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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
3年生

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49 諦めるのか?

「お前が家に帰るとき、俺も一緒に行くよ」


 幸せすぎて先輩の腕の中の心地よさにふとまどろみそうになった瞬間、何の前触れもなく言われて思わず顔を上げた。


「え、なんで?」

「お前の親を説得するんだよ。説得もしないで諦めるわけにはいかないだろ」

「無理だよ。聞く耳持ってないもん、あの人。東京はダメだの一点張りなんだから」

「だからって、諦めるのか? 俺は嫌だよ。お前が東京に来たら前みたいに思う存分いちゃいちゃできると思っていろいろ我慢してきたのにさ。その日を夢見てここまでがんばってきたのに」


 いちゃいちゃ。

 ここに来て、とんでもないパワーワードが聞こえた気がする。


「1人で説得できないなら2人でやればいいだろ。それでダメなら、次の手を考えるまでだ」


 先輩の言葉は格好いいけど、動機は限りなく不純だ。





 夕方、両親の帰宅時間を見計らって先輩と一緒に家に帰った。


 先輩の家を出る前におばさんが帰ってきて、私たちの話を聞くと「私も行かなくていい?」とついてこようとしたのには笑ったけど。

 瑠々たちも笑って送り出してくれた。




 家の前に着くと、どうしても顔が強張ってしまう。


 私の緊張を察したのか、先輩が一瞬だけつないでいた手をギュッと握る。

 見上げると、先輩が「大丈夫。俺に任せろ」と笑ったから、昨日のおばさんを思い出してやっぱり親子なんだな、と少しおかしくなった。



 帰る前にお母さんには連絡しておいたせいか、家の中に入るとすぐさま飛んできた。


「はじめまして。藤野伊織です。乙葉さんとおつきあいさせてもらってます」


 先輩が堂々とにこやかに挨拶する。


 お母さんは「あ、はじめまして」とか「いつもどうも」とか最初はしどろもどろになっていたけど、


「昨日はありがとうございます。娘がそちらに泊めていただいたようで」

「そうみたいですね。俺も今朝帰ってきたらみんながいて驚きました」

「みんな?」

「ああ、何人か一緒に泊まったみたいです。うちの母親、そういうのが好きなもんで。突然巻き込んでしまってすみません」


 いつのまにか、とても和やかな雰囲気になっている。


 先輩の社交性というか、コミュ力がすごい、と感心する暇もなくリビングに到着してドアを開けると、まるで魔王かというオーラのお父さんが座っていた。


 後ろ姿からもわかる、漂う殺気。


 圧倒的な恐怖に足がすくみそうになった私に気づいたのか、先輩が私の背中にそっと触れる。

 思わず先輩を見ると、張り詰めた空気の中で一瞬だけ私を見て微笑んでくれた。


 「大丈夫」と言われた気がした。

 だから私も、大丈夫な気がしてきた。



 お父さんの前に座った先輩はさっきと同じように「はじめまして」と挨拶をしたあと、単刀直入に切り出した。


「今日は、乙葉さんの東京行きを許していただきたくて伺いました」


 お父さんは微動だにせず、「何故君が?」とだけ返す。もう明らかに不機嫌、控えめに言っても激怒しているのがわかる。


「乙葉さんとは、2年ほど前からおつきあいしています。俺は今、東京の蒼海学院大の2年です。乙葉さんに東京の大学に進学してほしいと言ったのは俺です。一緒にいたいから、そう言いました」


 先輩は静かな口調で淡々と、でも必要なことだけを話し続ける。


「東京に行くことに関してはいろいろと心配されるお気持ちがあるとは思いますが、許してもらえないでしょうか? 俺に任せてほしいんです。責任は、取ります」

「責任?」

「乙葉さんと結婚します」


 これにはさすがの魔王も盛大に顔を歪ませた。


「何を言ってるんだ。20歳そこそこで、しかもまだ学生のくせにそんな」

「年は関係ありません。結婚も今すぐというわけではありません。でも、俺には乙葉しかいないので」

「君は自分が何を言っているのかわかっているのか? 直情的で後先考えないのは結構なことだが、あとで気が変わって後悔するのは目に見えている。軽々しくそんなことを言うのも乙葉を巻き込むのもやめてもらいたい」

「確かに、今の時点で絶対に後悔しないとは言い切れませんけど、でも後悔はしませんし気が変わることもありません。もちろん、軽い気持ちで言ってるわけじゃないです」

「君は若いからそんなことが言えるんだよ。今は気持ちが高ぶってそれが永遠に変わらないもののように思えるだけで、時が経てば必ず気持ちなど変わっていくものだ」

「じゃあ、時が経っても気持ちが変わらないということを、これからの時間の中で証明していきます。証明していく時間を俺に下さい」

「そんなものは必要ない。正直、君がどうしようと関係ないし、乙葉を東京に行かせるつもりもない」

「何故ですか?」


 どんなに苛烈な攻撃を返されても、先輩は怯むことなく果敢に魔王に食らいつく。

 一方の魔王はストレートに反撃されて、少し気圧されたように見えた。


「乙葉は大事な娘だ。1人で遠くへやることなどできない」

「今まで、放っておいたのに?」


 先輩の言葉に、魔王は激昂して勢いよく立ち上がった。


「君は、何を言ってるんだ!? 放っておいてなどいない! 大事に育ててきたつもりだ。何も知らない君に何がわかる?」


 「何も知らなくはないんですけどね」とさらりとつぶやいて、先輩は穏やかに答えた。


「大事に育ててきたとおっしゃるなら、乙葉本人の願いをちゃんと聞いてあげてください。大事にするって、そういうことじゃないんですか? 自分の勝手な思い込みやエゴで都合よく扱うことではないはずです」

「君は……!」


 昨日と同じように魔王の右手が高く上がった瞬間だった。


「お父さん!」


 それまで一言も発していなかったお母さんの意外なほど低い声が、静かに響いた。


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