40 聞いてないんだけど
「乙葉、これ書いといたから」
お母さんが言いながら、「三者面談希望調査」のプリントをテーブルの上に置いた。
私は「はいはい」と言いながらプリントをさっと見て、何食わぬ顔をしてカバンに入れる。
「乙葉、行きたい大学って、だいたい決めてるの……?」
なんとなくおずおずと躊躇いがちに聞くお母さんに対して、私は「まあ、だいたい」などと余裕の顔で曖昧に答えてみる。
大ウソである。
あれから、志望大学は一向に決まっていない。
だって、東京の大学ってウソみたいにいっぱいあるんだもの。片っ端から見て探せなんて言われたけど、到底無理だった。
それに、「やりたいこと」とか「興味のあること」も全く見つからない。
考えれば考えるほど先輩以外に興味の持てるものなど見当たらず、自分の世界がいかに先輩中心で回っているかを痛感する日々……。
しかも、やばいやばいと言いながら頭の片隅では「別にいっか」などと思ってしまう自分がいるから、なおさら決まらない。
若ちゃんには「三者面談までに1校くらいは決めておきなさい」と言われたものの、「ダメならどこでもいいからでっち上げとけ」とも言われている。
「でっち上げろ」とかいう高校教師ってどうなのよ、とは思うけど。
でも日頃から何かと声をかけてくるあたり、いろいろ心配してくれてるんだろうなと思う。
現状、いちばん心強い味方でいてくれることは間違いない。
桐生くんに関しては、残念ながら今のところ進展はなさそうである。
ただ、みんなで話したあとすぐ実行委員の集まりがあった日に、椎名さんとは少し話をした。
「単刀直入に聞くけど、桐生くんのことはどうしようと思ってるの?」
いきなり核心を突かれた椎名さんはちょっと狼狽えてはいたけど、しっかりした口調で答えた。
「『今は』って言われたので、もう少しがんばってみようかと思ってます」
私心の中でガッツポーズをして、悪魔のようにささやいた。
「桐生くん、ほんとはあなたのこと気にはなってるみたい。ただ、今は同じだけの気持ちを返せないから断ったって言ってた」
「え、じゃあ」
「前進あるのみ」
私は椎名さんの目を見て頷き、椎名さんは頬を赤らめながら心得たとばかりに頷いた。
それから、またあの子なりにがんばっているらしい。作業中の様子を見ても、しっかり仕事をしながら桐生くんへのアプローチも欠かさない。
見ていて、大変いじらしい。
この恋がうまくいきますように、と願わずにはいられない。
まあ、桐生くんもまんざらではないらしく、だんだん絆されているような気がしないでもないけど。
先輩も、桐生くんにようやく訪れた「春」を素直に喜んでいた。
そしてやっぱり、「なんか懐かしいな」とあの頃を振り返った。
「歴史は繰り返す、的な?」
「椎名さんを見てると、昔の私もああだったのかなってちょっと恥ずかしくなるときもあるんだけど」
「どういう感じ?」
「桐生くんの一挙一動に一喜一憂、みたいな? バレバレなんだけど必死で、そこがまたいじらしいというか。私が1年生のときも、いろいろバレバレだったんだろうなと思うんだよね。雅さんとか昂ちゃんは完全に気づいてたし」
「はは、そうだな。バレてたな」
「やっぱりそうなんだ……恥ずかしい……」
「でも俺には可愛いだけだったけどな。目が離せなくなった」
先輩の甘すぎる言葉は、当然健在である。
そして、夏休みに入って三者面談が始まった。
これが終われば先輩が帰ってくると思えばまずは何とか乗り切らなきゃと気合が入る。
私の東京進出へ向けての第一関門でもあるわけだし。
三者面談には、予定通りお母さんが来た。
2人でちょっと緊張した表情で若ちゃんのいる教室に入る。
「どうぞ」とにこやかに促され、私とお母さんは席に座った。
いつものちょっとふざけた雰囲気を完全に抑制した若ちゃんが、若いなりにも安定感のある佇まいで私たちに言った。
「では今日は、乙葉さんの今後のこと、特に進路や志望大学についてお聞きしていきたいと思います」
進学希望ということを確認したところで、若ちゃんは徐に私の志望大学について切り出した。
「えと、お母さんは乙葉さんの志望大学についてはお聞きになってますか?」
「あ、いえ。どこか行きたい大学はあるようですが、具体的には……」
お母さんの言葉に、若ちゃんは一瞬だけジト目でこちらを見て、またもとの表情に戻った。
あの顔、「行きたい大学あるフリしてんのか?」って思ってるな……。
「そうですか。乙葉さんはどうですか?今の段階で考えている大学とか」
来た!
私は若ちゃんとの打ち合わせ通り、
「東京の国公立か私立大で考えてます」
とすました顔で、淡々とジャブを打った。
「そうですか、具体的にどこか」
「ちょっと待ってください」
若ちゃんが言いかけた言葉を何の前触れもなく遮ったお母さんが、勢いよく私の方を向いた。
「ちょっと、東京の大学ってどういうこと?」
「は?」
「東京って何? 聞いてないんだけど」
お母さんの責めるような冷ややかな声に、その場の空気は凍りついた。




