割から逃れようとしていた大我でさえ、思い詰めた表情をしていた。
俺たちはまた、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないだろうか。
これくらいのこと、どうせ大したことにはならないと勝手に高を括って、結果的に早乙女を傷つける事態を招いてしまったんじゃないのか?
そのあと俺たちは教授や4年生に勧められるままにどんどん酒を煽ったけど、いくら飲んでも全く酔えなかった。
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