4 可愛さを独り占め
夏休みになった。
せっかくの休みだというのに、今日は文化祭実行委員の集まりで学校に来ている。
「暑い。死ぬ」
「もう、乙葉ちゃんたら。もうちょっとがんばろうよー」
雅さんがいつものように慈悲深い笑顔を見せながら、自分のハンディファンを私に向けてくれる。
夏になっても、この人は相変わらず私にひたすら甘い。
副会長の雅さんも生徒会長の昂ちゃんも私にとんでもなく甘いので、「生意気な1年生」と思っていても誰も何も言えないらしかった。
さらに、どういうわけだか。
「お、乙葉は今日も可愛いな」
あの3年連続実行委員という謎の肩書を持つ藤野先輩にも妙に可愛がられていた。
しかもこの人、「可愛い」とか「俺の癒し」とかそういうことを恥ずかしげもなく連発するから、ものすごく困る。
「ちょっと藤野くん、乙葉ちゃんは私のものなんだからね」
明らかに不満そうな雅さんが藤野先輩をブロックするような仕草をして、すぐさま言い返した。
「は?なんだよそれ。乙葉はお前のものじゃねえだろ」
「私の可愛い妹なの。部外者が勝手に可愛いとか言わないで」
「可愛いのを可愛いって言って、何が悪いんだよ。それに部外者って何だ」
うー。誰かこの2人のやり取り、止めてくんないかな。
本人、限りなく恥ずかしいんですけど?
それにしても、私のことをやけに可愛がりたがる藤野先輩も充分謎だけど、それに対抗意識を燃やす雅さんも謎ではある。しかも時々、雅さんは藤野先輩に対して必要以上に厳しいというか、辛辣だったりもする。
いつもは冷静な雅さんが私をめぐって藤野先輩と衝突するときだけは容赦がなさすぎて、それはそれでかなり不可解ではあった。
「なあ乙葉、今日終わったら一緒に帰るか?」
雅さんと痛烈な皮肉と嫌味の応酬を繰り広げていた藤野先輩が、思い出したように突然私の方を振り返って言った。
「ちょっと、なんであんたが乙葉ちゃんと一緒に帰ろうとするのよ」
「なんでって、乙葉の可愛さを独り占めするためだろ」
うわ。
ただでさえ暑いのに、顔が火を吹いたようになるのがわかる。
完全に不意打ちを食らってしまった。
ていうか雅さん、藤野先輩のこと「あんた」って呼んじゃってるよ。いろいろバレちゃうよ。
「あんたみたいなのが乙葉ちゃんと帰るなんて、一万年早いのよ」
私の心配をよそに、2人の舌戦はひたすら続いている。
最近はもうずっとこんな感じで、私が2人を止めようとしてもかえって火に油をそそぐだけだし、確実に止めてくれる昂ちゃんが近くにいないとずっと言い合っているから厄介である。
しかも、雅さんが藤野先輩に対してひたすら毒を吐きまくるから、みんなの雅さんに対するイメージがどんどん壊れていくのが地味につらい。居たたまれない。
でも、本当は。
藤野先輩が私に向かって言い連ねる甘い言葉の数々が拷問並みに恥ずかしいのに嫌ではなくて、そんな自分に戸惑っていた。
そして罪深いことに、藤野先輩もそんな私の反応を楽しんでいるようだった。
結局、その日は藤野先輩と一緒に帰ることになってしまった。
帰りにアイスを奢ってくれると言われてつい有頂天になったのもあるけど、そもそも断る理由がない。雅さんは最後まで抵抗していたけど、生徒会の仕事がまだ残っていると昂ちゃんに言われて泣く泣く諦めたようだった。
「藤野、乙葉ちゃんに不埒なことは絶対にするなよ」
とうとう藤野先輩を呼び捨てにしてしまうくらい、雅さんの口調が今世紀最大に荒れていた。
「乙葉のクラスの文化祭準備は順調?」
「うん。同じクラスの実行委員の人が仕事できる人だったから」
「桐生くんだっけ?大人しい感じの子だと思ってたけどな」
「私もそう思ってたんだけど、意外にリーダーシップがあるというか」
実行委員の仕事をしていく中で、桐生くんはだんだんと率先して動いてくれるようになり、積極的に前に出てクラスのみんなのまとめ役をするようになっていた。そんな桐生くんの姿に、みんなも自然に協力し合うようになっていたのだ。
あの人、最初はあんなに嫌そうだったのに。
あとで聞いたら、桐生くんという人は中学時代も学級委員長とか生徒会の役員とかをやっていて、前に出てみんなを動かすような立ち位置の人だったらしい。高校に入ったらそういうのはもう別の人にお願いしたいと思っていたのに、またお鉢が回ってきたもんだから最初はうんざりしてしまった、と本人から聞いていた。
「私と違って桐生くんはこういう仕事が向いてる人なんだろうね。私はなんか、フラフラしてるだけであんまり役に立ってないし」
そんな桐生くんの有能さに比べると、どうも私はパッとしない。
それなりに仕事はこなしているけれど、あんまりみんなの役に立っている感はないわけで。
それをそのまま、何気なく言っただけだったのに先輩は過剰に反応した。
「そんなことないだろ。乙葉はほら、いるだけで場が和むっていうかさ」
「何それ。そんなキャラじゃないし」
「そうか?俺にとってはそうだけど」
「和むの?」
「和むよ。可愛いもん」
なんだそれ。
私はハムスターが何かなのか?
でも、嫌じゃなかった。
嫌じゃないから、すごく、困る。
一気に火照った頬を両手で押さえながら、慌てた私はどうにか話題というか空気を変えてしまおうとして唐突に口走った。
「せ、先輩は彼女とかいないんですか?」
なんで今それ言っちゃった!? と我ながらさらに焦ってあわあわしていると、
「彼女いたら、乙葉と2人でアイス食べに来たりしてないよ」
と先輩は全く動じる様子もなく、平然として答える。
「じゃあ、好きな人とかもいないの?」
「いないよ」
一瞬、先輩の目が暗く淀んだ気がした。
でもそのすぐあとで先輩史上最高の笑顔を見せてくれたから、私はその言葉にホッとした自分に気づいてしまったのだ。
あ、これ、もうダメなやつだ。
自覚するしか、ないやつ。
自分の気持ちに気づいてしまって頭の中がそのことでいっぱいになってしまい、先輩の目の色と笑顔のちぐはぐさに、気づけなかったんだろうと思う。