side伊織 ⑦
予め、大我から簡単な事情を聞いていた小泉には先に帰ってもらうことになった。
せっかくだからと持ってきてくれた食べ物や飲み物を半分以上渡すと、「藤野くんも災難だったね」とためらいがちに言われた。
俺たちは早乙女と対峙した。
でも夏目に非情な顔で「警察に届ける」と言われた早乙女は、あっさりと陥落した。
「そ、そうよ。藤野くんのスマホ、黙って持って行ったのは私よ」
「なんでそんなこと」
「だって、藤野くん全然こっち見てくれないじゃない。私がいくらがんばっても、反応薄いし愛想も悪いし全然脈がない感じだし。事あるごとに『彼女が』『彼女が』って言うのも癪に障るのにその彼女からモーニングコールが来るって自慢げに言うから頭に来て……」
「それで?」
「テーブルに置いてあったスマホを黙って持って帰って、朝になったらほんとに電話が来たから、ついどんな彼女か気になって……電話に出て話してるうちに、浮気してると思わせたらもしかしたら別れてくれるんじゃないかと思って……」
思った通りだった。
思った通りすぎて、何だか妙に脱力した。
「返そうと思ったのは?」
「け、警察に届けるって言うから。私が持ってるってバレたらやばいと思って……」
そりゃそうだよな。
そこはまともな感覚でいてくれて良かったよ。
「で?」
容赦なく夏目のターンは続く。
「どうすんの? さっきも言ったけど、これはれっきとした犯罪だよ? 窃盗だよ? 伊織がどんだけ困ったと思ってんの?」
「それは……」
「俺の部屋でなくなったから俺だって必死に探したしさ。大我だって一緒に探したし」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済むと思ってんの? ほんとにさ、スマホなくなったらどんだけ大変か考えたことある? ってか考えた? 自分だったらどう? スマホなくしたせいで犯罪に巻き込まれたりもするんだよ?」
「は、はい……」
「全くさ、どう落とし前つけるつもりなんだよ」
「まあまあ。夏目、それ脅しになってるよ」
いつもの冷静沈着な態度からは考えられないくらい、どんどんヒートアップする夏目を見かねた大我がなだめた。
「だって、俺の部屋でなくなったからめっちゃ申し訳ないって思ってたのに、こいつが持って行ってるとかさ。あり得ないよ」
「まあ、それは確かにな。あり得ないよな。じゃあ、伊織はどうなんだ? いちばんの被害者はお前なんだしさ」
大我に聞かれて、俺は改めて目の前に座る早乙女を見た。
俺たち3人の前で、正座をして小さくなっている早乙女はひどく怯えた目で俺を見返す。
そんな目をするくらいなら、初めからこんなことするなよ。
うんざりした。心底、うんざりした。
「俺はさ、スマホがなくなったってことよりもそのせいで彼女に心配かけたことの方が頭に来てるんだよ」
自分で思っていた以上に毒を孕んだ冷たい声になったけど、もうどうでもよかった。
ここ数日まとわりついていたどうにもできない苛立ちが、加速度的にその質量を増す。
「連絡が取れないことだけでも十分心配させたのに、お前の余計な芝居のせいで無駄にあいつを傷つけたことを許すつもりはない」
早乙女の顔が蒼ざめ、目に恐怖の色が走る。
「だけど、スマホをその辺に無防備に置いてた俺にも落ち度があったとは思う」
「いやいや、普通、友だちの家のその辺に置いたところでスマホはなくならないよ。伊織は別に悪くないよ」
「俺にとって、スマホって彼女とのつながりを保ついちばん大事なものなんだよ。『スマホがあれば何とかなる』って言ってあいつを置いてきたんだから。それなのに俺がその管理を怠って、結局あいつを傷つけることになったんだ。俺は自分で自分がいちばん許せないんだよ」
「スマホがあればいつでもやり取りできる」なんて豪語していたくせに、その肝心なスマホをなくしたのは俺だ。俺自身にも当然非がある。
乙葉を傷つけることになったのは、結果として俺のせいだ。
早乙女を許すつもりはないが、早乙女だけを断罪する気にも到底なれなかった。
「だから、今後一切、俺にかかわらないでくれればそれでいい」
「なんだ、そんなんでいいのか?」
さっきまで警察だなんだと責め立てていたわけだから、大我にしてみれば拍子抜けもいいところだろう。
「うん、それでいい。俺にとってはそれがいちばんの望みだよ。今までほんと鬱陶しかったし」
「そんな。藤野くん……」
「いやいや、あんたもこんなことしといて伊織が許してくれると思うなよ。警察に突き出されないだけありがたいと思わないと」
「そうだよ。彼女ちゃんに誤解させるようなことしといて虫が良すぎるんじゃない?」
「これで別れるようなことになってたら、ほんとシャレにならなかったんだし」
早乙女は諦めたのか、わかりましたとばかりに肩を落とした。
話し合いの間中、テーブルの上に置いてあった俺のスマホを何日かぶりに手に取る。
とっくに電源が落ちていて、うんともすんとも言わない。
「早乙女さんさ、ほんと、マジでこんなことやめなよ? 友だちなくすよ?」
夏目は、少し涙目の早乙女に向かって呆れたように言った。
早乙女はただ黙って頷いた。
家に帰って、スマホを充電して、ようやく使えるようになったあと、すぐ乙葉にLINEした。
そして金曜日。
その日、午後の講義が突然休講になった。
午前の講義が終わるや否や、俺は夏目たちに「ちょっと実家に帰るわ」とだけ伝えると急いで駅に向かった。
夏目たちの生温い視線に見送られて。
朝、昨夜の俺のLINEに気づいたらしい乙葉からすぐに返事が来た。
「無事でよかった」
「スマホ見つかってよかった」
「浮気じゃなくてよかった」
「私も大好き」
どうしようもなく、乙葉に会いたい。
俺は東京に来てから、乙葉に「会いたい」という言葉を言わないようにしていた。言ったら、きっともっと会いたくなってしまう。
それがわかっていたから、極力言わないようにしていた。
夜になったらいつものように電話して、今回の騒動の顛末をきちんと話そうと思っていた。
でも。
会いたい。
会って直接話したい。
乙葉の顔を見て、ちゃんと説明して、そして安心させたい。
俺が安心したい。
そして俺は、少し懐かしい、高校の正門に向かった。




