57 本当のこと
「この際だから、乙葉ちゃんにも本当のこと話したら?」
「本当のことって、そんな大したことじゃ」
「だから、そういうところよ」
水無瀬さんは、早乙女さんを気遣いながらも明らかに不満そうな目つきをした。
「花梨ちゃんがちゃんと言わないからよ。だから変な噂が広がって、誤解されたり悪く言われたりするんじゃない」
「いちいち弁解して歩いてたらキリがないでしょ。言いたいやつには言わせておけばいいのよ」
「もう。そういう男気は見せなくてもいいの」
「あの」
あまりの話の見えなさとそこはかとない疎外感に我慢ができなくなって、ついお姉さま方の会話を遮ってしまった。
「一体、どういう……?」
水無瀬さんの「ほら」という表情に、早乙女さんは渋々といった様子で「本当のこと」を話し始めた。
「入学してわりとすぐにね、同じ学科の甲斐くんって人に告白されたの。ほら、私ってこういう見た目じゃない? だから良くも悪くも言い寄られることが多くてね。でも甲斐くんのことはよく知らなかったし、あんまりいいイメージもなかったから断ったのよ。そしたら、そのあとで実は小泉さんが甲斐くんのこと好きだって知って」
「え?」
「小泉さんが私を目の敵にするのも仕方がないかなって思うんだけどね。それに私、確かに男をとっかえひっかえしてると言われてもおかしくないことしてるし。あ、でも、二股かけたりとかワンナイトとかはないわよ。ちゃんと好きになろうとしたし、好きだと思ったからつきあったわけだし」
「はあ」
「でもやっぱりそういうのは目に余るというか気に障る人も多いみたいで、いろいろ悪く言われるようになっちゃって。あのときだってほんとに藤野くんのこと好きになれそうだったのよ。スマホ持ち出したことは弁解のしようがないけど」
「で、それを小泉さんが鬼の首を取ったように言いふらして歩いてたのよ」
「甲斐くんって人を取られた腹いせにですか? でも、だとしても逆恨みなんじゃ……」
「まあね。スマホのことは花梨ちゃんが悪いと思うけど、そのこともあってここぞとばかりに花梨ちゃんのこと悪く言う人が増えちゃって。私だってずっと誤解したままだったけど、同じゼミになって少し話すようになったらなんか噂と違うなって思うようになったの。それに、この前夏目くんの家に行ったときも」
言われて私はピンと来た。
「水無瀬さんをかばったことですか?」
「そう。乙葉ちゃんも気づいてた?」
「はい。人のせいにしないし言い訳もしない、潔い人だなって」
「そうなの。そこがね、花梨ちゃんのいいところでもあり、ダメなところでもあるのよ」
「ダメって何よ、もう」
早乙女さんは眉尻を下げながらふふ、と小さく笑う。
小泉さんという人は、大我さんほどではないにしても知り合いが多い上に相当腹黒い人だったようで、自分の友だちも巻き込んで大っぴらに早乙女さんの悪口を吹聴していたらしい。
早乙女さんは気づいてはいたものの生来の男気もあり放っておいたことで、かえって悪評まみれのまずい状況になっているようだった。
「小泉さんのこと、なんか胡散臭いなって薄々気づいてる人も多いのよ。だからこの前のことがあったあと、私も思い切って花梨ちゃんに聞いてみたの。そしたら噂になってることと事実はだいぶ違うじゃない」
「そうでもないわよ。男漁り、はまあ事実よ」
「そこは否定しないんですか?」
「そうね、『いい人』を探してるのは事実だもの。でもなかなか見つからないの。私ね、小さい頃からずっと好きな人がいたのよ」
思いもよらない早乙女さんの告白に不意を突かれ、完全に呆気にとられた。
水無瀬さんも同じように驚いて目を見開いているところを見ると、どうもこの話は初耳らしい。
「私、年の離れた兄がいるの。その友だちでしょっちゅう家にも来ていた人がずっと好きだったのよ。もう小学生くらいから? でもその人、私が高2のときに急に結婚しちゃったの。告白したこともないし、向こうは私のことそんなふうに見てないことはわかってたんだけど、なんかすごくショックでね。しかもできちゃった婚だったから、なんかこう、結局男の人ってそうなのかって、軽く失望しちゃったのよね。それなら自分もいい人見つけてやるって躍起になってるんだけど、なかなかね。あの人より好きになれる人がいなくて」
力なく笑うその表情には、諦めや悲しみややるせなさといったいろんな感情が透けて見えて、私は何も言えなくなった。
「藤野くん、あの人にちょっと似てたのよ。だからもしかしたらって思ったんだけど、もう全然、取りつく島もなかったわね」
「どんな人だったの? その人」
「優しい人だったわよ。目が悪いせいでちょっと目つきも悪かったけど、笑うとね、すごく優しい笑い方する人だった」
「ねえ、花梨ちゃんさ」
水無瀬さんが一旦視線を落としてから、神妙な顔つきで口を開く。
「こうやって私と話してるときはすごく素直で可愛いのに、どうしてほかの人たちの前ではいつも妙に悪ぶってるの?」
「そうかしら。誰にでも愛想は悪いと思うけど」
「そんなことないよ。小泉さんたちのせいで、ずっと一人でいたからでしょ。だから意地張って、強がって、みんなが思ってるイメージ通りに振る舞おうとしてるんじゃない? みんなあの人たちの流した噂に踊らされて本当のことなんて知ろうともしなかったし、私だって当然悪かったとは思うけどさ」
私も思わず、うんうんと力強く頷いた。
先輩たちから聞く早乙女さんの噂はいつもむき出しの悪意に満ちていて、しかもそれを誰もが信じて疑わなかった。
その上、見た目が派手めでちょっと攻めたビジュアルも「遊んでそう」とか「男慣れしてそう」みたいな偏見を生んでいたのかもしれない。
でも本当の早乙女さんは、誰よりも純粋な想いに囚われ続ける、ちょっと強がりで不器用なだけの普通の人なのだろう。
あと、人との間合いを詰めるのがうまいし相談事には真摯に向き合ってくれるし、あれ、普通に考えたらコミュ力の高い優しいお姉さまじゃない?
もしかしたら、早乙女さんの悪事はあのスマホの一件だけで、あとは全部ウソや誤解なのかもしれない。だとしたら、思い込みや先入観で全てを判断していたことに罪悪感すら抱いてしまう。
「素直、じゃないわよ。つい意地張って、必死になって言い返しちゃって可愛げがないのよね。だからつきあってもうまくいかないし、長く続かないし。見た目だけで寄ってくる男は、そもそもろくなのがいないしね」
「あの」
まるで自分自身に呆れているような、複雑な表情で中途半端に笑う早乙女さんに私は言った。
「きっと、そういう早乙女さんのことをちゃんとわかって好きになってくれる人に出会えると思うんです。私や水無瀬さんは、少なくとも、もう早乙女さんのことが好きですよ」
真顔で何度も頷く水無瀬さんを見ておかしそうに顔をほころばせながら、早乙女さんは「乙葉ちゃんはほんと素直でうらやましい」と弱々しくつぶやいた。
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