52 もう、いいよ
第一志望の学部・学科がはっきり決まるとこんなにもやる気が漲るのかというくらい、それからも私は勉強に明け暮れた。
私に感化された瑠々や桐生くんも一緒になって必死に勉強して、年末年始も先輩の家に集まってみんなで勉強して、本番ではそれぞれがそれぞれの実力を出し切った。
卒業式の朝。
起きてすぐ、先輩からの「卒業おめでとう」というLINEに気づいた。
不意に、今日までの3年間が頭の中に浮かんでは消えていく。
入学式の次の日、昂ちゃんに雅さんを紹介されたことでその先の高校生活に軽く絶望した私が、文化祭実行委員で先輩に出会い、瑠々や桐生くんと知り合い、数馬くんとも友だちになって、おばさんや先生やたくさんの大人たちに支えられ、恋を知り、愛されて、笑ったり泣いたりしながら幸せな高校生活を送ることになるなんて、想像もしなかった。
いろいろあったけど、この高校を選んでよかった。
それだけは、自信を持って言える。
そして、今。
私は先輩と並んで、地下鉄に乗っている。
そう。
望月乙葉、無事大学に合格しました!
ギリギリ引っかかった感は否めないものの、合格を報告したら若ちゃんが号泣していたので良しとしたい。
引っ越しやそれに伴ういろんな手続きに関しては先輩が率先して助言してくれたこともあって、お母さんはもうすっかり先輩を頼りにしまくっている。
いつのまにか、「伊織くん」呼びである。
私より定着している。ずるい。
瑠々は、隣県の有名大学の心理学科に合格した。昴ちゃんたちと同じ大学である。
念願が叶ったとはいえ数馬くんと離れることをやっぱり寂しがってはいたけど、
「ちゃんと勉強して、数馬くんの役に立てる人間になって帰ってくる」
と密かに宣言していた。
ちなみに、それを数馬くん本人には話していない。
結局告白はせずに旅立ったのが潔いというかなんというか、瑠々らしい。
「どうせ隣の県だし、またちょくちょく来るから」と言って。
桐生くんは、最終的に地元の大学の教育学部に合格した。
地元の大学にしたのは、詰まるところ椎名さんがいるからだったようだ。
あの2人、みんなが受験勉強でHPを削られている間にちゃっかりつきあい始めていたらしい。
ちなみに、それも最初は教えてくれなくて、少し経ってから椎名さんが報告に来てくれて発覚した。
瑠々の逆鱗に触れたことは言うまでもない。
桐生くんは「みんな受験勉強でそれどころじゃないと思って」と言い訳していたけど、数馬くんに「俺は受験勉強してないよ?」と突っ込まれ、取り乱してコーヒーをこぼしていた。
桐生くんが地元に残ることになったので、数馬くんは少し安心したようだった。
でも私はともかく、瑠々まで他県の大学に進学するなんて想定外だったらしい。
「瑠々ちゃんまでいなくなるなんて」とはじめはかなり落ち込んでいたから、これはもしかして、と俄かに興奮したのだけど。
「忍と一緒に、瑠々ちゃんが帰ってくるの待ってるから」
数馬くんがいつも以上ににこやかな顔で言うもんだから、瑠々は見るからにがっかりして、それからしょうがないなとばかりに苦笑していた。
みんながみんな、それぞれの春を迎え、新しい一歩を踏み出している。
私は、なんと奇跡的に先輩の住むマンションの向かいの部屋に入居することができた。
本当に奇跡的だったけど、最後までお父さんは眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をしていた。
引っ越し作業も一段落し、手伝いに来てくれていたお母さんを東京駅まで見送ったあと、私は複雑な鉄道路線の洗礼を受けるべく先輩に手を引かれて地下鉄に乗っていた。
歩いているときも、地下鉄の中でも、ずっと手をつないでいられる安心感。
見上げると、すぐ先輩の顔を見つめられる距離。
ずっとずっと、待ち焦がれていた先輩の隣という位置。
こんなに幸せなことがあっていいのかしらと思わずにはいられない。
「乙葉、おばさんも帰ったし今日から一人暮らしだけど大丈夫そう?」
「大丈夫そうって、何が?」
「1人で寝れるか? 寂しくないか?」
ちょっと茶化すような軽い笑みを浮かべる先輩に、私は思わず抗議めいた声を上げた。
「え? これから先輩の家に行くんじゃないの? 東京に来たら思う存分いちゃいちゃするって言ってたのに」
私の言葉に先輩はギョッとした顔をして辺りを見回し、まわりに聞かれてないか確かめ、大丈夫そうなのを確認すると顔を近づけてひそひそと言った。
「お前、そういうことここで言うなよ」
「だって1人で寝れるかって聞くから」
「だから! 今言うな今!」
先輩はあまり見たことがないくらい真っ赤になって、つないでない方の手で口を押さえている。
「状況を考えろよ。俺が必死で我慢してるのを」
「いいよ、もう」
なんだか、とても穏やかな気持ちだった。
とても穏やかで、満ち足りていて、これ以上なくこの人が愛しくて、そしてもっと、近づきたい。
「前に、言ったじゃない? 『愛』がわかったら好きにしていいよって。もう多分、ずっと前からわかってたから」
「え?」
「だからもう、いいよ」
少し恥ずかしくなってふふ、と笑ったら、先輩は瞬きもせずに私を凝視して、それからとても真剣な顔になった。
「ほんとに? 無理してない?」
「してない」
「ほんとにいいの?」
「いいよ」
先輩は真剣な表情のまま、つないでいた手に少し力を込めて「わかった」とつぶやいた。
それから、私たちは今までとは比べ物にならないくらい、甘くて、恥ずかしくて、必死で、でも幸せな夜を過ごした。
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