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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
3年生

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51 この学科を

 夏休みが終わって、私は真っ先に若ちゃんのところへ向かった。


 進路指導室にいた若ちゃんに神田女子大を目指すと宣言すると、これ以上ないというくらい目を丸くして、でも食い入るように私の顔を見たあと何かを察したらしい。


「どこの学部を狙うにしても点数が足りないんだから、これから死ぬ気で勉強しないと」


 途端に先生の顔になって、あれこれと的確なアドバイスをくれた。




 夏休み中ずっとこっちにいてくれた先輩は、私の勉強にもつきあってくれた。


 ほぼ毎日会っていたけど、場所は図書館か先輩の部屋。

 図書館はともかく、先輩の部屋に行ったら少しは休んだりいちゃいちゃしたりできるのかと思いきや、「お前がこれで本当に神田女子大に入ったら、俺の株も上がるからな」と有無を言わさず勉強させられる始末。


 現実って、厳しい。


 でも、先輩のスパルタ式熱血指導に時々泣き言をこぼしてみると、「ったく。今日だけだからな」と言って思いのほか頻繁に甘やかしてくれたから、やっぱり先輩は優しいし、それでがんばれたとも言える。



 しかも、


「ここでがんばって来年東京に来れたら、思う存分いちゃいちゃできるんだからな。そしたら、覚悟しろよ」


 といつも以上に蕩けそうな声でささやかれてしまい、私のHPがゼロになりそうだった。





 両親とは、少し会話が増えた気がする。


 先輩が家に来てからというもの、お母さんは事あるごとに先輩の話を聞きたがった。一方で、お父さんは苦虫を嚙み潰したような顔をしながらそれを全力で阻止しようとする。

 その攻防戦にわりとしょっちゅう巻き込まれている。


 ただ、私も親に彼氏の話をいろいろ聞かれるのは困るというか恥ずかしいこともあるから、自室に逃げることも多いけど。


 でもあの人たちはあの人たちなりに、私との向き合い方というものを考えてくれているように思う。


 あと、何がきっかけでどうやったのかは知らないけど、うちのお母さんと先輩のお母さんがいつのまにか連絡先を交換していたのには驚いた。





「さて、望月さん」


 私の点数は一向に上がる気配のないまま、秋が深まりつつあった。


「点数のことですか?」


 呼び出された進路指導室で、若ちゃんは腕を組みながら渋い顔をしている。


「点数はね、まだしょうがないから。死にものぐるいでやったとしても本気出し始めたの夏なんだから、結果に結びつくまでもう少しかかるものよ。それより、そろそろ学部・学科を決めた方がいいと思うわけ」

「あー」


 そうだった。

 死ぬ気で毎日がんばってはいるけど点数がちっとも上がらないもんだから、学部や学科のことを考えるとこまで行ってなかった。


「学部や学科で対策も変わるから、ある程度もう絞らないと。決めちゃった方が、覚悟が決まってますます勉強に身が入るかもよ」


 そう言いながら、PCの画面を見せてくれる。


「もう何度か見てるとは思うけどね。狙うとしたら、このあたりかなと」


 そこには、神田女子大の学部・学科ごとの特徴や目指す人間像、カリキュラムなんかが結構詳しく説明されていた。

 確かにこれまでも何度かこのサイトは見ていたし、ある程度読み込んだつもりだったけど、改めてじっくり眺めてみる。




 ん?




 突然、大学の学科紹介にはだいぶ不釣り合いな印象の「子ども」という文字が目に飛び込んできた。


 前に見たときには単純に見落としたのか、興味がなくてすっ飛ばしたのか全く記憶にないけど、何故かこの「子ども」という文字がすーっと自分の中に入ってきて、すとんと落ちた。


 同じところをあまりにもずっと凝視するものだから、若ちゃんが不審な表情で画面を覗き込む。


「ん? 子ども学科? あー、子どものことをいろいろ勉強する学科みたいね。ここは附属の幼稚園や小学校もあるし、実習が盛んなのも売りなんだろうね。将来はそっち方面の教員になる人が多いようだし」


 「気になるの?」と聞かれて、私は曖昧に頷いた。




 頭の中で、子どもの頃の自分のイメージが広がっていく。



 昂ちゃんたちの家の片隅で、1人で静かに絵本を読んでいる自分。


 昂ちゃんと悠ちゃんが来て手を引かれ、あちこち連れ回され、遊び倒して笑い転げる自分。


 橘のおばさんとキッチンに立って、慣れない手つきながらも一生懸命ケーキ作りを手伝った自分。



 寂しかった子ども時代を、鮮やかに彩ってくれた人たちがいた。


 彼らの存在は暗い水底に沈む一人ぼっちの私を救い出し、そのまま手を引いて日の光が差す道へと連れ出した。

 そして私は、その先に続く陽の当たる道を歩むことができている。



 人は、きっとそうやって、空白を埋め、不足を満たし、失ったものや手に入らなかったものを補いながら「与えられなかった」過去と向き合い生きていくのだとしたら。



 私もいつか、子どもたちの手を引いて陽の当たる場所に連れ出す存在になりたい。



「先生」


 私はゆっくりと顔を上げた。


 校庭の端に一本だけある大きな銀杏の木が、色づき始めている。


「私、この学科を受けます」


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