side伊織 ⑥
現場を押さえるには、あいつがスマホを返しやすい状況を作らなくてはならない。
そこで水曜日の午後の講義で会った早乙女に近づいて、俺はそれとなく話しかけた。
「俺のスマホが月曜日から見当たらないんだけどさ、知らない?」
絶対にお前が犯人だろという気持ちを抑え素知らぬフリで聞いてみるが、早乙女は顔色一つ変えずに「えー、知らなーい」と答える。
しかも初めて俺に話しかけられたのがうれしくてたまらない、といったあざとい反応も忘れない。
あー、鬱陶しい。
うんざりして話す気が失せる前に、明日には警察に届けることになるだろうことをさりげなく話し、さらにこの前の講義での発表が無事に終わった打ち上げをしようと持ちかけた。
夏目が「お前が声をかけた方が成功率は上がる」と言ったからだ。
なんで俺が乙葉以外の女子を誘わないといけないんだよ。
正直、内心半ギレだった。
もう1人の女子である小泉の方は、大我が声をかけていた。小泉は「行けたら行く」といった曖昧な反応だったらしい。
ただ、その日の夜、思いがけないことがあった。
実家に電話したら、数馬に「乙葉と連絡取れたよ」と言われたのだ。
「え? マジで? なんで? どうやって?」
俺は驚きのあまり発するべき言葉が思い浮かばず、あたふたして疑問ばかりを投げ返した。
数馬はくすくす笑いながら、3人が突然家にやって来たことをはじめ、乙葉の言う「桐生くん」が数馬の言う「忍」だったこと、連絡が取れなくなって心配した乙葉が数馬の存在を思い出し、桐生くんを介して確認しようとしたことなんかを教えてくれた。
「桐生くんって、忍だったのか。全然気づかなかった」
数馬の説明を聞きながら、俺は去年の記憶の中にある「桐生くん」を思い返していた。
中学時代、学校に行けなくなる前から数馬と「忍」はそれなりに仲が良かったし、名前を聞くこともあった。ただ、学年はもちろん部活も出身小学校も違う俺とはほとんど顔を合わせることはなかったから、「忍」という名前は知っていてもそれがどんな人物かはよく知らなかったのだ。
それが、まさか同一人物だったとは。
しかも、そのあと数馬が放った言葉に俺は呼吸を忘れるほど驚いた。
「あとさ、兄貴が浮気してるって疑われてるよ」
「は?」
「乙葉は月曜日の朝、ちゃんと電話したんだって。そしたら知らない女が出たって言ってて」
「は?」
知らない女が出た?
俺は数馬の言っていることが1ミリも理解できず、混乱した。
「知らない女が電話に出て、兄貴が代わりに出てって言ったとか、怪しげな雰囲気で電話に出られる状況じゃないようなこと言って、いきなり切られたって」
「そんなことあり得ない! するわけない!」
「まあまあ。んで、その話を聞いて忍は完全にそれ浮気だろって。でも乙葉と瑠々ちゃんはそうは思ってないって言ってさ。乙葉は浮気かどうかよりも連絡が取れなくなったことで兄貴に何かあったんじゃないかって心配してて、スマホなくしただけだって知ったら泣きそうになってたよ」
頭を殴られたような衝撃が俺の全身を貫いた。
知らない女が電話に出たことは全くもって不可解だが、それよりも乙葉が浮気を疑う前にただただ俺の身を案じていたことへのうれしさと、安否の確認ができた瞬間泣きそうになった乙葉への申し訳なさとで俺の頭の中はいっぱいになる。
乙葉、ごめんな。
知らない女が電話に出て、まるで浮気を思わせるようなことを言われて、さぞ傷ついただろう。
俺は乙葉を、傷つけたくない。これまでも何度か俺の手の届かないところで乙葉が傷つくようなことがあったから、なおさら傷つけるものから守りたい。
そのために、言葉を尽くすと決めたのに。
それなのに、俺のせいでまた傷つけてしまっただろうことを思うと、やり場のない苛立ちがこみ上げてきた。
「兄貴、とりあえず乙葉とLINE交換できたから連絡取れるよ。何か伝言ある?」
俺の頭の中を吹き荒ぶ嵐の気配に気づいたらしい数馬が、わざと明るい声を出す。
こいつはほんとに、昔からこういうところがある。まわりの空気を読むのがうまいというか、人の心の繊細な動きに敏いというか。そのせいで、人知れずつらい経験をしてきたというのに。
数馬の優しさを無下にすることはできず、俺も気持ちを切り替え落ち着いた声で言った。
「じゃあ、心配かけてごめんってことと、浮気は絶対にしてないからって言っといて」
「わかった」
それから、多分明日中にはスマホが見つかるかもしれないこと、それで見つからなければ解約してほしいことを伝えて電話を切った。
木曜日。
打ち上げは、また夏目の家でやることになっていた。
その日の講義が終わって夏目の部屋に3人で集まって計画の最終確認をしていると、女子2人がやって来た。来るのを渋っていた小泉も、どういうわけか顔を出すことにしたと大我から聞いていた。
2人が気を利かせて食べ物や飲み物をたくさん持って来てくれたことさえ、「気が利く女子を気取りやがって」としか思えなかった俺は相当に怒りという感情に支配されていたのだろう。
冷静になって考えてみれば、月曜の朝に乙葉が電話したとき、出たのは多分早乙女だ。
どこの女優気取りか知らないが、俺と早乙女が浮気したような素振りで電話に出て、芝居じみたことを言ったんだろう。
そして乙葉を混乱させ、動揺させ、悲しませ、傷つけたのだ。俺が許すはずもない。
今日、俺は鬼と化すと決めた。
計画は順調に進み、テンションが上がって気の緩んだ早乙女は誰も見てないと思ったのか、持って来ていた俺のスマホを開いていた俺のカバンの中にするっと入れようとした。
その決定的瞬間を、大我がスマホで撮った。
「カシャ」
というシャッター音がして、早乙女は振り返り、そして凍りついた。
「な、なに……?」
「お前、俺のスマホ持ってっただろ?」
「え、なんのこと……?」
大我が今撮ったばかりの画像を、早乙女に見せる。
「なんで早乙女さんが伊織のスマホ持ってんの?」
「え、いや、そこにあったから、カバンに入れてあげようかと……」
「そこにあった? ずっと見つからなくて探してたのに?」
「そ、そうなの? 私、知らなくて」
「そんなわけねえだろ。昨日なくしたって話したよな」
早乙女の顔が気の毒なくらいどんどん青くなる。
俺も我慢ができなくなって、どんどん追い詰めるようなきつい口調になっていく。
早乙女が今にも泣き出しそうに顔を歪めたのを見て、冷静な夏目が割って入った。
「早乙女さん、正直に話してくんないかな? じゃないと、これ窃盗だから。警察に届けるよ?」
夏目の方が、よっぽど鬼だった。




