48 もう一回言って
「あれ? 兄貴? 早くね?」
「夜行バスで帰ってきたから。ていうか、なんでみんないるんだ?」
「昨日みんなでお泊まり会したんでーす」
「お邪魔してまーす」
私以外はみんな上機嫌で、久しぶりに会った先輩と次々に言葉を交わしていく。
私は久々に会えたうれしさとこの前ケンカした気まずさで雁字搦めになってしまい、身動きができないでいた。
先輩もどこか緊張した表情で、私の方を全然見ない。
ぎこちない空気に飲まれた私たちに痺れを切らしたように、数馬くんが軽やかな声で言った。
「あのさ、ちゃんと話し合った方がいいと思うよ? 2人とも」
その声に促されるように、私と先輩はお互いに硬い表情のまま2階に上がった。
「乙葉、なんかあったのか?」
帰ってきたらみんなでお泊まり会しているという状況の不自然さにさすがに気づいたのか、先輩が心配そうな顔で真っ先に尋ねた。
いつもと違って先輩と距離を取るようにテーブルの向かい側に座った私は、昨日のお父さんとのケンカのことやおばさんが泊まるよう勧めてくれたことなんかを、めんどくさいと言わんばかりのふてぶてしい態度で話した。
「まだちゃんと話し合ってないのか?」
「誰と?」
「親とだよ」
「何を話し合うの?」
「東京行きたいってこと」
「東京は行かないから別に話し合うことなんてない」
「なんで来ないんだよ」
「親がダメって言うから。親がダメだって言うなら仕方ないって先輩が言ったんじゃん」
ろくに先輩の方を見ることもせずぶっきら棒に答える私に我慢できなくなったのか、先輩がわざわざ私の方に近づいてきて、向かい合わせに座った。
「乙葉」
名前を呼ばれて、返事もせずに不貞腐れた顔で先輩を見上げる。
「結婚しよ」
は?
「いや、今すぐってわけじゃないし、俺が卒業して、就職して、2人の生活に目処が立ったらになると思うけど」
「は? え? な、なに急に」
「急に、じゃない。ずっと考えてたことだよ。乙葉が東京に来たら言おうと思ってた。俺はもう、お前以上に誰かを好きになれる気がしないし、お前を手放す気もない。だったら誰かに取られる前に、お前をつなぎとめておきたいから」
「でもこの前、『責任取れない』って」
「そりゃ、お前まだ高校生だし。18歳で成人になるって言ってもこの先数年は親の世話になるわけだし、何かあったとき頼るのはやっぱり親だろ。世間一般的に」
「世間一般的に」
「うん。だからさ、結婚するってなったら、もう俺たちだけの問題じゃなくなるんだよ。お互いの家族ともうまくやっていかなきゃならないし、親にも祝福してもらいたいのに俺のせいでお前が親の反対を振り切って東京に来るのはよくないよな?」
まるで当然の決まり事を子どもに諭すような目で先輩が話すから、私の頭の中はいろんな思いが錯綜して大渋滞になる。
なんか、あれ……?
思ってたのとだいぶ違うくない?
ていうか、ほとんど真逆……?
「えと、先輩は、私との将来をちゃんと考えてたってこと?」
「当たり前だろ。お前は違うのか?」
先輩は少し揶揄うように言って、そして包み込むように柔らかく笑う。
その笑顔が直視できないほど、自分でも収拾がつかずあたふたしていると認めざるを得ない。
「『責任取れない』って言ったから、そういうつもりはないんだって……今までだって、結婚なんて一言も……」
「そうだけどさ。そんな、一生に一度の大事なこと、軽々しく言えないだろ。俺の気持ちは固まっててもお前の気持ちを縛りつけることはできないし、たかが学生の身分じゃどうにもできないことだってあるしさ。だからお前が東京に来るまでは言わないでおこうと思ってたんだよ。それなのになんか知らないけどお前がヘソ曲げて東京に来ないなんて言い出すから、ちゃんと言っておこうと思って」
ヘソを曲げたのは、先輩が将来のことを考えてくれてないと思ったからなんだけど……。
全部、私の思い違いだったってこと?
「『責任取れない』なんて、言い方が悪かったとは思ってるよ。結婚のことも、お前の気持ちはともかく俺がどう思ってるかはちゃんと言っておけばよかったとも思う。でもな」
先輩は、不意に私の頭に手を乗せて、ポンポンとリズミカルに触れる。
「お前もへそ曲げて全部投げ出してシャットアウトするんじゃなくて、言いたいことはちゃんと言ってほしいよ。これからずっと、一緒にいるんだしさ」
「ずっと……?」
「そう。気に入らないことや頭に来ることがあったら言えばいい。そういうのは言わなきゃわかんないし、話し合って解決することもたくさんあると思う。俺はちゃんと聞くし、ちゃんと話す。ずっと一緒にいるために、必要なことだろ?」
先輩の透き通る優しい目が、私を捉える。
その目に、私の心の奥底にずっと沈殿していた澱のような闇がすーっと吸い込まれていく気がする。
「瞳子のときもそうだったよな? 1人で悩んで勝手に思い込んで、挙句の果てに俺とのことも諦めてただろ? ずっとそうやって1人きりで諦めてきたんだろうからいきなりは無理だろうけど、俺には少しずつでいいから話してほしい」
頭の上にあった手が滑り落ちて、私の左頬に留まる。
先輩の親指が左頬を撫でる。
くすぐったい。
でも温かい。
葛藤を抱え衝突を覚悟するほど、人に何かを求めることをしないで生きて来た。だからうまくいかないと思ったときにはすぐに諦める癖がついていた。
自分でも気づいていなかった不器用な生き方すらも引き受けて、先輩はその上もっと優しい世界に連れて行こうとしてくれている。
結局、私たちの未来を本当に真剣に考えていたのは先輩の方だったらしい。
じんわりと視界が滲んでいくのを、幸せに感じてしまうのは初めてのことだった。
「お前に電話切られたあとすぐかけ直そうかと思ったけど、多分お前冷静じゃないし、帰ってちゃんと会って話した方がいいと思ってさ。この数日はお前のことが心配で、っていうかお前が俺から離れていかないか心配で、俺にとっては地獄だったけどな」
「……ごめんなさい」
素直な気持ちがそのまま言葉になって、真っすぐ先輩に届く。
いつものようにふっと笑った先輩は、急に祈るような目で私を見つめた。
「で、返事は?」
「……何の?」
「結婚」
言われてハッとした私はきちんと座り直して正座をし、すぐ真向いにある先輩の顔を上目遣いで見返す。
「もう一回言って?」
「は?」
「もう一回言ってほしいの」
言い終わる前に先輩の手が伸びてきて、その腕の中に囚われる。
「結婚、しよ?」
「はい」
降ってきた優しい声に顔を上げて答える私の唇に、そのまま先輩はキスを落とした。




